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錯認の果て──不倫だと知らずに恋をした、私の物語。  作者: 髙山あきら


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第十七話 決壊

ようやく自分の中で、これからどうするのかを決めようとした真由。

けれど、帰宅した彼女を待っていたのは、思いもよらない出来事でした。

頭では分かっていることと、実際にその人を目の前にしたときに生まれる気持ちは、必ずしも同じではありません。

真由が何を思い、何を選ぶのか。その揺れを見届けていただけたらと思います。

「真由」

 その声に、胸の奥が小さく揺れた。私はバッグの中から鍵を探る。指先は思っていた以上に震えていて、鍵穴へ差し込むまでに二度ほど金属が小さく触れ合う音を立てた。

「……入って」

 玄関のドアが静かに閉まり、部屋の中へ小さく鍵の掛かる音が響いた。

「今日、早退してたから」

 靴を脱ぎながら、藤崎さんが静かに言った。

「体調でも悪いのかと思って来たんだ。出かけてたんだな」

 藤崎さんの声は、いつもと変わらず穏やかだった。そのとき初めて、藤崎さんの手に提げられたコンビニの袋へ目がいく。半透明の袋越しに、ゼリー飲料の丸みを帯びた形がいくつも透けて見えた。

 

「食欲がなくても、これなら飲めるかなと思って」

 今日ここへ来た理由は、その袋を見ただけで分かってしまった。心の奥が小さく軋んだ。

 

 距離を置かなくちゃ。

 この子のことも伝えなくちゃいけない。

 

 そう決めていたはずなのに、私は藤崎さんを家の中へ招き入れてしまった。

 受け取ったコンビニの袋の中でゼリー飲料が小さく揺れた。それを見つめたまま、私は返事を探していた。

「ごめんなさい」

「病院には行ったの。でも、そのあと大学の同級生とご飯を食べて……」

 私の返答を遮るように、藤崎さんが一歩近づいた。


「誰と?」

 低い声だった。

 思わず息をのみ、小さく後ずさる。

 その分だけ、藤崎さんとの距離はまた縮まった。

 

「……男?」

 耳元へ落ちてきた声に、肩が小さく震える。

 私は黙ったまま、小さく頷いた。

「うん。大学でボランティアサークルをしてた時の――」

 言い終えることはできなかった。

 もう一歩後ろへ下がろうとして、腰がダイニングテーブルの縁へ当たる。

 

 逃げ場はなかった。

 

 藤崎さんは私の目の前で足を止めると、静かに私を見つめた。

「早退したって聞いて、心配で来たんだ」

 一拍置き、低い声が続く。

「それなのに、男と食事なんて」

「そうじゃないの」

 そう言い終える前に腕を引かれた。近づいた唇が、私の続きを静かに閉ざした。

 息を吸おうとしても、その隙さえ与えてもらえなかった。彼の手がブラウスの下から入ってくる。

「だめ」

 そう言って、胸を押し返そうと両手へ力を込める。けれど、その手はびくともしなかった。

 頭では離れなければと思っているのに、身体は思うように動いてくれない。

 藤崎さんの親指が私の口元へ触れ、そのまま唇を割るように滑り込んでくる。言葉を返そうとしても、声は喉の奥で途切れた。

「あ……」

 

「真由はその男が好きなの?」

 藤崎さんの声が耳元に落ちてくる。


「ち……」

 違う。そう言おうとしたけれど、息を吸うことばかりに意識が向いてしまい、声は喉の奥で途切れる。想いを形にしようとしても、呼吸が噛み合わない。

「その男と寝たの?」

 私は力なく首を横に振った。足元が揺らぐような感覚に耐えきれず、ダイニングテーブルへ身体を預けたまま、縋るように藤崎さんの肩へ手を伸ばした。

 

「私が好きなのは……」

 テーブルが小さく軋んだ。その音と同時に、藤崎さんの体温が直に伝わった。その乱れた呼吸も、抑えきれない感情も、私へ向けられている。その事実だけが、何度も胸に刻み込まれていった。

 

 何度も自分へ言い聞かせてきた決意は、そのぬくもりの前ではあまりにも脆かった。もう胸の内へ押し戻すことはできなかった。

 

「藤崎さんなの」

 

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

今回は、真由が「藤崎さんと距離を置かなければならない」「この子のことを伝えなければならない」と考えながら帰宅し、実際に藤崎さんを目の前にしたことで、その決意が揺らいでしまう場面を書きました。

藤崎さんは、もともと仕事ができ、周囲から頼られる存在です。自分の判断に自信があり、仕事でも人間関係でも、自分が必要とされることに慣れている人物として描いています。

そんな藤崎さんにとって、真由が自分の知らないところで別の男性と食事をしていたことは、単純な嫉妬だけでは済まないのかもしれません。五年間、自分のそばにいることを当然のように受け入れてきた真由が、自分の知らないところで別の誰かと時間を過ごしていた。そのことが、彼の強い所有欲を刺激したのだと思います。

一方の真由は、頭ではもう離れなければならないと分かっている。それでも、五年間積み重ねてきたものと、目の前にいる藤崎さんへの気持ちは、簡単には切り離せません。

ここから先の真由は、読んでくださる方によっては、かなりもどかしく感じるかもしれません。「どうしてそこでそうなるの」と思われる場面もあると思います。

それでも、真由がすぐに正しい答えを選べる人ではないことも含めて、この物語を書いていきたいと思っています。

この作品がすべての方に受け入れていただけるとは思っていません。登場人物の考え方や行動に、共感できない部分もあると思います。

それでも、ここまで読んでくださったことをありがたく思っています。もし何か感じていただけましたら、リアクションや率直なご感想などいただけると励みになります。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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