憎心の刃
ほとんどの人間が負傷しているため、鳩首凝議という選択肢はまず端から存在していなかった。
しかしその中でも、朝比奈ちゃんが快復しつつあるのは勿怪の幸いと言うべきだろう──これは単に彼女のことを思って言っているだけでなく、別の意味もあって、そしてその別の意味とは──つまり、その立場に理由があった。
«情報屋»。
彼女にかかれば、知れないこともない──識れないことも、ない。
ひねくれた言い方をするならば、そして些か矛盾を孕んだ言い方をするならば、彼女は«知らない»という概念を«知らない»のだ。
頑迷固陋な僕の頭脳とは違い、朝比奈 夜月の頭脳は半ば人間と呼べないものがある。
規格外。
まあアレだ。
残念なことにそんな御託を並べている余裕は今はないから──彼女が死力と全力で調べ上げた物語を、仕立て上げた物語を、僕は完結させに行くとしよう。
集結する終結──これまた酔狂なものだ。読者の皆が総じて「ざまあみろ」と嘲笑したくなるような予想外予告外、想定外に奇想天外なひどいオチを、僕は演じに行くとしよう。
ここでふと時は遡る。
時間遡行をさせてもらおう──少しだけ。
終章は、幸村さんが一連の事件の流れ、その顛末を語り終えたところから始まるのだ。
「──それで最後に、これが朝比奈ちゃんのメッセージだ。伝えられることはこれで全てだ、って言ってたぜ。」
幸村さんはそう言って、自身のスマホを僕の目の前に翳す。
そこには、こんなことが書いてあった。
『招聘
今夜22時、私立八宮高校グラウンドに来い。
そこで全ての«貸し»を返してやる。』
なんともシンプルな文面だった。
元はと言えば、このメッセージは朝比奈ちゃん本人のパソコンに突如届いたものらしい。
送り主は誰なのか、探知することが出来ないでもなかったのだが──曰く、" どうしても深入りが出来ない "そうだ。
韜晦するような明らかに不自然な物言いなので、流石の僕でも訝しむ────しかし、彼女がそういう言い方をするのは、並々ならぬ厄介な事情があるというこの上ない説得力を有した最有力の証拠だ。
僕はそれを知っている。
間違って、知ってしまっている。
" どうしても "と、不可能を強調されてしまっているなら、尚更。
なのであえて僕は何も言わず、というよりそれ故に僕は何も言えずに、そのままそのメッセージの指示に従うことにした。
鵜呑みにすることにした。
騙されてやることにした。
勿論、止むを得ず。
時計を見ると、既に21時。
絶望に長いこと苛まれていたせいで、時間の感覚がおかしくなっていたらしい──しかし不思議と、空腹も眠気も感じなかった。
頭が冴えている。
「わかりました。では、そろそろ行ってきますよ。」
懊悩とした気分は蟠ってこそいたものの、しかしさほど逡巡することも、低徊することも無く僕は立ち上がる。
決意も決断も、僕には容易いことだった。
喪失するものは何もない、僕にとっては。
「おう、いってら」
幸村さんはただのそれしか言わない。実に事も無げに、僕を一瞥するだけだ。
僕は事務所を出た──もしかしたら、二度と帰れないかもしれない«命題»の事務所を、出たのだった。
扉の開く音が、やけに重く感じたり──────は、やっぱりしなかった。
いつも通りの、外出だ。
小道を歩きながら、僕は思考する。それは同時に思案でもあったし、思索でもあったが。
ともかく凡推するならば、メッセージの送り主は当然、«命題»を襲撃したという謎の少女で──そして。
その内容の意味はどう解釈する?
«貸し»を返す・・・いや、これも僕には既に解っていることだっけか。
解釈も何もない、単純すぎるな。
すごく単純で、すごく単調。
すごく簡単で、すごく簡素。
画面の前で首を傾げている読者の皆にも分かりやすく、平坦に、平凡に言うならば、つまり。
「決闘ってヤツか・・・・・・。」
僕は呟くが、その言葉の意味するところに今ひとつピンと来ない。
イメージが出来ない。
言葉の重みがわからない。
それこそ漫画やアニメの中だけだと思っていたんだ──つい最近までは。
この世界に踏み入るまでは。
戦闘だとか。
決闘だとか。
──死闘、だとか。
「ぞっとするな──死ぬのかよ、僕。」
まあいいか。
昔から、というと、さも理由もなく厭世家を気取ってるヤツに思われるので、あくまでも正鵠さを期した物言いをするなら、" あれ以来 "、散々僕は死にたがっていたじゃないか。
糸が縺れ──意図が千切れ。
命の圧に耐えて──命の圧が絶えて。
僕が喰い荒らした命へ──僕に悔い遺した命へ。
謝罪をするべく、そして贖罪をするべく、死に場所をずっと探していたじゃないか。
終わりたがっていたじゃないか。
既に終わっていたくせに。
始まってすら、いなかったくせに。
何を今更、生きたがるってんだ。
死ぬのは怖いけれど、恐いけれど、それもまた悪くない──そんな愚かな軽口を平気で言える僕だったじゃないか。
なのに。
なのに、どうして。
なのに、なんで──!
