一章 『カラーリング・ラン』 Ⅲ
7:十二号館‐四〇二/鹿崎悠斗
「はい、と言うわけでね。自己紹介から始めましょうか」
「えっと……?」
どう言うわけなのか全く分からない。
俺は今、さっき扉を開いた部屋の中に居る。
ついでに目の前にはさっきまで下着姿だった女性が座っている。
……もちろん、今は服を着ているが。
本来は授業で使うはずの三人がけの椅子と机とが、乱雑に置かれている部屋だ。部屋の隅に寄せられた机の上には山積みになった段ボールが見える。他にもさまざまな物が散らかっている。少なくとも、大学として用意されているものではないはずだ。
また、入口から見て奥には黄色い水玉のカーテン仕切られた一角がある。これも異様な存在感を放っている。おそらく簡易更衣室だろう。
「私たちが自分について知っていることはあまりに少ない。そうは思わない?」
半分ほど開いた窓から吹き込む風が、壁にもたれる浅見の黒髪を揺らした。
浅見の言葉を聞いた彼女は、椅子に座ったままで黙って俺の方に視線をやった。何か言えということだろうか。俺に振られても困る。
「えっと……じゃ、自己紹介しましょうか」
「悠斗がそう言うならそうしましょう」
窓の外を見つめたままで、浅見はそう口にした。
浅見が俺の名前を呼んだのはこれが初だったが、知らない間に呼び捨てになっていた。女性に下の名前で呼ばれると言う経験はなく、なんだか恥ずかしい。いや、葵がいたか。
それじゃ、と前置きして椅子に座った女性が喋りはじめた。
「先に君のことを聞いて良いかな? 悠斗ってアサカが呼んでいたけど」
アサカ、浅見朝霞だから浅見のことか。
俺は言われた通りに自己紹介を始める。
「えっと、鹿崎悠斗です。弥附高の二年生です。浅見さんに連れられてきました」
「あー。やっぱり弥附高の生徒か……。いやまぁ、その学生服でなんとなく察してはいたけど」
「やっぱり?」
「ううん、なんでもない。こっちの話。」
目の前の女子はぶんぶんと手を左右に振った。
「そかそか。私の名前は猫川沙月ね。とりあえずよろしくね」
「あ、よろしくお願いします」
何をどうよろしくすればいいか分からず曖昧な返事を返した。猫川沙月と名乗った彼女は、俺と向かい合うように座っている。
袖をまくった白いブラウスにブラックデニムのショートパンツと言うラフな格好。若干、目線のやり場に困る。そうで無くても、なかなかに気まずいのに。俺の脳裏には数分前に見た下着姿の彼女が浮かんだ。
フフ、と笑いをこらえるような声が響いた。
浅見だ。
「サツキ。さすがに悠斗が可哀想よ」
溢れる笑いを抑えようと努力し、目尻に浮かんだ涙を人差し指ではじく浅見。対して猫川は何のことか分からない様子だ。
「可哀想? 何のことよ」
「いやいや、悠斗が目のやり場に困っているでしょ? サツキがあんな恰好を見せるから」
「なぁっ!?!?」 「にゃぁっ!?!?」
浅見の指摘に、声をハモらせる俺と猫川。
思わず正面に目を向けると、真っ赤な顔でこちらを振り向いた彼女と目が合いかけて、咄嗟に視線を外す。
「あんな恰好って! ……いや、私……違う、もん。そんな…………」
猫川は胸の前で開いた手をわたわたと動かしながら抗議の言葉を口にするが、それは単語であって文章の形をとっていなかった。
いや、待て。
と言うか今……。
「今……『にゃ』って言いませんでしたか?」
場の雰囲気を変える意味もこめて俺はからかうような口調で言った。
すると、
「…………」
行動停止。
猫川の動きが完全に停止した。
そして、真っ赤な顔で焦っていたはずの猫川は俯いた。この位置からでは表情は窺えない。
さっきまでプルプルと肩を揺らして笑いを堪えていた浅見の口からは「あちゃー」と言う声。表情も後悔するようなものに変わっていた。
まるで、笑いごとですまない何かマズいことが起こったかのような反応だ。
何が起きているのかを俺は分からなかった。
「え、えっと……?」
