蛇足
ところで──。
信じる、という言葉ほどに不確かなものもなかなか無いと思う。
「へえ、そりゃまたどうして?」
だって、人の言と書くんだぜ──そんなもん、浅くて、薄くて、脆くて。
そして、弱いじゃないか。
信念と同じくらいには。
僕と同じくらいには。
「そうでもねえよ。馬鹿には出来ない、侮れない──言葉を失うのは、意思を失うのと同一だ。そして意思を失うのは、意識を失うのと同義だろうが。」
そうなった人間は、魑魅魍魎に等しい────彼はそう言って笑う。
その笑みも恐らくは、魑魅魍魎なんて比肩するべくもないほどに、恐怖的な、狂怖的な微笑であったのは言うまでもない。
日本には古来から言霊信仰なる考え方があって、それは成程たしかに、意外にも筋が通っているように思えたけれど、所詮は気休めでしかないというのが、僕の正直な感想だ。
裏切ればそれまで、だろう。
しかしなあ、と思う。
この応酬すらも或いは、心の中の陰翳、後ろめたさ、暗い影の中で燻っていた言葉であり、紡がれた語りであるのだから、脚色やら誇張やらが一定の割合で織り交ぜられていることは否めない。
認めざるを得ない──それが無意識であろうと、無自覚であろうと。
寧ろ意識的であったなら、自覚的であったなら、どれほど気楽か、とも考えてしまうくらいだ。
尤も、そんなものは一切の物を言わぬ死体でしかないのだが。
人間は総じて詐欺師。
言葉は総じて虚言。
これは強ち否定も出来なければ反論も出来ない、とある一方向から見た時にこの上なく真理を突く思想だろう。
「だからと言って、お前は引き下がるわけにはいかねえんだろう?信念を、思念を容易く捻じ曲げてしまうお前であっても、それを" 歪められる "ことは、あっては────」
ならないんだろう。
ならないのだ。
本音だけでぶつかり合うなんて、そんな息苦しいことは、心苦しいことはない──だからあくまで、僕は大嘘吐きらしく、詐欺師らしく、彼女の心に立ち向かおう。
そう決めた。
・
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
幸村さんが咆哮し、僕へと向かってきた──まるで瞬間移動のような速度だ。
その視線は当然のように殺意に満ち満ちていて、やはり有り得ないくらいの恐怖に襲われてしまう。
「死ねッ、小僧がァ!!」
その台詞と共に勢い良く振り下ろされた──────腕。
武器は何も握られていない、言わば緋雨さんと同様に素手で戦うタイプなのだろう。
しかしその剛腕の振るい方は、彼のそれとは決定的に異なった。
正反対と言っても、対極と言っても、それは差し支えないくらいの差異。
彼──神凪 緋雨の殺人格闘術は、主に拳に力をかけるのに対し、幸村さんのものは、全体を横に振るうのだった。
ラリアットのように、そのリーチの長い両腕を。
捻じるように。
捩るように。
多分、これが自身にとって最善であることを理解しているのだろう────だから僕は、戦闘開始数秒で、崖っぷちまで追い詰められてしまったと言ってもいい。
まずい、避けられない──!
「うおおおあああああッ!」
僕はステップを踏むように半歩だけ退転し、右腕を彼女の攻撃の射程圏内に敢えて突っ込む。
火花の弾けるような音。
全身を断裂されるような痛み。
どくん、と心臓が唸る。
「ぐああ・・・・・・っ」
しかし視界に映ったのは、狂気じみた黒煙を発する僕の右腕──つまり能力で一体化した«罪悪»と、彼女の、細長く靱やかな腕だった。
悪魔の右腕に迸る血脈が、何度見ても悍ましい。
「クソッ、失念していたぜ──そういや持ってるんだったな。禍々しい«屍の腕»。」
そんなことを唾棄するように言いながら、幸村さんもバックステップして体勢を立て直す。
勢い強い技の分、失敗した時の反動が大きいのか──だからと言って、次にアレを防ぐ自信は、僕にはないぞ・・・?
