第十五話 友達の話
白川さんと再会したことで、真由の中にいろいろな感情が入り混じります。
その帰り道、大久保君と二人で歩く夜道。
言葉にできないまま抱えていたものを、真由はどうするのでしょうか。
子ども食堂を出る頃には、時計の針は二十時を回っていた。
玄関先まで見送ってくれた白川さんは、「またおいでね。また来るのよ」と、何度も繰り返しながら、くしゃくしゃの笑顔で手を振ってくれた。その声には、泣いてしまった私へ理由を尋ねることも、無理に励ますこともなく、ただ「ここは帰ってきていい場所なんだよ」と伝えてくれるような温かさがあった。
海斗君は「次は白川さんのオムライスじゃなくて、僕の麻婆豆腐も食べに来てください」と、どこか自信をのぞかせる笑みを浮かべた。
私は何度も頭を下げながら、「ありがとう」としか言えなかった。
駅へ向かう夜道を、大久保君と肩を並べて歩き始めた。夏の熱気は少しずつ夜気へ溶け始めていたが、昼間に熱を蓄えたアスファルトはまだ足元からじんわりと温もりを返してくる。遠くで電車の走る音が聞こえ、住宅街にはエアコンの室外機が規則正しく唸り続けていた。互いに何も話さないまま歩き続け、しばらくして大久保君は街灯の明かりへ視線を向けるようにして口を開いた。
「この前会った時から、何かあったんじゃないかって思ってた。元気がないように見えたから、ずっと気になってたんだ」
「……気にかけてくれて、ありがとう」
それ以上は言葉にならず、私は唇を噛んだ。
駅前の信号が赤へ変わり、行き交う車の列をぼんやりと眺めながら、私たちは横断歩道の手前で立ち止まった。
「ねえ、大久保君」
ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど小さく、夜の車の音へ紛れてしまいそうだった。
「悩みがあって」
大久保君は急かすこともなく私の隣へ立ったまま、「どんな悩み?」と穏やかに返してくる。
私は答えようとして何度か唇を開きかけたものの、喉の奥まで込み上げてきた言葉はそこで止まり、赤信号の向こうを流れていく車のヘッドライトをぼんやりと目で追いながら、ようやく「……友達の話なんだけど」と、自分でもそれが嘘だと分かっている前置きを口にした。
「友達がね……結婚している人を好きになって、その人の子どもを妊娠しちゃったんだって。彼女は既婚者とは知らなかったらしいの。どうしたらいいんだろう」
「梶原さんは、なんて返事をしたの?」
「まだ……何も」
大久保君は小さく息をつき、何かを言いかけて口を閉じた。
「……梶原さんは、どうしたい?」
「え……?」
一瞬、息が止まった。
「いや、その友達は、どうしたいんだろうって」
「……分からないみたい」
「そう」
「産みたい日もあれば、中絶した方がいいって思う日もあって、そのたびに気持ちが変わるって……」
信号が変わっても私たちは歩み出せなかった。
「僕が弁護士として言うなら、その友達は慰謝料を請求される可能性はある。ただ、『知らなかった』だけでは済まない。本当に知らなかったのか、それとも注意を払えば知ることができたのか。そこが問題になる」
大久保君は、静かに私を見つめていた。
「だから、『知らなかった』だけでは通用しないこともある」
友人の話として始めたはずだった。それなのに、大久保君の視線も、その言葉も、少しずつ私自身へ向けられているような気がした。
今回は、白川さんのもとを離れた真由が、大久保君に自分の抱えていることを「友達の話」として話す場面を書きました。
本当のことを話したいのに、まだ自分の口から「私のことです」とは言えない。そのために、いったん「友達」という距離を置いて話してみることにしたのだと思います。
そして大久保君から返ってきたのは、真由が期待していたかもしれない慰めではなく、「知らなかっただけでは済まないこともある」という現実的な言葉でした。
真由にとっては、聞きたくなかった言葉だったかもしれません。それでも、自分がこれから何をするのかを考えるためには、誰かに「大丈夫だよ」と言ってもらうだけではなく、現実そのものと向き合わなければならないのだと思います。
この先、真由がどこまで自分のことを自分の言葉で話せるようになるのか。そのあたりも含めて、続きを読んでいただけたらと思います。
もし何か感じていただけましたら、率直なご感想やリアクションなどいただければ幸いです。最後までお読みいただき、ありがとうございました。




