二章 『スタート・ライン』 Ⅱ
5:十二号館‐四〇二/鹿崎悠斗
「なっ……!?」
まるで予想していなかった返答に言葉を失う。普段から紅葉が俺を止めることは比較的よくあることだが、ここで断られると言うのは一切考えていなかった。俺ほどではないにせよ、紅葉も三年前に『㎡onochrome』をかなり熱狂的にプレイしていた。当然『カラーリング・ラン』に対しても強い興味を抱いているはずだが……。
「――と言いたいとこだけど。その誘い、条件付きで受けてもいい」
そう口にした紅葉は再び息をつく。今度はため息のような印象を受けた。さっきまでの張り詰めた空気が緩み、本能的に安心すると同時にその言葉が引っかかる。
「条件?」
俺が繰り返すと、紅葉はあごに手を当てて考え込むようなしぐさを見せた。
「……そうだね。何か勝負をしよう。悠斗、君が勝ったら僕らは君の望む通りにしよう。でも、僕が勝ったら――この誘いは受けられない」
対して、俺の頭には大きなクエスチョンマークが浮かんでいた。
なぜなのか。なぜそんな勝負をしなければいけないのか。紅葉が本気でやりたくないならば、そんな勝負さえすることなく拒否すればいい話だ。
「どうしてだよ。俺と一緒にやるのが嫌なのか?」
「そうじゃないよ。ただ僕は……君の覚悟を試したいだけさ」
「覚悟……?」
俺が灰色の世界にあったような『楽しさ』をどれほど求めてきたか、まさか知らないわけではないだろう。
「勝負内容は君が決め――「だったら『カラーリング・ラン』だ」
不意に、言葉を挟んだのは幸也だった。
紅葉は目の前の俺から視線を逸らして、声の主である幸也の方を見た。
「その勝敗、『カラーリング・ラン』で決めよう」
「……僕は悠斗に聞いているんですが」
紅葉はふちの厚いメガネの位置を正しながら、低い声で幸也に食ってかかる。こいつが俺や家族以外にこんな態度を取ることは珍しい……いや、正確に言えば初めてだ。
「そうか。それじゃ悠斗くん、君はどうしたい?」
幸也は俺に決断を投げる。紅葉も俺の方に視線を送る。それもどうやら俺が勝負の内容を決めろと言う意味らしかった。俺は自分がどうするべきかを僅かに考え込む。
『強くなれ。速くなれ。そしていつか――』
いや、違う。俺が考えることはどうするべきかじゃない――どうしたいかだ。
この世界の『正しさ』の先に『楽しさ』があるとは限らない。だが俺が『楽しさ』を求めることこそが、俺にとっての『正しさ』だ。それだけは間違いない。
そしてこの場合で言えば、紅葉に遠慮することはしたくない。他ならぬ紅葉自身が戦うことを望み、俺もまたそれを望んでいる。ならば選ぶべき選択肢は……。
「……スアマ」
「? ……え、あっ。ハイ!」
俺はその名を呼んだ。スアマは最初自分が呼ばれたことに気付いていなかったのだろうか、遅れて返事をした。もしかしたら彼女はあまり下の名前で呼ばれる機会がないのかも知れない。
「頼む。手を貸してくれ」
「え、えっと? ……私は、いい……けど?」
勢いよく頭を下げた俺に、スアマはわずかに戸惑ったようだ。
ふっと笑う声が小さく漏れたのが、俺の耳に届いたがおそらく幸也だろう。きっと幸也にはこの後に俺が言おうとしていることがもう分かっている。まるで、予知能力でも持っているかのようだ。だが幸也は関係ない。これは俺たち……『|R《》アール』の問題だ。
俺はスアマに向けて下げていた頭を起こすと、紅葉の方に身体を向けた。
お互いの視線が合う。その低い目線は睨んでいるように見えた。
「紅葉、勝負をしよう。勝負内容は『カラーリング・ラン』だ」
「……望むところだ」
悠然と言葉を返してくる紅葉に、俺はこう付け足した。
「ただし、二対二の勝負だ。葵の加入も賭かっているんだからな」
葵自身はおそらくどちらでもいいのだろうが、この際なら対立構造は単純にしておこう。色を減らすように。その方が俺にとっては楽しいから。
俺のセリフはまだ終わっていない。
「そして、俺は…………スアマと組む」
6:十二号館‐四〇二/鹿崎悠斗
紅葉との勝負はその日に行われることになった。