ため息を大きくついた浅見が、首を左右に振ったのとほぼ同時に、
「……っ~~!!」
ぽたり。
「…………へ?」
最初、それは涙だと思った。
すぐにそんなはずはないと常識で考えなおす。
だが、この場においてはその常識は何の意味も持たない。
ぽたりぽたり、と。
連続して猫川の膝に落ちていく雫を見て確信する。
やはり――涙だ。
鼻をすする音と混じって。
猫川の口から息を吸い込むような音がした直後。
池袋の街の喧噪からわずかに離れた一室に、子供のような泣き声が大きく響いた。
「~~~~~~ッッ!!!!」
もはや絶叫に近い猫川の嗚咽は建物によく響く。
この建物は他の教室も使われている様子は無かったが、さすがにこれは通報されるのではないかと言う不安すら浮かんでくる。
ため息をついたままで、なだめようとする素振りを見せない浅見。それに戸惑いつつ、俺自身はどうするべきか迷っていた。
「えっと……これどうすれば……」
バタン、と大きな音をたてて教室の扉が開いた。
眼鏡をかけたチェックシャツの男子大学生が息を切らして立っていた。
彼は泣き声の発生源を確認し、すぐに窓際に立つ浅見の方に目を向ける。
「えっと……」
どなたですか、と俺が尋ねるよりも先に。
後ろの浅見がその男の名前を呼んだ。
「…………読口、直樹」
8:十二号館‐四〇二/読口直樹
「悲鳴が聞こえたから来てみたらお前のせいか、浅見」
室内状況。
目の前に拗ねたような顔で目を背けている女子、浅見朝霞。
うちの問題はだいたい幸也のせいだが、今回はその限りではないらしい。
「ちょっと読口、声に出ているわ」
その右で椅子に座り、机に顔を伏せて泣いている女子、猫川沙月。こいつは気に入らない奴だが、あまりメソメソしていられても困る。
「だから声に出ているって」
そして、俺の近くに座っている学生服の男子。こいつはいったい誰だ?
「えっと……」
「悠斗、このバカのことは気にしなくていいよ」
目の前の浅見は俺のことをバカと呼ぶ。まぁ、いいか。俺は心が広いから今回は許しておいてやろう。
「この人はいったい?」
「……読口直樹。やたらと小説のモノローグ風に喋ってくるウザい奴よ」
さて今はまず、この男が何者か、と言うことについてだ。
身長は高いが学生服を着ていることから、高校生だろうか。
「あ、弥附高二年の鹿崎悠斗です。よろしくおねがいします」
そうか、彼の名前は鹿崎悠斗と言うのか。ふむ、覚えておこう。
そして弥附高か、なるほど。と言うことは幸也の言っていたのは彼なのか。
「幸也?」
目の前の彼は不思議そうな顔をした。
彼はまだ滝原幸也とは会っていないのだろう。
滝原幸也は俺たちのチームのリーダーで――
「……読口」
浅見朝霞が静かに名前を呼んだ。
すぐに俺は察した。
「分かっている」
さすがにこれ以上のことをここで言う必要はないか。
俺は眼鏡の位置を直しながら、猫川沙月の方を指差す。未だに部屋には彼女の嗚咽が響いている。
「で、猫川沙月はどうするんだ」
と言うか、何があったのかを聞きたいが今はやめておこう。
浅見朝霞には前に一度本気で怒られたから、あまり逆らいたくない……。
「とりあえず放っておくわ。いずれ泣き止むでしょ」
「幸也とアイツは?」
「出かけているみたい。私たちが帰ってきた時にサツキがカーテン使わずに着替えていたから、もしかしたらサツキは分かっているのかもしれないけど……」
続きは言わなくても分かった。
つまり、猫川沙月が泣いている間はどうにもならないと言うことだ。
猫川沙月のことはしょうがないので、代わりに今は鹿崎悠斗について話すことにしよう。
「鹿崎悠斗だったか。とりあえず、うちにようこそ。俺は歓迎するよ」
「あ、はい。よろしくお願いします」
鹿崎悠斗は困ったように返事をした。
「ここに来るってことはもしかして経験者なのかな」
「経験者? 何のですか」
鹿崎悠斗と言う男はなるほど恍けたことを言う男のようだ。
