第三十八話 私の意思
これまでのことを整理しながら、真由は自分自身の人生を振り返ります。
そして、初めて「自分の意思」と向き合うことになります。
大久保君はコーヒーカップをソーサーへ戻すと、私へ視線を向けた。
「まずは、今の状況を整理するよ」
大久保君の落ち着いた声を聞いていると、何も責められてはいないのに、自分だけが責められているような気がした。目を逸らしていた現実が、ひとつずつ輪郭を帯びていくほど、その息苦しさは強くなっていった。
「病院にも改めて話を聞いた。退院のときにも伝えたが、立入禁止になった後も藤崎さんは来院を繰り返し、そのたびに警備員と揉めていたそうだ。経緯はすべて記録に残っている」
そういえば、入院して間もない頃、繰り返しかかってくる藤崎さんからの着信に、私はとうとう電話へ出てしまった。何を言われたのか、もうはっきりとは思い出せない。ただ、業務上どうしても必要だから、と、そんなことを言われた気がする。そのまま流されるように、私は病院の名前を口にした。
「診断書と入院記録、それから必要な資料の確保も進めている。証拠が失われる心配はない」
私が話さなければ、病院へ来ることもなかったのだろうか。カランと氷が崩れる。
「君が気にすることじゃない」
私が視線を落とすと、大久保君が抑えた声で言った。
「来ると決めたのは藤崎さん本人だ。病院へ押しかけ、立入禁止になってもなお来院を繰り返した。それは全部、あの人が自分で選んだ行動だ」
私が立ち止まっている間にも、私の知らないところで物事は進み、人は動き、記録は積み重なっていた。
テーブルの上では、氷が溶けかけて二層になったオレンジジュースが、窓から差し込む光を受けて揺れていた。私はその揺らぎを見つめたまま、何も言えなかった。
「会社の人事とも話をした」
その一言に、私はゆっくりと顔を上げた。
「現状は把握している。ただ、会社として正式に動くかどうかは、君の意思次第だ。被害届を出すのか、民事で請求するのか、それとも何もしないのか。そこは誰も決められない」
「真実を知った今、一度人生を自分で選び直してほしい」
——私の意思。
そんなものを、私は一度でも考えたことがあっただろうか。
学力に見合った学校へ進み、流れるように就職活動をして、内定をもらった会社へ入る。
どれも自分で決めたはずだった。それでも今振り返ると、その選択は、ただ目の前に置かれた道を辿ってきただけだったような気がした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、大久保君からこれまでの状況を整理して聞かされる中で、真由が自分の置かれている状況を少しずつ理解していく場面を書きました。
これまで真由は、学校も仕事も、自分で選んできたつもりでした。
けれど振り返ってみれば、目の前に用意された道を、そのまま歩いてきただけだったのかもしれません。
藤崎さんとの五年間も、同じだったのだと思います。
「真実を知った今、一度人生を自分で選び直してほしい」
大久保君のこの言葉が、真由にとって初めて、自分の人生を自分で考えるきっかけになるのだと思います。
ここから真由が何を選んでいくのか、続きを読んでいただけたら嬉しいです。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。




