飽和状態
翡翠色の疾風を想起させるほどに、彼──桜木 葉落は颯爽と駆けつけた。
そして何やら意味深長な言葉を発して前回のパートを終えたわけなのだけれど・・・。
待ってくれ。
彼の格好が妙なんだ・・・・・・すごく気になる。
一目で際立つ、人目に目立つ、異彩と鬼才を醸し出す彼の出で立ち。
まず、桜木くんの病人のように白い肌が要所要所で目立つのは、彼が暗黒であって漆黒である、黒い闇のような色をした着物を纏っているからである。
腰の帯には紅の紐で結われた4つの小さな銀鈴が垂れていた。
足には底の高い下駄を履いており、彼の身体がより長身に見えるようになっている──今は下駄まで合計して185センチくらいなのだろうか?
右手には大きな赤い番傘。
旭川 黒羽が先程まで佩刀していた(他人の武器の複製なので召喚したものらしいのだが)怜悧な太刀に負けず劣らずの荘厳な威圧感を放っていた。
全体的に、見事と言わざるを得ないほど様になっている和服姿であるのだけれど。
しかしこの状況、そして何よりこの時代に沿っているものかと問われれば、僕は恐らく僅か数秒で首を横に振るだろう。
江戸時代かよ。
武士か。
しかし当の本人は構わず話す──僕の胸中のツッコミと疑問については、その一切を意に介することなくシリアス展開へ直行するつもりらしかった。
人を見透かす、蛇のような眼を動かして桜木くんは言う。
「なあ、«最悪»──ああ、いや、もう違うのかな。«罪悪»の少年、シンくん。もう一度言うぜ?
君が生きるのは、死ぬ為だ。君が悩んで足掻いて考えて、そして斬られて撃たれて潰されて、苦悶と苦渋を相手取ってまでして──────嫌な思いと厭な想いを背負って。
そこまでして君が生きるのは、君が綺麗さっぱり塵芥すらも痕跡を残すことなく死ぬためだ。未練がましく恨みがましく、うだうだとうぜえこと吐かさずにあっさりと死ぬためなんだ。」
「君だけじゃあなく、俺もさ。他に洞木くんもそうだし、緋雨さんもそうだ。もちろん夜月ちゃんだってそうだし、あの探偵お姉さんだってそうだろう。」
「君はここで死ぬべきなのかい?君はここで死にたいのかい?──やり残したこととか、本当に無い?」
やり残したこと。
やり残したこと。
やり残したこと。
後悔。
我が生涯に蔓延る、悔いの断片集。
一片の悔いすらも残らないなんて──一片の悔いすらも残さないなんて。
出来るわけがない。
「そんなわけ、ないじゃないか・・・桜木くん。
やり残したこと、やりたいこと、まだいっぱい残っている。有り余って、溢れているさ。
────僕はまだ、死にたくない。」
八宮高校に侵入する前、遊海ちゃんとメールで交わした会話を思い出しながら、なんとなく、本当になんとなく、僕はそう答えた。
「僕はまだ死にたくない。僕は死ぬわけにはいかないし、死ぬべきでもなんでもない。
学校に通って友達と雑談をしたい。
妹とくだらない喧嘩で馬鹿騒ぎをしたい。
洞木の正体を突き止めたい。
僕の正体を突き止めたい。
・・・・・・他にも色々あるけれど────それに。」
それは、やっぱり駄目だろう。
いくら僕が嘘に塗れたヤツだとしても────幼い女の子との約束を破るのは、やっぱり駄目だ。
「桜木くん──それにまだ、僕は
朝比奈ちゃんの頭を、撫でてやれていないんだよ──────!」
屍兵の調査を依頼した時の、あの約束。
お礼──報酬。
その約束は、どうしても守ってやりたい。
失望させたくない。
絶望させたくない。
反故に、したくないんだ。
「ふーん・・・・・・だったら少なくとも、君は生きるべきだろう?生きたいなら生きればいいさ。全ては君自身が死ぬために、ね。」
僕は無言で頷く。
彼の腰元で、煌々と光る白銀の鈴が鳴った。
凛。
すると桜木くんは暫くの間──否、実際それは取るに足らぬ一瞬のことだったのだろうけれど、この場面においては永遠よりも、永久よりも、永劫よりも長い瞬間。
長くて永い、一瞬。
とにかくその一瞬、ちらりとこちらを考え込むような、また何かを思い出したかのような視線で一瞥。
「あれ? ・・・・・・にしても君って、そういう趣味だったの?夜月ちゃんはまだ11だか12だかだぜ?男子高校生、未成年。さすがにまずいんじゃないの、それ。」
「違ぇよ!シリアス展開を広げておいた本人が雑ぜっ返すな!僕は少女を愛しているわけじゃない、少女に愛されているだけだ!!」
僕はモテているだけなんだよ、朝比奈ちゃんからは!