「幸村さん、あんたは言っていただろうが────僕を" 強い人だ "とッ!」
間合いを探るように互いに広大な地面を駆動しつつ、僕はそんなことを幸村さんに訊ねる。
「ああ、確かに言ったな──お前は強い。強いよ。だけど、それがどうしたァァァッ!!」
彼女はそう答えたものの、しかし直線を虎のように駆け抜け、僕を喰らいに来る。
「あの時の僕は否定したけれど、間違いじゃあなかったかもな。僕は少なくとも、あんたよりかは強いってんだ・・・・・・幸村さん、今のあんたは«最悪»じゃねえ、«最弱»だ!
逃げに逃げて、隠れに隠れ、目を逸らし、目を瞑り、それで終わった気になるなよ!」
「人はそう易々と変われないんだ!
でも変わる努力はするべきだろう──これもくだらねえ一般論だが、つまらねえ正論だが、あんたはそれすら放棄したんだ!!」
「うるせぇ、黙れェェッ」
何も省みることなく、何も鑑みることなく、半ば自暴自棄に叫ぶ僕に対し、彼女は怒鳴りながら強靭なその脚を振るう──しかしこれすらも僕はすんでのところで右腕の装甲部分で弾いたため、結果的に、その靱やかな脚は虚空を貫いただけだった。
「いつだったかな、僕の妹が言ったんだよ────人は人の代わりにはなれないってな!
あんたはどうせ、僕が救いに来るのをここで待っていたんだろうけれど・・・・・・言っちまえば、それは甘えなんだよッ!」
«罪悪»──間髪入れずにその名を叫び、僕はまるで猛禽類のように空中を自在に駆ける幸村さんの隙を突く事に成功した。
バランスを崩した彼女の身体を、そのまま地に叩きつけるように押し倒す。
「・・・・・・・・・っ。」
一瞬の静寂。
互いに睨み合う形になった。
地面から起き上がろうとしている幸村さんは、しかしその体勢のまま、僕に禍根の渦巻く鋭い視線を向けている。
僕は立ったまま、«罪悪»の右腕を彼女に突きつけている──どんな目をしているのかは、僕自身には分からなかったが。
「人は人の代わりにはなれない。」
僕は声を潜め、静かに、しかし力強く語りかける。
彼女は何も言わなかった。
「あんたの問題は、あんたが背負うしかないんだよ──人に救ってもらおうなんて、人に喰ってもらおうなんて、それこそ都合が良すぎるだろうに。」
「敗北だろうと、失敗だろうと、全てを失ったわけじゃあないだろ──あんたは。
まだあんたの周りには、人がいるじゃないか。」
洞木がいて。
緋雨さんがいて。
朝比奈ちゃんがいて。
桜木くんがいて。
そして、僕がいる。
「いや──失ったんだよ、«私»は。」
そこで幸村さんは、漸く口を開いた。
低い声で、虚ろな声で、自虐的に笑いながら言う。
それは最早、ただの独白のように。
「失ったんじゃあなきゃ、終わったのかもな────何にせよ、«私»はもう死ぬべきなのさ。
お前が生きるのは死ぬ為なんだっけ?だとすれば、«私»が生きるのは逃げるためで、もう過去に捕まって、禍根に捕まった私は、手遅れだろうがよ。
やっと今、諦めがついたのさ。」
幸村 歪美は、そんな答えを出した。
それが本音なのかは、生憎僕には判断しかねるけれど。
「僕は」
「僕は実のところ、あまりその理論に納得しちゃあいないんですよ。本音を語らせてもらえるなら、僕が生きるのには、そしてあなたが生きるのには、理由なんて要らないんです。」
そもそも、生きる理由を探せるのは、生きているから出来ることなのであって。
死んだらもう──駄目だ。
「遺恨と禍根に捕らわれても。
己の二面性に潰されても。
復讐心に喰らわれても。
歪んでいようと、間違っていようと。
最悪だろうと、罪悪だろうと──勿論、最弱だとしても。」
うだうだとうぜえことを抜かしながらも。
