第四十一話 Unheard
話をするために、部屋へ入れたはずだった。
けれど、かつて愛した人の言葉は、もう真由には届かなくなっていました。
「藤崎さん。話をするんじゃ――」
押し返そうと藤崎さんの胸へ手を当てる。けれど、腕に力は入らない。藤崎さんは、私が抗えなくなる瞬間を知っていた。
「俺を陥れたいの? そんな女じゃないだろ」
玄関の壁際へ追い詰められる。
藤崎さんの手がためらいなく伸び、部屋着の縁にかかった指先が、わずかに内側へ滑ろうとした。
「ダメです。出血してるんです」
私の言葉に、藤崎さんの動きが止まった。
「……なんだ。妊娠したっていうのは、俺の気を引きたかっただけか」
その言葉に、息が止まった。言い返したいのに、声が出ない。胸の奥に積み上げてきた言葉は、ひとつも口へたどり着かなかった。
「お互い揉め事などしない方が働きやすいじゃないか。そうだろ?」
そう言って、拒む隙もなく唇を塞がれる。無理やりこじ開けられるような熱が不快で、目の前が暗くなった。
薄い部屋着の生地越しに、容赦なく迫る指。その冷たさに肌が粟立つ。抵抗しなくてはならないのに、力はどこかへ抜け落ちてしまった。
ポケットへ手を滑り込ませようとした。けれど、その動きを見逃さず、藤崎さんの手が私の手の甲を押さえつけた。
「真由はこういうのも好きだったよな?」
鼓膜を震わせたのは、かつて愛した人の声だった。けれど今の私には、それは意味を結ぶことなく耳を通り過ぎていく音でしかなかった。
視界の端で、藤崎さんの目と合う。私を見ているはずなのに、どこか違うものを見つめられているような気がした。
重なり合う体温。あれほど愛おしかった温もりは、今はただ呼吸を塞ぎ、自由を奪っていく。
ポケットのスマホへ伸ばした手も、藤崎さんの手に押さえ込まれた。
——届かない。この人には、私の声も、心も。
その事実だけが、胸の奥へ静かに沈んでいく。悲しいのではなかった。ただ、長い時間をかけて信じ続けてきた何かが、音もなく崩れていくのを感じていた。
玄関の棚。薄暗がりの中で、「あれ」が微かに光を反射した。
「……あ、」
かすれた呼気とともに、残された力を振り絞った。
彼の手を振り払う。その反動で、視界がぐらりと歪んだ。壁に肩を打ち付ける。その痛みが走るよりも早く、すがるような思いで、棚に手を伸ばした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、真由が藤崎さんと向き合おうとした場面を書きました。
「話をする」という言葉で始まったはずなのに、藤崎さんが求めていたものは、真由の気持ちを聞くことではありませんでした。
かつて愛していた人だからこそ、その声や温もりが、真由の身体を一瞬止めてしまう。その一方で、もう以前と同じものとして受け取ることもできない。
真由がようやく掴もうとしたものが、この先どう繋がっていくのか。
続きも読んでいただけたら嬉しいです。