ルールは一般的な十人で行う『カラーリング・ラン』を元として、アサミ達がそれを四人用に一部変えたルールを適応することになった。元々の『カラーリング・ラン』のルールを知らないことが返って幸いしたか、俺たち四人にとってはその変更点は気にならなかった。さらに言えば、俺たちは四人とも『㎡onochrome』の元プレイヤーなのでほとんどのルールが受け入れやすいものだった。
勝利条件は、制限時間の終了時点での《色相球》を所持。今回は普通の試合と異なり使用する《色相球》は一つだけだ。審判である幸也が終了の宣言をした瞬間に、《色相球》を所持していた選手のいるチームの勝利と言うことになる。
当然ながら暴力行為は禁止で、勝負範囲はバスケットコート内のみ。
もしもバスケットコートから《色相球》が出た場合、幸也たちがコート内へ無作為に投げ込むことになっている。十秒以内にコート内に《色相球》が復帰出来ない場合には時計を止めて、復帰した時点からカウントを再開させる。選手が場外に出ても時計を止めることはしないが、審判に悪質と判断された場合にはペナルティの対象だ。
お互いに《彩色服》と呼ばれる左右の肩と腰に触れられると《制限状態》になってしまうマークの付いた『カラーリング・ラン』専用の上着は装着必須。もしこれが外された場合には強制的に《制限状態》となる。
《制限装》と呼ばれる手袋に関しては、装着は任意だ。ただし、一人につき両手分である二つまでしか持ち込めないことになっている。これは試合中に着脱しても一切のペナルティを受けない。
実際の『カラーリング・ラン』と同じく《着色銃装》は一チーム一丁まで持ち込み可能。だが、持ち込む場合にはその代わりとして《制限装》の持ち込み数の上限が一つ減る――つまり、《着色銃装》を用いて戦う補助射手は、片手しか《制限装》を装備出来ないのだ。
「…………」
俺は、爪を噛む。
あの灰色の世界『㎡onochrome』では、この世界で《制限装》と呼ばれているものは存在していなかった。全てのプレイヤーの手首から上そのものが相手を《制限状態》に追い込む武器だったのだ。
ならば当然、《着色銃装》を持つプレイヤーが変則的に前衛走者として戦うことも可能だ。
通称――『オーバーラップ』。これはあの世界ではれっきとした作戦の一つだった。
だが、この『カラーリング・ラン』ではほぼ不可能だ。これが俺が爪を噛んだ理由。
「それじゃ、バスケコートに移動する前に《着色銃装》を使うかどうかを聞いておこうかな」
再びあの段ボール箱の中身を取り出しながら、アサミは尋ねた。対して俺はどう答えるべきかを迷っていた。俺のパートナーであるスアマは、補助射手としてフィールドに立ってこそ真価を発揮する。普通に考えれば、ここは彼女の片手分の《制限装》を犠牲にしてでも《着色銃装》を持ち込んでおくべきだろう。
だが、それは……ゲーム『㎡onochrome』の理論だ。
今から俺たちが始めようとしているのはゲーム『㎡onochrome』じゃない。スポーツ『カラーリング・ラン』だ。そこに求められるのは全く別の理論かもしれない。
今回の勝負範囲の狭さなどから総合的に判断した俺は、この勝負に《着色銃装》を持ち込まないことを決め――
「それじゃ、うちのチームは葵の左手分の《制限装》の代わりとして《着色銃装》を持ち込みます」
先に宣言をしたのは紅葉だった。
「っ…………?」
俺は不思議に思う。
灰色の世界でトップクラスの戦いを経験し、俺と同じ思考回路で作戦を組み立てていたはずの紅葉が、なぜここで《着色銃装》の持ち込みを選択したのか。
宮島兄妹に二人がかりで前衛走者として攻めて来られたらいくら俺でもいなしきれない。身を隠す遮蔽物の無いバスケットコートの中では三十秒と保たずにスアマの《制限状態》化は必至。二対一の構図からの必勝戦略で来るのだとばかり思っていた。紅葉も分かっていたはずだ。
けれど――紅葉はあえてそうしなかった。
不意に紅葉と視線が合う。そして一瞬だけ、その瞳の奥で轟々と燃えたぎる戦意の炎が見えた気がした。まるで本当に炎を見たような錯覚に陥るが、これは事実ではない。だが紅葉の真意については確信した。
「……分かってるよ」