「同じじゃん──頭撫でるとか言ってる時点で、そしてそこに命を賭けてまで執心してる時点でアウトだよ。
そこんとこ、君としてはどうなんだろうね?・・・ああ、でも年齢は3桁なんだっけ────ね、旭川 黒羽ちゃん?」
彼は意地悪くそんなことを言いながら、わざとらしく彼女の顔を覗き込む。
「・・・・・・・・・・・・っ」
振るった刀を片手で容易く弾かれた反動から、その場にへたり込んでいた旭川は、彼の凶眼から目を逸らすようにして黙り込む。
「はっはっは、嫌われちゃったかな。まあ人に好かれるなんてのは俺の性じゃあないけれど、それにしても無視はちょいと傷つくぜ。
ああ、今俺が言った" そこんとこ "ってのは、男子高校生が少女の頭を撫でようと躍起になってしまっていることについてじゃあないよ。君は生きるのか、死ぬのか──生きようとするのか、死のうとするのか。生きたいなら生きればいいし、死にたいなら死ねばいい。そこんとこ、どうなんだい?」
へらへらと戯けるように笑っていた桜木 葉落は──翡翠の放浪人は、尚も沈黙を続ける旭川に対し、突如、表情を変えた。
冷酷で残酷な、貫くようなその視線が、彼の心情の全てを物語る──声を低くして、彼はこう続けたのだった。
「なあ、なんとか言えよ。旭川 黒羽・・・・・・・・・もとい、菱森 希心。
──────俺の義妹。」
頬を切り裂くような冷たい夜風に撫でられて、深紅の紐、その末先に括られた鈴がまたも揺れ動く。
憐。
旭川 黒羽は何も言わない。
否定はしない。
そして、こういう逼迫した場においては、沈黙ほどに雄弁な肯定など存在し得ないことを、僕は知っていた。
どういうことだ?
旭川 黒羽は──菱森 希心で。
菱森 希心は──桜木 葉落の、妹?
「ちょ・・・ちょっと待ってくれ。桜木くん、確認したい。
彼女は一体──何者なんだ?」
「うん?今言ったろう。君は人の話を聞かないねえ──良くないぜ、そういうの。」
その言い方は注意するようなものではなく、あくまでもへらへらとふざけたような、揶揄うような、しらを切り通したような口調で、僕はそういう態度こそが桜木くんらしいと分かっていたのだが。
でも違う。
だけど、違う。
話を聞いていたから、理解出来ないんだよ──君は今、何を言ったんだ?
「ふうん・・・ああ、うん。そういやそうだったね。君はこいつと同級生だった。──なら混乱するのも無理はないのかな?やれやれ仕方がない、説明してあげるとしよう。」
番傘を開いた桜木くんは、旭川──と、もう呼べなくなった、存在が不確かな幼い少女をじろりと睨みつけてから、僕の方を向いた。
その化物のような姿を見て僕は思い出す。
一度も忘れたことなんてないその能力の断片を、思い出す。
読心術──彼は人の心を読めるのだ。
本人すら自覚していない、深層意識の底の底まで、覗けてしまう能力。
異能力。
超能力。
つまり、僕が語り部であるのならば、桜木くんは" 読み手 "だ──読者なのだ。
立場を一貫するべきだった。
しかし彼は、読み手である彼は、ついに語り出してしまう。
タイトル未定、あらすじもなければ脚本もない、まさしく『無題』の物語──その一筋を。
彼だけが、彼こそが知り得た、真実を。
「ここにいる彼女の名前は今言った通り、菱森 希心だ。
菱森 希心は君の同級生なんだよね?私立八宮高校──つまり、俺らが今いるここの学校に通う生徒だ。
うーん、どこから話すべきだろうか・・・・・・そう、彼女は幼い頃、捨て子だったのさ。現代的じゃあないし、何より現実的ではないけれど、とにかく血の繋がった両親に見捨てられた、物心つかぬ幼い少女として過ごした時期が彼女にはあった。」
「・・・・・・!」
菱森は捨て子だった。
何ともなく語られたその言葉は、つい先程に振るわれた日本刀の切っ先よりも深く──深く、僕の心を、穿つ。
