暗黒
「兄ちゃんが良くないことをしているのは、とっくに知っている。」
一旦帰宅してから、再度家を出発しようとした僕に向けられた言葉というのは、妹・悠香の発したそんなものだった。
その宣告はあまりに堂々としすぎていて呆気に取られたし、また突然すぎて呆然とした。
「何?」
「兄ちゃんは多分、私にはよく分からないことをしている。私にはとても話せないような、ひた隠しにするべきことをしているんだと思う。」
────────!
やばい、勘づかれている。
「でもそれでいい。兄ちゃんが良くないことをしていたって、全く気にしないよ────仮に良くないことでも、それが兄ちゃんなりの光なら、正しさなら、私は何も言えないし、言わない。言うつもりもないし、言うことはない。
だから兄ちゃんは、兄ちゃんらしく生きてくれ。他人の代替品として生きることなんて、絶対にしちゃあいけない────人は変われないし、人には代われない。」
「・・・・・・・・・・・・。」
それは──。
それは、今朝に洞木から言われた言葉と殆ど同じものだった。
けれど、洞木が言うよりも、悠香の口にしたその言葉の方が、何故かずっと重く感じる。
どうしてなのだろう。
どうして、気づかれたのだろうか。
「何のことを言っているか分からない────分からないが、お前が僕を心配してくれているらしいことは分かったよ。ありがとう、僕はお前に従おう。
お前の正しさは、僕の正しさでもあるからな。」
「心配していないよ。しているのは信頼さ──だって、兄ちゃんには私がいるからなあ!あっはっはっは!!」
天才妹(笑)は高らかに笑い飛ばす。
ほんと、シリアスな空気ぶち壊しじゃん・・・・・・いい加減にしろ。
「さらっと自己評価に移行するな・・・・・・。」
基本的に余計なことを言うよな、この妹。
がっかりだ。
マジで。
「それじゃあ、僕は出かけてくる──良くないことをしに、正しいことを死に、出かけてくるぜ。」
そんな気取ったようなことを言ってから、僕は2階の自室から階段を降りて家を出る。
曇天の下で黒いマウンテンバイクを駆動させ、もう幾度となく目の当たりにした、とっくに馴染みの深い場所と化してしまったグレーのコンクリートで塗り固められた小さなビルに到達する。
«命題»の事務所だ──いや、ちょっと待て。
暗望はどこにいるんだろう・・・事務所で待ち合わせすると取り決めはしたものの、それが建物の中なのか外なのかでは、大きく入れ違いが起こる。
電話してみようかな。
「はいはーい、もしもし。暗望 闇樹ですよ。倉持って言われがちなんですけれど、そんな在り来りで有り触れて有り余ったような名字ではないですので、よろしくお願いしますねえ。」
数回のコール音の後、その透明な声が僕の耳へと響いた────すぐ近くで。
「っ!?」
暗望は僕のすぐ後ろにいた──どれだけ近くかと言うと、自転車を運転していた僕に気づかれることなく、二人乗りを実現させていた。
・・・・・・いや。
有り得るのか、そんなこと?
「やっほーですよ、先輩。暗望です。倉持ではなく暗望です。努々お忘れなきよう。」
「口で言っても伝わりにくいことを言うなよ・・・あとそれ、多分倉持姓の人が聞いたら怒るぞ。」
つーか、なんで僕の後ろにいる。
「え?えええ?駄目ですか?私は先輩の後輩ですよ、後ろに続く輩ですよ?何故に斯様な心無いことを仰いますか──私は少し悲しいです。」
「この状況での二人乗りが危ねぇっつってんだ、今すぐ降りろ!──というか、いるなら最初から言えよ、完全に無駄足じゃねえか・・・!」
「いえいえ。どちらにしろあちらにしろこちらにしろそちらにしろ、この中に入らないことには用件は解決しません。というか、あなたに依頼内容を話すに際して、同席して頂きたい方がいらっしゃるんですよね。」
それ故にこちらで待ち合わせたんですよ──と、悪びれる様子もなく暗望は言う。
だから、厳密には待ち合わせしてねえだろ。
こちらとそちらとあちらというのがどちらなのかは些か腑に落ちないままだが、まあ、それはそれとして。
「同席して頂きたい方──だって?」
それはつまり、«命題»のメンバーってことだろうか。
でも確か、洞木は寝てるし(そろそろ目覚めているかもしれないが、あいつの寝起きはすこぶる機嫌が悪い)、他のメンバーの動向は分からない。
「ええ。ですからそれがいいんですよ──それでいいんです。十全なまでに十分ですね、私が用があるのは先輩であって先輩でない、" その方 "なんですから。
────洞木 唯一さんなんですから。」
「・・・・・・・・・。」
ふむ。
こんな得体の知れない奇矯な女の子に──ましてや式神遣いの血筋を継いだこの少女に依頼されて、洞木は何と言うのだろうか。
案外キレず、真剣な態度で応じてくれるかもな。
・
「んなわけねえだろてめぇ何考えてやがんだ八つ裂きにすんぞ」
そんなわけなかった──洞木は激怒した。
いや、なんで走れメロス風に言うのだ。
「必ず邪智暴虐の«罪悪»を除いてやる」
そこまで言われるのかよ・・・・・・。
うーん。
「ごめん、許してくれ」
心のこもってない謝罪。
現代人が主に大得意とするであろうアレだ。
「ごめんで済むなら警察も殺し屋も何でも屋もいらねえんだよ」
「その中だと明らかに殺し屋はいらないと思うが・・・。」
逆に何でも屋は必須だな。
「あのあの。その漫才がオチるのはいつ頃になります?堕ちた二人がオチるのはいつ頃になります?」
ついに待ちきれないと言わんばかりの様子で詰め寄る暗望。
人を勝手に堕ちたとか言うんじゃない──と、言おうとしたけれど、どうやらそれも言えないほど冗長なやり取りだったようだ。
暗望と共に事務所に上がってから、もう1時間も経過している。
その間に何をしていたのかと言えば、僕は洞木に事情の説明、洞木は僕にマジギレ、暗望はそんな2人を意に介さず古風な雰囲気を醸し出すセピア色の地球儀を眺めていた。
自由な娘すぎる。
「あー・・・めんどくせえなあ、もう。仕方がねえ、俺はその場に居合わせるだけだからな。«式神遣い»の語りに興味が無いわけでもないし、一応聞いてやるとするか。」
「その言葉を頂けただけで有難いところですけれど、«式神遣い»というのは一族に与えられた称号でして・・・私個人に何かを期待されても困りますよう。」
全身で萎縮するようなジェスチャーをとる暗望。
「じゃあ«式神遣い»としてのお前じゃなくお前一個人が不気味なんだな。────期待はするさ、どうせお前、その気になれば弁は達者なヤツだろうがよ。」
その気持ちは分からないでもない。
言葉巧みに言いくるめてそうだ。
「そこまで言われてしまえば仕方がない────それでは、語らせて頂きますね。いえ、この場合は騙らせて頂きますね、と言うべきでしょうか。
拙いお喋りではございますが、どうかお付き合い頂ければと存じます────よろしくでーす、先輩。」
そこで暗望は、洞木の神経を敢えて逆撫でしかねない慇懃無礼な畏まった口調でそう前置きをし、そしてその後に僕の方を振り向き、ウインクをしてみせた。
どうやら逆撫でしたいのは僕の神経らしい。
「えーと、何から話しましょうか。口下手な私ですから、なるべく分かりやすく、端的に──。
そう、依頼内容から話すことにしましょう。」
「私の幼馴染を、助けてください。」
「«螺旋»を、解いてください。」
何?
螺旋?