まるで、ここが何をする場所なのか分からないとでも言うかのような口調に俺はツッコミをいれる。
「何をって、カラーリング・ランに決まっているだろう」
9:十二号館‐四〇二/鹿崎悠斗
「カラーリング・ラン?」
初めて聞く名前を、思わずオウム返しに声に出していた。読口は信じられないとでも言うように、驚いた顔を見せる。
「知らないのか? なら、なんでここに居るんだ」
「えっと……さぁ?」
俺は適当に笑って誤魔化すと、浅見の方に視線をやった。
浅見はまた窓の向こうを見つめたままで読口に言った。
「私が彼に可能性を感じて連れてきたの。何か文句ある?」
「いや、俺はいいけど。幸也は?」
「それは大丈夫」
さきほどから何度か名前に出ているが幸也――たしか滝原幸也だったか。それはどんな人物なのだろうか。
話はついたようで読口は黙り、もたれていた壁から離れた浅見が近づいてきた。
浅見はそのまま俺の横に座った。
「カラーリング・ランってのは、言うなればスポーツみたいなものよ」
「スポーツ?」
「それのチームを結成しているのが私たちで、ここがその本拠地……兼、荷物置き場みたいなものなの」
「それはつまり、俺にもそれをやってみようって誘っているってことですか?」
「まぁ、そうだね」
浅見はあっさりと頷いた。
「あの、残念なんですけど、俺ちょっとスポーツは向いていないって言うか……」
「それはなんでかしら。運動神経はいいでしょう?」
「いや、まぁ走ったりするのは得意ですけど……」
――っがぁあああああああああああああ!!!!!!!!!!!!
悲鳴を思い出す。グラウンドホッケーで味方を怪我させた時の悲鳴を。
俺にはもうスポーツは出来ない。正確に言えば、楽しめない。
「とりあえず実際の試合を見てみてよ」
そう言うと俺が止める間もなく、浅見は部屋の片隅に置かれた液晶モニターをいじり始めた。
まぁ、映像を見るぐらいなら構わないか、と思ってモニターを見ているとすぐに暗い画面に映像が映り始める。
すぐに画面に屋外の景色と共に、文字が映し出された。
「このDisk Redと言うのはなんですか?」
「あぁ、それはチーム名だよ。《全てを我らに》なんて気取った名前よね」
よく分からないが、浅見はこのチームが気にいらないらしい。映像にはまだ選手と思われる人影は写っていない。と言うかそもそも『カラーリング・ラン』と言うのがどんなスポーツなのか、それが球技なのかすら全く知らないのだが。
「もしかしてこっちのチームって」
「そう! そっちは私たちのチーム、Blue Moon――《楽しんだ者勝ち》ね」
「《楽しんだ者勝ち》……」
それは随分と、俺に合ったチーム名だ。
そう思ってみているとすぐに走る人影が見えてきた。どうやら走っているのはどこかの大きな自然公園の中のようだ。
と言うか、この公園は……。
「カラーリング・ランの特徴その一、試合範囲はその試合ごとに決められる。ちなみにこの時は吉祥寺の井ノ頭公園ね」
井ノ頭公園はよく知っている。
と言うか、俺や宮島兄妹の住む団地は井ノ頭公園のすぐ横に立っている。
「え、まさかあれ全域でやってるんですか……?」
「そのまさかだよ」
「なっ!?!?」
井ノ頭公園は全体で約40万㎡の広さを持つ公園だ。プロの試合で使われるサッカーコートが約7000㎡なので、単純計算でその50倍以上の広さと言うことになる。
それだけの広さで行われる『カラーリング・ラン』とはいったいどんな競技なのか。名前とコートの広さから察するに長距離走の類なのだろうか。
『~~~~!!』
しかし、お世辞にもいいとは言えない画質の映像を見るにつれて俺は予想外の事実に驚くことになる。
いや、これはもはや驚くと言うレベルではなく、感動と言ってもいいほどだ。浅見の解説は途中から全く頭に入ってこなかった。
俺は、自分の頬を熱い雫が伝うのを感じた。
結論を言おう。