俺は紅葉から目を逸らしてアサミの方を向く。急かすように睨みつけてくる紅葉の視線を肌で感じながら、俺もはっきりと宣言した。
「俺たちも《着色銃装》を。代わりにスアマの左手の《制限装》を持ち込まないことにします」
「審判として認めます。……ずいぶん悩んでいたみたいだけれど、やっぱりね」
後半はおどけるような口調になってアサミは言う。
やっぱり、と言うのは俺が前衛走者のポジションを選んだことに対してだろう。アサミは先日の一件で俺の走者としての能力を知っているからだ。
「それじゃ、やるか」
横に立つ紅葉に向けて声をかけると、《彩色服》と《制限装》を手に持った紅葉は何も言わずに頷いて部屋を出て行った。
葵も俺の方をちらちらと見ながら後に続く。俺は大丈夫であることを示すように葵に微笑みかけた。部屋を出ていく葵が左手で作ったピースが見えた。バスケットコートを案内するために幸也もすぐに部屋から出ていく。
「……いやー。なかなか頑固と言うか、癖のある友達だね」
半開きの扉を見ながら猫川がつぶやく。俺は肩を竦めた。
「昔から紅葉はあんな感じですよ。でも……」
「でも?」
「あんな風に、俺にだけは正面から向き合ってくれる奴です。だから大好きなんですよ」
紅葉は誰にでも礼儀正しい男で、妹の葵には甘い。そんな紅葉が俺に対してだけは妥協なく全力でぶつかってきてくれる。あの表情をした紅葉を見るのは久しぶりだった。昔は何度も紅葉が俺に対して抱いていた感情、それは単純な対抗心だ。俺が今ここでそれに応えないわけにはいかない。
「なるほどね。友達が言ってた『幼馴染萌え』ってやつが分かった気がするわ」
猫川は感心するような顔でそんなことを言い出すので、俺は苦笑を返した。
はっきりとは分からないが、猫川の友人のその言葉は異性間のものを指していたのではないだろうか。もし同性間のそういうことを指して言っていたのだとしたら、なんと言うか残念な友人だ。
「猫川先輩の友達にも、うちのクラスの女子みたいな奴が居るんですね」
出来れば猫川にはその道には進んでほしくないと思った。はっきり言ってあんな鬱陶しいリアクションをする女子は自分のクラスメイトだけで十分だ。
「にゃー」
「「「……」」」
硬直した表情で無言の俺に、読口とアサミの沈黙が重なる。
ちなみにスアマと石川は元から一言も喋らない。
「……どうかした?」
けろっとした顔をしている猫川を見る限り、たった今肯定の意味でおかしな言葉を口走ったことに自分自身では気付いていないのだろう。ここは触れずにおいておくのが吉だ。
俺はふぅと軽く息をついた。
「いえ。それじゃ、そろそろ勝負に行きますね」
「勝利の自信は?」
「そう尋ねた浅見朝霞。だが、どうやら彼女自身は鹿崎悠斗の勝利を疑っていないようだ」
後ろから投げられたアサミの言葉に、振り向かずに答える。
「そうですね。…………誰より一番楽しむのは俺。それだけです」
冗談めかして言う。正直に答えれば勝てる自信なんてない。
これは灰色の世界での話だが、俺と紅葉との間に実力差はほとんどない。
いやむしろ紅葉の方が実力が上の可能性もある。加えて今回の紅葉はどうやら本気らしい。じっとりと嫌な汗が首筋を伝うのを感じた。そのくせ指先は冷たく震えている。
惜敗か、辛勝か。
コインの裏表のように、逆の結末の可能性を孕んでいる。
「……それじゃ悠斗に、ここのモットーを送るわ」
「モットー……ですか?」
にやっと笑うアサミは白い歯を見せて、
「《楽しんだもの勝ち》――――絶対勝ってね!」
勢いよく俺の背中を叩いた。
7:十七号館裏バスケットコート/鹿崎悠斗
「それでは、これより変則ルールによる『カラーリング・ラン』試合を行います。両チームともにエンドライン上に立ってください」
この勝負の主審を務めるアサミは事務的な口調で告げる。
横幅の広い学館のシルエット。その日陰に位置するバスケットコートには《彩色服》を着た俺たち四人の姿があった。コートのそれぞれのラインの外側にアサミ・幸也・読口・猫川が立っている。改めて見回してみると、石川が少し離れた木陰のベンチに座ってスマートフォンをいじっていた。今日も石川は居ないものとして扱われているらしい。