躓きながら、転びながらも。
生きていく。
「へえ──生きるために理由はいらない、ね。シンくんらしいよ。«私»も多分、あと少し早くそんなことを誰かに言ってもらえていれば・・・・・・歪むこともなかっただろうに。
八橋 京のままで、いられただろうにな。」
まるで道化だ、なんて。
「それで?«私»はどうすりゃいいのよ──早く殺すなら殺してくれって。」
投げやりな態度で、必死の説得にそう応じる幸村さん。
「«蛇»に呑まれてください。」
「はぁ?」
僕の言葉に、素っ頓狂な返しが飛んできた──それもそうか。
式神は本来、在るべくして在るだけ・・・・・・存在を意識することなんて、到底出来やしない。
それを出来るのも多分、イレギュラーだけだろう。
車内で、暗望から事前に預かっていた古めかしい一枚の札を取り出す。実を言えば、これも悪あがきのようなもの、決してスマートとは言えない解決策なのだけれど。
如何にも霊験あらたかといった様相の札を握りしめ、僕はなるべく優しい声色で語りかける。
「あなたはもう、過去に捕まることもなければ、未来へ逃げることもない。
恨みに呑まれることもなければ、怨みに流されることもない。
そういう面倒なことは、蜷局を巻いた«蛇神»に全て──請け負ってもらいましょう。」
人は人の代わりになれない。
ならばせめて、神に代わってもらおう。
その傷を、請け負ってもらおう。
大丈夫。
皆、心に影を宿している。
皆、心に傷を残している。
あなたも一つくらい、許してやってもいいじゃあないか──────。
幸村 歪美の歪み。
二度と顕現しないでくれ。
「さようなら」
その一言と共に、札は彼女に吸い込まれるように、どこかへ消えた。
紫電のような大蛇が、昏倒した彼女の身体をぐるりと囲んだように見えたけれど────それも多分、気のせいだろう。
気のせいじゃなければ、そうだな────強いて言うなら。
・
3週間後、7月初頭。
「・・・・・・なんであなたがここにいるんです」
「よォ、シンくん。今日も今日とて冴えないツラしてるじゃあねえかァ」
ほんの挨拶代わりに、そんな侮蔑的な言葉を残して朝比奈ちゃんと一緒にアイスクリームを食べている彼女。
つーか二人とも、よりにもよってハーゲンダッツかよ・・・・・・。
僕はパピコだってのに。
そう、幸村 歪美さんだ────いや、八橋 京さんと呼称するべきだろう。
区別するためのさん付け。
しかし同一人物って、同じ時間軸に存在し続けて大丈夫なんだったか・・・・・・?
結局、僕はどちらも殺すことなく、一件落着まで無理矢理に押しやったわけだけれど。
「いんや、別にぃ。弊害があるとすりゃあ、人の悪意に敏感になったってことくらい?」
「それは割と大問題です」
おいおい。
今回の話の主軸じゃねえかよ。
「まあまあ、そう冷てえこと言うなっての。アイスクリームだけにな・・・しっかし久しぶりに食ったなあ、ハーゲンダッツ。黒蜜きな粉餅の味。」
初夏の気温は、そんな在り来りな寒いギャグで下がることもない(当然だ)。
「時系列は!?」
結構前の期間限定フレーバーだろ、アレ。
一時期どこもかしこも売り切れだったから、僕は全力であちこちを奔走したんだぞ。
・・・・・・いや、でも場所によってはもう再販とかしてたりするのかな?
まあ、今回はこんなもんで。
一応の解決は試みた──けれど。
封じ込めた怨恨が、いつどこで再発するかは分からないし。
これもまた、問題の先延ばしになっちゃうのかな。
ところで、禍福は糾える縄の如しなんて言うけれど────糾える螺旋を生きる彼女にも、いつか福は来るのだろうか。
いや、愚問か。
それこそ、蛇足だな。