「・・・・・・・・・・・・っ。」
僕は泣いていた──のだろうか。
いや、第三者視点で見てしまえば、明らかに泣いていた。泣いていたのだろう。たしかな体温を持った涙が、途切れることなく頬を伝う。
しかし僕は泣いている気なんてしなかった────寧ろ、どこかいっそ清々しいような、晴れやかな、爽やかな気分でいた。
良い言い方をすれば、覚悟を決めた。
悪い言い方をすれば、諦めた。
そして、僕らしい言い方をすれば。
それは、開き直った──そういうことなのだろう。
そういうことであって、そういうことでしかなく。そういうことと言い切る他に、割り切る他に、道は無い。
いくらアンタが読者だからと言って、そこに無闇な解釈を、無粋な解釈を付けないでくれ──それは流石に、牽強付会が過ぎるってもんじゃあないのか?
そんなことを考えていると、ともすれば容易に通り過ぎてしまうようなその門へと逢着した。
私立八宮高校──正門。
腕時計の時刻は21時43分。
あと開始までに──解死までに、17分ある。
ではその17分間をフルに活用して、僕は愚考しよう。
この薄暗い闇の中で、しかし僕という存在は、決して溶暗するわけにはいかない。
だって僕は、まだ。
「✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕」
精一杯、残りの時間たっぷりと。
自分の愚かさを、謳歌していたい。
さて、考えるべきことは何だ?
まずこの仕事──一応、連絡は入れておくべきだろうか?
ならばまだ意識は覚醒していないけれど、洞木にメールで一報を入れておこう。
あいつなら、きっと僕の決意を理解してくれるはず・・・と、願いたいような気持ちがある。
・・・・・・妙に自信なさげで嫌だな。
兎にも角にも、洞木 唯一は何でも屋であり、«命題»のリーダーであり、そしてそれ以前に、僕の表裏一体の存在──鏡写し。
僕と正反対であるのと同時に、僕自身でもあるのだから。
文字通り、自分のことは自分でやるさ。
僕はスマホのメッセージアプリを開いて、洞木に『これから死ぬかもしれないけど後はよろしく』と、事情の説明として一切の体を為さないメッセージを送信した──それも、この一文で彼なら全てを理解出来るという信頼あっての行動。
「?」
既読が、ついた・・・?
洞木は返信が早い方ではないし、そもそもまだ昏睡状態と踏んでいたため、すぐ反応が表れたのにはそこそこ、つーかかなり驚いた。
『帰ってきなさい』
『美味しいご飯をご馳走してあげる』
『いつまでも事務所で待ってるわ』
『死んだらぶっ殺すから』
と4つのメッセージが間髪入れずに、立て続けに送られてきた──口調、というか語調が洞木と違う。何なんだ?
『あなたの親愛なる友人・切裂 遊海より』
あ。
そうか──遊海ちゃん、あのやけに殊勝な女の子が負傷したのを、幸村さんが治療したって話を少し前に聞いた記憶が朧気ながらにあるぞ・・・だったらもう、全快しててもおかしくはないのかな?
「・・・・・・いや、しかし。」
なんで遊海ちゃん、事務所にいるんだろう──それはまあいい。誤差やら誤算やらの範疇に充分収まるほどの些事。何らかの方法で幸村さんがそこにいることを、或いは«命題»が危機に陥っていることを何らかの方法で知り得て、そして駆けつければいいだけなのだから。
でも。
他にもいくつかツッコミどころはあるぜ?
なんで洞木の携帯を遊海ちゃんが持っている──というより、なんで本人が昏倒して意識を失っている間にそのロックがあっさり解錠されちまっているんだ。
セキュリティが緩い。
パスワードを誕生日とかにするな。見抜かれやすいんだぞ。
そして『死んだらぶっ殺す』って何だよ──僕のツッコミ待ちか?
遊海ちゃん、別に頭が悪いわけではなかろうに。
もしかして、菱森みたいに「国語の出来ない文系女子」だったりするのかな?