「それを拾ったのが俺。前に話したと思うけれど、俺は何にも縛られることのない放浪人なのさ──たしか、京都だったかな?そこら辺を旅していた時に、見知らぬ老夫婦に保護されていた彼女を拾った。拾ったという言い方はあんまりなものだけれど、とにかく拾ったんだ。」
「いくら放浪人と言えど、俺はあくまで裏の世界の住人として過ごしていたわけだから、あまり表立って保護してやることは出来ないけれど、それでも気まぐれで彼女を育て続けた。
もちろん、この時点で彼女も裏の世界に生きることは決定的だったよ──だから俺は、基本的な戦闘術、そしてその他諸々を教えておいた。いつ俺が、再び" 気まぐれ "を起こしても構わないようにね。」
桜木 葉落の気まぐれ──それは多分、彼女を見捨てて、旅に戻ることを言うのだろう。
本来、気まぐれで捨て子を拾ったことがまず有り得ないのだけれど、だがしかし、彼にそんなに" 普通 "を求めることは出来ない。
自身が失踪した後の菱森について考えることも、同様に桜木くんの起こした気まぐれだった。
「彼女は吸収が早かったね──うん、12歳になる頃には、大抵の身の危険は対処できるようになっていたさ。他のやつの協力もあって、学校に通い始めたのもこの頃だ──まあなんというか、そういう協力のお陰で、彼女はギリギリ表で平穏な暮らしを手に入れることが出来ていたんだけれど。」
「しかし。
しかし──だ、«罪悪»。
過去、2年前。つまり君も彼女も15歳になる頃なのかな?
菱森 希心は«壊れた»。これは俺が未だに付き添っていたのにも関わらずのことだから、自分の失敗談を語るようであまり気は進まないんだけどな・・・まあいいや、とりあえず取り乱さずに聞いてくれ。」
俺の犯した失敗を語ろう──桜木くんは改めて、そう言った。
「多重人格」
彼は短く、一言でそう告げる。
「・・・・・・? なんだ、それ?」
「おいおい、多重人格は多重人格だよ──多重人格障害。まさか知らないのかい?そこから説明するのは骨が折れるんだけれど。骨折り損の草臥れ儲け──いや、苦労のあまり全身複雑骨折でそのまま死んじまうかも。」
「いや、なんだそれってのはそういう意味じゃあないよ──知ってる。勿論、多重人格障害くらいは知っている。隅から隅まで、余すところなく熟知しているかと聞かれればそれは懐疑的だけれど、そういう意味の質問じゃあない。
寧ろどういう意味だ、という意味で訊いたんだよ。」
「意味意味ってうるさいなあ──俺は意味が嫌いなんだよ。意義も嫌いだ。
あんまり物事に価値とか期待しない方がいいぜ?損得を見出そうとしているやつは、存在こそが大損、大敗北を喫していることに気づくべきだ。
ん・・・ああ、お説教をしている場合じゃあないんだったね?俺の愚妹が悲壮感のあまりに大人しくしている間に、さっさと済ませてしまおうか。」
臨。
「じゃあ話そうか、2年前──そう、菱森 希心は壊れた。何らかの精神的負担、長きに亘って蓄積され続けたダメージが溢れたんだろうね。まあそういうのって、幼少期からの人格形成に依拠するところが大きいし、仕方がないと言えば仕方がない。
でも仕方がないと済ませていい問題ではないんだよ──俺は気まぐれと言えども、彼女の人生を、より良く──ではないのか。より正しくするつもりではいた。
でもそれが功を奏することはなかったね、というか逆効果だったかもしれない。精神がボロボロに崩落し、人格が欠片と欠片に分離、性格が断片と断片に乖離した。
«彼女»は二人いるけれど、それは二分の一が二つあるだけだ。」
「──────────っ・・・・・・それが、その第二の人格が・・・・・・!」
「ご明察の通り、正解だ──その裏こそが、旭川 黒羽。
«鴉»のボスである、ソレだった。」