「チームA。リーダー・鹿崎悠斗」
「……ゲット」
『カラーリング・ラン』では試合開始前に一人ずつ確認を取る。自分の意思で試合に参加することを宣誓する儀式のようなものだ。ここでは基本的に何を叫んでも良いらしい。
俺はゲーム『㎡onochrome』での対戦スタート時に表示されるメッセージ――「GET COLORS!」から略して『ゲット』とだけ答えることにした。
「チームA。射手・上山素甘」
「……げ、げっと」
スアマはとりあえず俺に合わせたようでそう答えた。
恥ずかしいのか、返事をする声が震えていた。なんか可愛いな。
「チームB。リーダー・宮島紅葉」
「大丈夫です。どうぞ」
「チームB。射手・宮島葵」
「だいじょーぶでーす」
葵の底抜けに明るい声が響く。
こう言う時は彼女のマイペースさが有難かったりする。俺と紅葉だけでは険悪なムードになってしまうことも少なくない。狙ってやっているわけではないのだろうが。
「試合開始カウントを始めます。3……」
バスケットコート一つ分の距離を開けて、反対側のエンドラインに立つ紅葉と目が合った。
「2」
交わす言葉はない。代わりに自分の持てる全力で挑むだけだ。
「1」
センターサークルの中心にぽつんと置かれた《色相球》。
試合開始と同時に、走者である俺と紅葉が互いに全速力で走り込み、先にこれを手にした方が試合の主導権を握ることになる。
逃げるか。それとも、追いかけるか。
「……スタート!!」
「っっ!!!!!!」「っらぁぁ!!!!!!」
アサミの声をスターターピストルの代わりにして、俺と紅葉、二人が同時に走り出す。
お互いに相手のことなど全く見ていない、センターサークルへ最高速で飛び込むための疾走。
だが見なくても分かる。相手も全力で走っているのだと。
前のめりに足元だけを睨む二人の走行は、すぐに交錯の瞬間を迎えた。
今回の『カラーリング・ラン』の変則ルールではいずれかの選手が《色相球》に触れるまでは《着色銃装》の使用は認められていない。それは逆に言えば、《色相球》を掴んだ瞬間が真の試合開始だと言うことだ。
目線を上げる。紅葉も全く同じタイミングで顔を前方に向けた。
センターサークルの中心に置かれた《色相球》に向けて、お互いに右手を伸ばす。
わずかに――――紅葉の方が速い!
口元をニヤリと歪めた紅葉は右手を上げ、
「――違う、悠斗さんっ! 《色相球》狙いじゃないっっ!!」
蛇のようにぬるりとした曲線を空中で描いて、紅葉の右手が俺の《彩色装》のマークを襲う。
スアマが早口で叫んだ警告が俺の耳に届いたのは、紅葉の奇襲の直前だった。
地面に置かれた《色相球》に向けて、逆側から走り込んでいる俺にとって逃げ場はない。
「まずは、悠斗を《制限状態》にする……ッ!!」
紅葉の右手は、俺のマークを狙って正確無比に放たれた一撃。
左右に逃げ場はない、ならばどうするか。――俺は上半身にだけブレーキをかける。
前方への運動エネルギーを下半身に注ぐことで、俺の《彩色服》を少しでも紅葉から離す。
「逃がすか!!!!」
叫び、紅葉はそのまま自分から距離を詰める。むこうが一歩分詰める間にこちらは半歩後退するのがやっと。その場しのぎにすらならない回避の手では一秒ともたずに捕まってしまう。
俺はぎりりと歯をくいしばり、笑い返す。
――あぁ。久しぶりだ、この感覚。
全力の自分で届かない悔しさ。そして……。
「避けて!!」「捉えたッッ!!」
スライディングのような姿勢の俺。
それに追いかぶさるように飛び掛かる紅葉。
右手を地についてどうにか姿勢を堪える俺は、残った左手を前に差し出して紅葉の攻撃を受け止める。お互いの拳がぶつかる鈍い音が響き、微かな痛みも走る。《制限状態》狙いのタッチに対するブロックでの接触なので反則は取られない。
紅葉はすぐに左手で俺の右腰部にあるマークに向けて追撃を放つ。
「……ッッ!!」
躱せない。
止められない。
両手が塞がった俺には、見ていることしか出来ない。瞬間の攻防を幾つか交えたとは言え、試合開始から十数秒しか経たずに俺たちの勝負は一旦の決着を迎えた。
ビィーーーーーーーーッ!!!!と言う耳を刺す音が鳴り響く。