・・・・・・いや、そもそも学校に行っているのか?
裏の世界の殺し屋なのに?
でも、初対面の時はセーラー服を着てたしな。
どうなんだろうか。
いやしかし、もしもツッコミ待ちであるのならば、僕は期待に応えないとならない──なんて謎の使命感で僕は『死んだらぶっ殺せないだろ』と短くツッコミを返した。それも携帯で。文字で。
やっぱり、イマイチ決まらん。
『そうね。つまりあなたに死ぬという選択肢は有り得ないわけよ。』
『私がぶっ殺してやれなくなるから。』
「・・・・・・・・・。」
僕は無言で携帯画面下部に表示されたキーボードを打鍵する。
少なからず、嘆息したい気持ちもそこにはあったのだが。
『素直に死んでほしくないって言えばいいじゃん』
『そんなことを言うのは屈辱だもの』
『そうかな。しかし僕が無事に帰ってきたにしても、殺すのは遠慮してほしいね。だって僕は』
だって僕は。
だって僕は。
だって──────。
『僕はまだ、生きていたいからさ。』
『了解したわ』
僕はスマホの電源を切り、鞄の中に投げ入れる。
21時55分。
僕は正門を攀じ登り、学び舎の中へ侵入することに成功した。
「月夜が綺麗なんてよく言うけれど」
冷涼な風と共に、透き通るような美しい声が響いた。
「しかし夜というのは、曇天の時こそ美しい──そうは思わない?ねえ、キミ。」
声の方向へ視線をやると、何やら幻のような少女がそこに佇んでいる。
朧気──触れればすぐに崩れてしまいそうな・・・否、" 消えてしまいそうな "、儚げな、存在すらも不確かな、そんな幼い少女が。
暗闇、夜空の中でも微かに輝く白いワンピース姿で。
ただ、そこにいた。
そこに存在していた。
「ああ、鞄は何処かに置いてきなさいよ・・・・・・これから戦闘だってのに、邪魔でしょう?」
「そうですね」
僕はグラウンド端、体育倉庫の古びた鉄扉の前に黒いリュックサックをそっと置き、そして元の位置へと歩きながら彼女と向き直る。
「確認しておくけれど、君は既に私の正体を看破しているということで構わないのね?」
「構いません。何も問題ありませんよ──それこそ正解と言ったところです。さながら模範解答ですね。」
僕は戯けるように両手を広げ、そう返す。
「幸村 歪美・・・・・・彼女のお陰かしら?」
「どうでしたっけね」
今度は肩を竦めて答える──大丈夫、落ち着け。
白黒の合間、グレーゾーン。
どっちつかずの曖昧とした誤魔化しは、調弄しは僕の本分。得意分野だ。
「一つ、こちらからも質問して構いませんか?」
僕は訊ねる。
「ええ、どうぞ」
「あなた、おいくつです?」
「レディーに年齢を訊くなんて、これまた無礼な子供ね。」
「おっと、こいつは失礼──何せ、あなたは既に" レディー "と呼べるのか怪しいもんで。懐疑的でいるべきというか、猜疑心でかかるべきというのか。」
僕はへらっと巫山戯たように笑って言ってみせる──奴の神経を逆撫でするように。咋に挑発するように。
「・・・・・・600歳よ」
若干眉間を動かし、苛ついたような表情を僅かながらに浮かべた彼女。
こういう敵意に満ち溢れた表情こそ、幸村さんなら「おもしれー表情してんな、俺様の敵にピッタリだぜ」と快活に笑い飛ばしてみせるのではないだろうか。
あの豪放磊落な人ならば、多分そうするだろうな──なんてことを、少しだけ僕は考える。
「教えてくれてありがとうございました。これで存分に殺り合う事が出来ますね──恨みも辛みも僻みも妬みも、全てを気にせずに。」
「あら、たしかにそうだわね──だったら改めて、互いに挨拶でも交わしましょうか?礼儀礼節は大事だからね。」
そうして僕と彼女は、グラウンドに大々的に用意された陸上トラックの中心に位置して、互いに背中合わせになった。
僕のそこそこの身長と、彼女のやはりそれ相応としか形容出来そうにない少女の矮躯では、かなり僕の背中に空白が存在したが、今となっちゃあそんなことはどうでもいい。
一筋の夜風が首筋を撫でる。
刹那、髪の毛がふわりと揺れた。
「では、始めましょう────我が敵よ。」
彼女は言う。
「はい。終わらせましょう──«旭川 黒羽»さん。」
僕は言う。
僕は。




