共存鏡像
旭川 黒羽。
菱森 希心。
彼女は、彼女らは同一人物だった。
「旭川 黒羽──«大虚鳥»の正体なんて簡単なことさ。
元々そんなものは存在しないんだから。まさしく虚ろなものだったというワケ。
菱森 希心は人格分裂の時に精神に負った傷で、俺の存在を忘れているし、俺が教えてきたことも、共に過ごしてきた記憶も完璧に忘れ去っている──ただの平凡な少女と化している。だから旭川という、真っ黒な己の裏は知らないんだよ。」
「でも旭川 黒羽の方はそうじゃない──表の脆弱な己を忌み嫌い、表の軟弱な己を侮蔑し、表の貧弱な己を後悔した。
そして、そんな自分を造り上げた──育ての親を恨むわけだ。
両親でなく、あくまで俺を恨み続けた。最早それだけが彼女の生き続けている理由だとでも言わんばかりにね。──この場合は" 死に続けている理由 "なのかな?」
「お、おい・・・!!ちょっと待ってくれ、そんな酷な話があるのかよ、桜木くん。だったら彼女は、菱森 希心は────!」
いずれ死んでしまうじゃないか──なんて、言えるわけがないだろう。
肉体を共有している彼女ら。
その一面、旭川 黒羽が菱森 希心を殺すことは実に簡単だ。
自殺すればいい。
そうしてしまえば、旭川 黒羽は封じられる代わりに、菱森 希心も何が何だか分からないまま苦痛に悶えて死を迎えることになるのだから。
「いいや、ところがそうじゃあない──おやおや、どうやら俺の至らない説明の所為で、変な誤解をさせてしまったみたいだね?」
ははは、と韜晦するように笑う桜木くん。
きっとそれも、わざとなのだろう──わざとらしく、誤解を誘発させるような説明をしたのだろう。
「いい加減に、してくれないか──桜木くん。」
震える声で、溜まる鬱憤、吐き気を抑えて、僕は言う。
そんなことを聞いていたら、本当に────狂ってしまいそうだ。
「へえ・・・?君はそんな風に他人のために怒ることが出来るんだねえ──まあいい。説明するよ。」
「旭川 黒羽──彼女は一度生まれたら最後。人の心から生み出されてしまえば、それが最後──それが最期なのさ。
彼女は人の心に巣食う悪魔みたいなもんでさあ・・・・・・本人が言っていたよね。彼女は600歳なんだ。その生命操作の能力を用いて、人から人へと憑代を次々に変えて生き続ける。
生き憑ける──霊だ。」
「今回憑依したのは、精神に傷だらけ、隙だらけの少女──菱森 希心だったというだけ。まだ子供だからね、精神面もただでさえ未発達だ、仕方ない。
菱森 希心の中に生まれたのは2年前だけれど、実際のところ、旭川 黒羽は600年前から存在し続けている。
彼女は言うなれば邪心の権化──自殺なんて出来やしないし、死ぬ事すらも不可能だ。」
「一生なんて概念は彼女にはないんだけれど。
とにかく一生、人に宿り続ける。
一生、人を恨み続ける霊。それが旭川 黒羽だ。」
絶句。
菱森 希心は──彼女は、そんなものに憑かれたのか?
そんな、恐ろしいものに?
恐怖。
僕は一歩、後退りしてしまう。
スニーカーがグラウンドの地面を擦る音が、やけにはっきりと耳に入った。
「方法を──教えてくれ。」
「うん?」
「方法・・・旭川 黒羽を、その黒い怪物を、狂気の怪物を、菱森の心から消す方法だ。」
「はっ──────」
「はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはァ────────!!」
哄笑。哄笑。哄笑。
桜木くんは笑う。
笑う──笑う笑う笑う笑う笑う笑う笑う笑う笑う笑う笑う笑う笑う笑う笑う笑う笑う笑う笑う笑う笑う笑う笑う笑う笑う笑う笑う笑う笑う笑う笑う笑う笑う笑う笑う。
「ないよ、そんなもの────いくらなんでも、都合が良すぎるだろ。
ん?あ、まあ、あるにはあるけれど、たった一つだけ。」
「菱森 希心を殺せばいい──そうすれば旭川 黒羽は、憑代を喪失し、他の人間を求めて自ずと出ていくさ。」
────────────ッ!!!
