第六話 知っているつもりだった
好きだった人に裏切られたと知ったとき、その人の優しさまで嘘だったと、すぐに割り切れるものなのでしょうか。
真由が苦しんでいるのは、藤崎さんが結婚していたという事実だけではありません。
これまで自分が信じてきた優しさや言葉まで、どこまで信じていいのか分からなくなっている。
五年間という時間があるからこそ、簡単には嫌いになれないのだと思います。
同じ課に所属している以上、藤崎さんの姿は毎日視界のどこかにあった。
電話越しに話す声が聞こえることもあれば、書類を抱えて席を立つ姿が目に入ることもあり、以前ならそれだけで自然に交わされていたはずの言葉も確かに存在していたのだけれど、係が分かれてからは仕事で関わる機会そのものがほとんどなくなっていて、見えなくなったわけではないにもかかわらず、手を伸ばしても届かない場所へ少しずつ遠ざかっていったような感覚だけが残されていた。
午後三時を少し回った頃、机の上に置いていたスマートフォンが小さく震えた。
何気なく画面へ目を向けた私は、表示された名前を認識した瞬間だけ胸の奥が不自然に波立つのを感じながら通知を開き、そこに並んだ文字を見た。
『具合悪い?』
たったそれだけだった。
昼休みに顔を合わせた時も特に会話はしていないし、それ以降も業務で接点はなかった。
それなのに、どうして気付いたのだろうと思った。
昨夜はほとんど眠れていなかったし、自分では平気な顔をしていたつもりでも、思っている以上に疲れが表情へ出ていたのかもしれない。
けれど、その短い一文を見つめているうちに、そういうことではないのだろうとも思えた。
藤崎さんは昔からそういう人だった。
本人さえ気付いていない疲れや無理を見抜き、助けを求める声が上がる前に手を差し伸べることのできる人で、私自身もそうした気遣いに何度となく救われてきたからこそ、その優しさを疑うことだけは最後までできずにいた。
もし藤崎さんがもっと冷淡な人だったなら、あるいは誰が見ても信用できないような人だったなら、こんなふうに立ち止まることもなく疑うことができたのかもしれない。
けれど実際に思い出されるのは、自信を失っていた時に掛けられた言葉だったり、仕事で失敗した帰り道に何も聞かず隣を歩いてくれた夜だったり、どうにもならない不安を抱えていた時にただ傍にいてくれた時間だったりして、それらの記憶はどれひとつとして嘘には思えなかった。
だから苦しいというより、わからなくなっていた。
私は返信画面を開いた。
指先を動かし、途中まで文章を入力しては消し、また書き直しては消し、そのたびに言葉だけが跡形もなく失われていったのだけれど、本当に聞きたいことは最初から決まっていた。
結婚しているのですか。
その一文だけだった。
けれど、その問いを文字にしようとするたび指先は途中で止まり、画面の上では入力しかけた言葉と削除された空白だけが増えていった。
疑っていると思われることが怖かったのか、それとも返ってくる答えが怖かったのか、自分でもわからなかった。
ただ、その一文を送った瞬間に何かが元の場所へ戻れなくなる気がして、私は最後まで送信ボタンを押すことができなかった。
結局、
『少し寝不足なだけです』という当たり障りのない返事だけを送り、送信完了の表示を見つめながら小さく息を吐いた。これでよかったのだと思おうとした。けれど胸の内に残ったのは安心ではなく、五年間という時間を共有してきた相手に対して、本当に知りたかったことを何ひとつ尋ねることができなかったという事実だけだった。
しばらくして返信が届いた。
『無理するなよ』
それだけだった。
私はその短い文章を見つめたまま動けなかった。
以前なら、その言葉だけで少し肩の力を抜くことができていたはずだったし、実際に私はこれまで何度も同じような言葉に支えられてきたのだけれど、画面の中に表示された文字列を眺め続けているうちに、胸の奥で形にならない何かがゆっくりと膨らみ始め、それが行き場を失ったまま喉元までせり上がってきて、息を吸うたびにわずかな痛みのようなものを感じた。
私は一度画面を閉じ、それからもう一度開いた。
そこに表示される言葉は何も変わらない。「無理するなよ」。何度読み返しても、書かれていることは同じなのに、受け取る私のほうが変わってしまっていた。あの言葉を嬉しいと思ったことも、心配してくれているのだと感じたことも、きっと嘘ではなかった。それでも、私が受け取っていたもののすべてが、本当に私の知っている意味のままだったのか、それだけが分からなくなっていた。
仕事中に見せる表情も、機嫌の良い日の笑い方も、疲れた時に無意識に眉間へ刻まれる皺も知っていると思っていたし、そうした積み重ねが人を理解するということなのだと疑いもしなかった。
けれど、その五年間のどこにも繋がらない場所が、もし最初から存在していたのだとしたら、私が知っていたのは藤崎さんという人のすべてではなく、私に見えていた範囲だけだったのかもしれない。
仕事ができる人だった。会食も多かったし、出張で何日かいないこともあった。仕事の話をするときの藤崎さんはいつも自信があって、周囲から頼られていることも私は知っていた。単身赴任だから平日はこの町で暮らし、週末になると実家へ帰る。私はそんなふうに、藤崎さんから聞いた話を一つずつ自分の中に置いて、それでこの人の生活を分かったつもりになっていた。
横浜に家族がいると知ってしまった今、その一つ一つの言葉の中に、私が知らなかったものがあったことに気づかされた。会食も、出張も、週末に帰るという話も、私の知っている藤崎さんの生活の一部だったことには変わりない。それでも、その先に誰がいたのかだけを、私は知らなかった。
暗くなった画面の中でこちらを見返している自分の顔はひどく疲れて見えた。五年間、一緒に働いて、一緒に食事をして、恋人として時間を過ごしてきた。それなのに、私が知らなかった場所は、思っていたよりずっと近くにあった。
この話を書きながら、人を「知る」ということは、いったいどういうことなのだろうと考えていました。
五年間一緒に働いて、恋人として時間を過ごして、相手の表情や声や仕草まで知っている。
それでも、その人の人生のすべてを知っているわけではない。
藤崎さんが真由に向けていた優しさまで、すべてが嘘だったとは、私は思っていません。
だからこそ、真由は余計に苦しいのだと思います。
見えていたものは本物だった。
けれど、見えていなかったものも確かに存在していた。
「知らなかった」のか、それとも「見ようとしなかった」のか。
その境目を、真由自身がこれから考えていくことになるのだと思います。
この物語をどのように受け取っていただけるのか、少し不安を感じながら書いています。
もし何か感じていただけましたら、率直なご感想やリアクションなどいただければ幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。