それは《彩色服》が制限状態化されたことを示す警報。
「おお!!」「ふむ」
思わぬ展開に、ギャラリー兼副審である猫川と読口が小さく声をあげる。
そのまま姿勢を崩した紅葉が俺の上に覆いかぶさるような形で倒れ込む。男に抱きつかれても嬉しくないが、紅葉は体重が軽いのでまだマシだ。
息もつかせぬやり取りに見蕩れ、遅れながらもアサミは主審として宣言する。
「…………か、鹿崎悠斗選手、《制限状態》!!」
満足そうな表情の紅葉。まだ試合は終わっていないが、俺と紅葉の一対一の戦いの勝敗と言うは彼にとって大きな意味を持つのだろう。
俺はそんな紅葉に語りかける。
「……やるな、紅葉。俺よりお前のがすげぇや」
瞬間、紅葉がぎょっとした顔で俺を見る。人がせっかく褒めていると言うのに失礼な奴だ。
……いや、それも当然か。紅葉はよく知っているのだから。
俺が負けず嫌いだと言うことを。
相手にこんな称賛を送る男ではないことを。
「でもな……」
「アサカ…………違う」
俺の言葉に重ねるようにして、静かに幸也がアサミの誤りを指摘する。
今度は俺が勝ち誇る番だった。
「逆だ!! 《制限状態》化されたのは悠斗くんじゃない!!!!」
「でもな……俺らの方がもっとすげぇ!!!!」
そこでようやく紅葉が、アサミが、他の観戦者たちが気付いた。いくつかの驚きの声が上がる。バスケットコートの中にはもう一つ、警報を鳴らすマークがあった。
その位置は――――紅葉の右肩。
俺の上にかぶさって、見下ろす紅葉の顔に指を突き付けて、叫ぶ。
この宣言を、紅葉や葵やスアマが聞くのは三年ぶりだろう。
「――ゲット、《制限状態》!!!!」
8:十七号館裏バスケットコート/浅見朝霞
「今、何が起きたの!?」
一瞬の交錯を見逃していたサツキが私の方に説明を要求してくる。
勢いにのまれて一度は誤審をしてしまったもの、幸也の指摘でこのバスケットコートの内側で起きたことを把握する。だが、それはあまりにも信じられないことだった。
私は幸也の方に視線を送る。紅葉くんが《制限状態》になっているのは確かな事実だが、そこに反則があった可能性がある。角度的に反則が無かったことを判定出来るのは、宮島兄妹側のエンドラインで見ていた副審――滝原幸也だけだ。
幸也は私の視線に気付くと、こくりと頷く。
「……ッ!?」
やはり予想は正しかったのだ。それでいて一切反則をしていないとは。
私は悠斗のテクニックを高く評価していたつもりだったが、それでもまだ過小評価だったのかも知れない。さらに言えば上山素甘と言う少女に関しても明らかにただものではない。
感動と期待で震える体を自分で抱きしめる。私は審判として片手をあげて宣言した。
「宮島紅葉選手、《制限状態》。そして……」
私は左肘を縦に構えて、右拳をそこに付けるような動作を見せる。これは主審による判定ミスの訂正時のジェスチャーだ。
「鹿崎選手へのタッチング以前に宮島選手の《制限状態》化が有効のため、鹿崎選手の被タッチングおよび《制限状態》化を無効とします」
《制限状態》の選手は、《色相球》に対する干渉とタッチングが不可能となる。よって先に《制限状態》化していた紅葉くんのタッチングを受けた悠斗は《制限状態》になっていない扱いと言うことになる。
「今、悠斗は紅葉君にタッチングしてないの」
試合中の四人に納得させる意味も込めて、サツキに状況を説明する。
「じゃ、なんで彼は制限状態に?」
「答えは……センターサークルに転がっているアレよ」
「アレって……」
私が指差した小さな物体は当然のように転がっていた。サツキは目を細め、驚きの声をあげる。白色のビービー弾のようなそれは――《着色銃装》の弾だ。
「《着色弾》!? ってことは、宮島くんの右肩から《制限状態》化したのは……」
「そう。悠斗じゃなく彼女……上山素甘さんよ」
サツキに向けてはっきりと言い切ったが私だって信じられない。もし幸也が居なければ誤審のままで試合を進めていただろう。
――上山さんが紅葉くんを《着色銃装》で《制限状態》化した。
言葉にすれば簡単なようだが、この状況には普通では考えられない点がいくつかあった。
「でも、《色相球》に触るまでは《着色銃装》は使えないはずじゃ?」