「お前ェェェッ!!」
僕は走り出す──そう遠くない闇を纏った痩躯に向けて。
なんなんだ──こいつ!!
飛びかかれ。殴れ。殴れ殴れ殴れ。
僕は桜木くんの胸ぐらを掴む。
「おっと、あまり感情的になるなよ──こういうところで理性的になるよりはマシだけれど。
『狂人とは、理性を失った人ではない。理性以外のあらゆるものを失った人である。』だっけか──チェスタートンの言葉だ。」
「だって・・・・・・だって!!
僕達は──«命題»、何でも屋だろう・・・憑き物落としくらい、出来るんだろ・・・・・・!」
手に力が入らない。
掠れた声で呟きながら、僕はその場に崩れ落ちた。
「憑き物?笑わせるなよ。これは彼女が背負わなきゃいけない問題だ──俺らが何でもやるとは言えど、依頼でもないし、たとえ依頼だとしても、外部から手出しすべきではない。
そんな過ちを犯してしまうということこそが、彼女にとって最大の«最悪»で、君にとって最大の«罪悪»だ。
違うかい?」
いや。
違くない。
全くもってその通りだ。
桜木 葉落、あんたは正しい。
でもそれは、間違った正しさだろうが────畜生・・・っ!
細長い腕で僕を振り払った後に、突如、桜木くんは地面の一方向を指で指し示す。
旭川 黒羽ではなく、体格も見た目も全然異なる少女が。
菱森 希心が、意識を失って倒れていた。
僕は彼女の身体を抱き起こす。
大丈夫──生きている。
異常は何も無い。
普通の、少女の身体だ。
「下手に干渉するな。介入するな。それが菱森 希心のために俺らが出来る唯一のことだし、それが旭川 黒羽のために俺らが出来ないただ一つの、たった一つのことだ。
君に出来ることは、何も無い。」
倫。
こうして、菱森 希心──僕の同級生にまつわる一連の事件は終わりを迎えることはなかった。
散々踠いて足掻いたくせに、解決したことは一つもなくて、いろいろと果てしない先、未来へと持ち越してしまった。
先送りを許したし、後回しを許してしまったのだ。
今この瞬間も、旭川 黒羽は彼女の中で生きているし、これから先も、菱森 希心は旭川 黒羽と共に生き続けるのだろう。
僕には止められない。
誰にも止めてはいけない。
銀鈴が歌う闇夜の中で、放蕩無頼な放浪人と、乖離した壊裏を背負う少女と、そして何もしなかった、何も出来なかった最悪の僕は。
とりあえず、«命題»の事務所で朝が来るのを待ち続けた。
朝日が昇るのを、待ち続けた。
そして。
暗黒なまでに、残酷なまでに颯爽と月日は過ぎていった。
時は移ろい、殺伐としたゴールデンウィークも終わりを迎え、ついに6月へと突入。
「えー・・・・・・連休明けから病気で欠席を続けていた菱森が、ついに復帰したね。
これからも気を引き締め、学級委員長として頑張ってくださーい。」
2年1組の教室にて執り行われたホームルーム。いつもと何の変わりもない、恐ろしいまでの恒例行事だ。
僕はクラス担任である大津先生の朝の挨拶を軽く聞き流す。
ふとその席に視線を向けると、そこには確かに、見慣れた少女の姿があった。
見慣れた姿が。
「せっかくの休日だったのに、なんか病床に伏しちゃったみたいでさー・・・嫌になっちゃうよね。
でもシンくんが看病してくれたお陰で助かったよ、ありがとねっ。」
僕を振り向いて、そう言った。
菱森 希心はそう言った。
明るく微笑んだ。
「うん・・・いや、いいよ。気にするな。それよりも、病み上がりなんだからあんまり無理するなよ。」
ホームルームの終了を知らせるチャイムを聞きつつ、適当に言葉を選んで、半ば強引にその会話を終わらせる──今にもこの場から逃げ出したかったし、何なら消えてしまいたかった。
いなくなりたい。
彼女のために。
やめてくれ。
やめてくれよ、菱森 希心。
お礼なんかを言わないでくれ。笑顔なんかを向けないでくれ。
僕はお前に、何も出来ない。
僕はお前に、何もしない。




