六禍仙
「──────待てッ!」
神威と名乗る謎の人物を追って病院内を駆けるが、その姿は案外すぐに見つかった。
彼は僕から逃げようとする素振りもなく、院内の自動販売機の前でのんびりいちごミルクを飲んでいたのだ。
彼は僕を無言で一瞥する。
「・・・・・・・・・。」
なんだコイツ。
甘党か?
「なんだこいつというのは俺の台詞だな。病院内を騒々しく走り回るもんじゃあないぜ。──成程。大方お前は俺の握っている情報を求めて追ってきたのだろうが、しかしそれは無駄だ。」
「・・・・・・随分、勘が良いじゃないか。無駄だって?どういうことだ?」
息を切らしながら訊ねると、神威は「ふむ」と頷いて、いちごミルクのパックを小さく折り畳む。
「無駄という言い方が気に障るのなら言い換えよう。無意味だ。
俺は自身の有する情報を容易く人に教えるほど間抜けではないが、仮に知り得る全ての情報を教えたところで、お前はあいつには勝てない。」
あいつ?
菱森 雪都のことだろうか?
「俺は用心深いが、決して信心深くはない。それでも奴が神だと言われれば、それであるならば、そうであるならば、絶対に信じざるを得ない──────我ら凡俗に例外なくそう言わせしめる存在。」
「名前を簓木 鶫という──のだが、どう説明したものか。まあいい。竹かんむりに彫るの字、但し土の部分が突き出る。草木の木に鶫の字で、簓木 鶫。」
「柊 雪都・・・・・・じゃあ、ないのか。」
僕はひとりでに小声で呟く。
その声は病院内の静寂の中であるがために神威にも伝わったらしいのだが、彼は「は?」と訝しげに目を細めて聞き返すのみであった。
「・・・いや、なんでもない。簓木 鶫。僕もその名前は聞いたことがある──のだけれど、あるだけだ。見たこともない。凡その概要は知識として持ち合わせているけれど、そいつは一体、何なんだ?」
«半死半生»。
死んでいて生きている人間。
生きていて死んでいる鬼。
そいつは一体。
「全ての«始点»だ。」
始点?
「高校生なら相対性理論くらい知っているだろう──彼のアインシュタインによって提唱された理論。オイラーの公式も知っているな?e^iπ+1=0、最も美しい公式と言われるものだ。」
「・・・・・・・・・何?」
いまいち要領を得ない。
要点が途切れつつある会話の不自然さに、まるで韜晦されているかのような感覚に陥り、当然のことながらあまり心地好くはないのだが、しかし神威の話はそこからもゆっくりと展開されていった。
「しかし相対性理論など、アインシュタインがいなかったところでその存在は元から変わらなかっただろうし、オイラーの公式においても同様、存在の確認はともかく、存在の認識はとにかく、存在そのものはオイラーが、将またその代理の誰かが不在でも不動たるものであっただろうよ。」
まあ。
言わんとすることは分からなくもない。
摂理だったり原理だったり、自然における様々な事柄を何から何まで列挙したところで、たった一つの例外すらもなく、全てが«元からそうであると決まっていた»ものなのだ。
「考えてみればぞっとする話だ──人間が莫大な資材と時間と生命を捨てて、長年歩み進めた進歩の過程は、こうであるべきだ、こうであるはずだときっちり定まったシナリオの、或いはプログラムの焼き直しでしかないということだよ。再びその足跡をなぞっているに過ぎない。」
「そういう意味において、簓木 鶫は怪物でもあり、化物でもある。しかしそれに最も適した形容は«人間»と言う他にない。ありとあらゆる全ての始まりに奴はいる。人間として人間を殺し、人間として人間を喰らい、人間として人間らしく生きる人間だ。」
喰らった他の生命の血肉によって強化される能力──だったか。
前例も無く。
慣例も無い。
恒例も無ければ。
習例も無いのだ。
全てが簓木 鶫から始まる。
「だからお前に勝つことなど無理だよ──奴の正体は言わば、秩然たる『世界の仕組み』そのものだ。」