「そうね。だから悠斗がその条件をクリアしたのよ」
「どうして? 鹿崎くんは一度も《色相球》を掴んでいなかったわよね?」
「掴んでない……いや、掴めなかったわ。その隙を紅葉くんが与えなかったから。だから代わりに…………彼は蹴ったの」
私が指をさした方向をサツキが見る。見ると、センターサークルに置かれていたはずの《色相球》はゴール下で立ち止まっている宮島葵の手の中にあった。
「そんな、相手にパスしたって言うの!? ありえない……」
「いいや、そこじゃない。猫川沙月」
「?」
神妙な顔つきで口元に手をあてる読口は、もっと別のことを指摘した。
「一番ありえないのは、それに合わせて《着色銃装》で射撃し、10メートル以上先の相手の右肩のマークにピンポイントで当てた上山素甘だ」
「何言ってるのよ。10メートルぐらいなら普通じゃない。私だって歩きながらじゃなければ当てられるわよ」
うちのチーム《楽しんだもの勝ち》の補助射手は石川拓馬だ。本来は前衛走者のポジションであるサツキでも当てられるほど、10メートルと言うのは『カラーリング・ラン』では長くない距離だ。とは言え、初心者でそれを命中させると言うのは、相手がほぼ静止していたことを差し引いても驚きに値するか。
だが、読口の答えは額を伝う大粒の汗だった。
「あぁ、そうだろう。……それが普段俺たちの使っている《着色銃装》なら、な」
会話に生まれる空白。返す言葉を見つけるまでの余白。
「一体何を――――あぁっっ!!??」
わずかに遅れて、間の抜けたリアクションが響く。
サツキはそこでようやく気が付いたようだ。今バスケットコートの中の彼女たちが使っている《着色銃装》が、普段試合で用いられるものとは異なることに。
本来の《着色銃装》はいくつかの種類があり、その中から補助射手のポジションの選手が好きなものを選ぶことになっている。照準が合わせやすいもの。射程距離が長いもの。当たった時の判定が甘いもの。それぞれに長所と短所がある。
だが、今コート内で使われているのは全てのステータスが最低になるように調整された銃だ。それは――10メートルの距離ですら狙うのが困難なほどに。イメージとしてはプラスチック製の玩具のバットで硬球をバックスクリーンまで運ぶほどの難易度。
それで命中させるという芸当は、もはや初心者と言うレベルだけでなく《楽しんだもの勝ち》の正式射手である石川拓馬に匹敵するほどだ。どう考えても普通じゃない。
「しかも、《色相球》は悠斗の身体の影になって彼女には見えていなかったはずなの。つまり、この作戦は試合が始まるよりも前から――」
「――まぁ、俺が立ててたってわけですよ」
起き上がり、服についた砂を払いながら悠斗は平然と言ってのける。まるでそれが当然のように。だが、この作戦には他にも不可解な点がいくつかあった。
それは今もバスケットゴールの下で《色相球》を握ったままで立ち尽くしている少女――宮島葵。この作戦は彼女に《色相球》をパスしてしまう。そして、彼女に射撃されることを一切考慮していない。
「まぁ、そこは疑問に思いますよね」
私の表情から考えていることを察したのか、悠斗が呟く。
葵さんが何もしないことが一つ目の疑問点。
そしてそれを悠斗が初めから確信していたことが二つ目の疑問点だ。
「俺は信じていただけですよ。葵と…………紅葉を、ね」
「紅葉くんを……?」
その言葉とともに悠斗は、未だコートの中心で両手と膝をついたままの幼馴染を指差した。
「葵が何もしなかったのはお前が頼んだんだろ、紅葉。お前は一対一で俺を倒すことにこだわろうとした――違うか?」
紅葉くんは答えない。その沈黙が肯定の証だ。
「まぁ別に俺は構わないけどよ。お前が気付いてないみたいだから、はっきり言ってやるよ」
はぁ、とため息をついて悠斗は告げる。つまらなそうに告げる。
「俺はもうとっくに本気だぞ?」
「…………」
「覚悟とか言ってたけどな。目の前の俺とだけ戦ってるつもりなら、覚悟が足らないのはお前の方だ、紅葉。自分一人の強さにこだわるなんてのはつまんねぇぞ」
そう口にした悠斗はどこか寂しそうだった。