……スポーツ『カラーリング・ラン』はゲーム『㎡onochrome』に限りなく近かった。
10:十二号館‐四〇二/鹿崎悠斗
「……って感じなんだけど、どうする?」
「やります」
浅見の問いに俺は即答した。当然だ。
俺が三年間ずっと求めていた『楽しさ』が目の前にあるのだから、ここで首を横に振るはずがない。
それを聞いた浅見はふっと緊張を緩めるような息をつくと、にっこりと笑って右手を差し出した。
それは握手を求める右手だ。
「それじゃ、今日からよろしく」
「はい、よろしくお願いします」
わずかな躊躇いも見せずに、俺はその右手を握った。
浅見の掌は思ったより温かくて、柔らかかった。
「こうして鹿崎悠斗と言う名の一人の高校生が新しいメンバーとして加わったのだった」
「読口はうるさい」
「はは……」
読口の発言を浅見が返して、俺は適当に流した。
散らかった机の上の段ボールをいくつか開けて、何かを探す素振りをする浅見。部屋の整理状況を把握していないとは言え、手伝うべきだろうか。
「あの、浅見……さん。何を探しているんですか?」
「うん。『カラーリング・ラン』はさっき見た通り五人のチーム同士の勝負だけれど、結局は一対一で相手を抑える実力が重要だから。ちょっとそれの――んぐぐっ」
話す途中で明らかに重たそうな箱を移動させるのに苦労する浅見。見かねた俺は仕方なく動かすのを手伝うことにした。
「この箱はこっち置いておけばいいですか?」
「あぁ、それは机の下に置いておいてくれたらいいわ。うん、そう。ありがとう」
何が書かれているのかは知らないが、書類の大量に入った箱は重たかった。
それをどかして床におくと、元々その下に置かれていた段ボールを浅見が開いた。中には何か衣類のようなものが詰められているのが見えた。
「それは?」
「これは『カラーリング・ラン』をするために必要な道具よ。映像でも使っていたし、さっきも解説した《彩色服》・《制限装》・《着色銃装》の三種類ね」
「そう言って浅見朝霞が箱から取り出したのは三種類の道具だ。俺にとっては見慣れたものだが、鹿崎悠斗にとっては初めて見るものだろう」
「あぁ、なるほど」
それに関する説明はくり返ししていたような気がする。
《着色銃装》以外は『㎡onochrome』では名前がなかったので一瞬驚いたが、特に違いはない。ただ、単にゲーム内ではデフォルトで着用していたユニフォームに名前を付けただけだ。
だが、俺の記憶が正しければ『カラーリング・ラン』で使われる道具はもう一つあったはずだ。俺の考えていることを察したのか、四種類目の道具を探すように箱の中を漁り始める浅見。
「いや、四種類だわ。これもあるから」
そう言って浅見が箱から取り出したのは――虹色の球体だ。
思わず口元がニヤけそうになる。
それもまた、あの灰色の世界で何度も見た物体だったからだ。
「《色相球》…………ですね」
あの灰色の世界と同じく『カラーリング・ラン』の勝利条件も、この《色相球》を二つ集めることだ。
試合開始時にお互いのチームが一つずつ所持する《色相球》を奪い合い、最終的に二つの《色相球》を揃えたプレイヤー……いや、選手の居るチームの勝利となる。
もちろん、《色相球》を奪い合うと言っても、格闘戦をするわけではない。
お互いのチームのプレイヤーは全員が着用する《彩色服》の肩・腰に左右計四個付けられたマークいずれかを《制限装》と呼ばれる手袋でタッチされると、一定時間の間《色相球》を所持することが出来なくなる。
言うなれば、『カラーリング・ラン』はお互いが鬼である鬼ごっこだ。
「それで、道具を取り出して何をするんですか?」
とは言ったが、この時点である程度の察しはついていた。
浅見はにこっと笑って告げた。
「とりあえず、私と一対一の練習でもやってみようと思ってね」
最高だ。そうこなくては。
「いいですね。それはとっても……」
俺はもはや笑うのを我慢する努力をやめていた。
「……楽しみです」