「会える可能性が──遭える可能性があるとするならば、それこそ«六禍仙»しかいないだろう。」
その聞き慣れない単語の登場に、僕は反応した。
聞き慣れないというか、文脈にはどうしても合わない言葉である。
「«六禍仙»?」
「ああ。六歌仙は知っているだろう?僧正遍昭、在原業平、小野小町、大伴黒主、喜撰法師、文屋康秀の歌人達のことだ。」
それなら僕も知っている。
高校一年生だった頃、古文の授業で聞いた覚えがあったような気がするぞ。
「要は言葉遊びだよ。お前らの対峙している«普通じゃないモノ» «妖しいモノ»──つまり、«憑き物落とし»を生業として各地を旅する六人の集団を指している。簓木 鶫は奴らの標的の最たるものだ。だから辿り着けるなら、奴らしかいない。
現にお前の住まう街にも、その一人がいるんだぜ。」
神威 鮫弦はそう言って、そこで漸く折り畳まれた紙パックをゴミ箱に放り込んだ。
それは驚くほどに、味気なく告げられた事実だった。
・
「月嶋 忍。よろしくね。」
ガラステーブル越しの黒いソファに腰掛けている女性は、快活にそう名乗った。警戒心を抱かせない、人当たりの良さそうな笑顔が眩しい。
場所は変わって、神威の家。
というか、職場。
小さな廃ビルのような建物だったのだが、中身は意外と整然としていて小綺麗な印象を受ける。
あの後。
実は六禍仙の一人であるという神威の仲介で、僕は同じくその一人である月嶋 忍さんと出会うことに成功した。
紫色の強い緩めのパーカーに、短めの赤いタータンチェックのスカートを履いている。
髪は痛めつけたような明るい茶髪で、長いポニーテール。
今時高校生でもそんなファッションはしないだろう、というような、かなり独特なセンスの持ち主であるらしい。
「やー。こんな可愛い男の子からお仕事の依頼が来ちゃうとは思わなかったぞー。神威くんもなかなかやるじゃん?」
おちゃらけたように月嶋さんが言うと、神威は「ふん」と見下すように鼻を鳴らした。
「さーてと。君、簓木 鶫の奴と戦いたいんだって?」
「いや、戦いたいわけでは・・・・・・。」
ない。
今のところ戦う理由はない。
僕は神威から聞くまで、簓木がどんな奴かを具体的に知らなかったし、元々は菱森 雪都の情報を求めて神威を追ったのだから。
「そうかいそうかい。でも君はどちらにせよ戦わなくてはいけないのさ。少しでも奴と関わって、そのままでいられるとは思わない方が良いね。本来なら名前を知ると言うだけでもアウトだ。
だからね、君はこれから死ぬ覚悟を決めなきゃあいけない。否応なく──死ななきゃいけないのよ。」
静かに笑み、そんな宣告をされたものの、僕は驚く気にはなれなかった。
今までこういうことを経験しすぎて、死への意識が薄れてきたのもあるのかもしれないが、それよりも。
僕はどこかで、簓木 鶫──暴食の殺人鬼と決着をつけなければいけない気がしていたからだ。
出会ったことすらない相手なのに、互いが互いを惹き寄せ合うような感覚。
奇妙な因果。
奇妙な因縁。
そんなものを、僕はそいつから感じ取っていた。
これがあの不死身の言う、«道を間違えた»ということなのだろうか。
「死ななくて済む可能性があるとするなら、それは狂気よ。簓木は人を喰らい、生き血を啜る。それと同等以上の狂気を以て、初めて奴とは対等に成り得る。何にしたって、君はもうまともな人間ではいられない。」
にこやかな笑みを一切崩さないまま、月嶋さんは語り続ける。
「・・・・・・・・・。」
まとも、か。
正直なところ、それを聞いて僕は安堵した。
僕を見てまともだと思うのならば、六禍仙など所詮はそれまでなのだろうし、既に狂っている僕がその狂気を以て戦うだけで済むのなら、簓木 鶫も──────。
憑物であり、人間である彼も。
きっと大したことはないのだろうと思ったのだ。




