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錯認の果て──不倫だと知らずに恋をした、私の物語。  作者: 髙山あきら


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第十四話 おかえり

今回は、真由が学生時代に関わっていた子ども食堂を訪れる場面です。

かつて子どもだった海斗君が、今度は子どもたちを迎える側になっている姿を見て、真由は自分が過ごしてきた時間を改めて振り返ることになります。

そして、そこで再会した白川さんから掛けられた「真由ちゃん」という呼びかけに、真由はもう言葉を返すことができませんでした。

過去の自分と今の自分が、思いがけない形で重なっていく場面として読んでいただけたらと思います。

「ただいま」

 玄関を開けるなり大久保君がそう声を掛けると、家の奥から「お帰りなさい」と明るい声が返ってきた。

「遼さん。お帰りなさい」

 台所から顔を出した青年が、エプロンで手を拭きながら小走りでこちらへやって来る。


「うん。これ、うちの所長から」

 大久保君は抱えていた米袋を差し出した。


「えっ、さすが弁護士事務所。めちゃくちゃ助かります。しかも、いいお米じゃないですか」

 青年は嬉しそうに米袋を受け取ると、大事そうに抱え直した。


 大久保君は私が持っていたエコバッグへ自然と手を伸ばし、「ありがとう」と小さく笑って受け取ると、中を覗き込みながら青年へ差し出した。

「これは俺から。野菜と卵」


 青年は袋の中を覗き込み、目を細めた。

「ちょうど卵が足りなかったんです。今日はオムライスにできますね」

 そう言って顔を上げた青年の視線が、不意に私のところで止まった。

「あれ……真由さんじゃないですか」


 名前を呼ばれ、私は小さく首を傾げた。

 見覚えのある顔だった。けれど、名前だけがどうしても思い出せなかった。

 一緒に活動していたサークルのメンバーだっただろうか。それとも、一つか二つ下の後輩だっただろうか。記憶をたどっても、顔だけが浮かび、名前だけが結びつかない。


「海斗です。永冶海斗です」


「え……海斗君?」

 私は目の前の青年を見つめた。


 毎日のように子ども食堂へ通ってきては、宿題を後回しにして遊びたがり、高校受験の日には、みんなで合格発表を待ったあの海斗君だった。

「今は大学生です。おかげさまで、国公立に受かりました」

 海斗君は胸を張ってそう言った。私は目の前の青年から目を離せなかった。

 

「どうぞ、上がってください」

 海斗君は食材を抱えたまま台所へ戻りかけると、廊下を駆け抜けようとした男の子を片手で抱き留め、廊下は走らないようと少し低くなった声で言い聞かせたあと、私たちへ挨拶をするよう促した。

 男の子は慌てて私たちへ向き直り、小さく頭を下げる。海斗君はその頭を軽く撫でて頷くと、何事もなかったように台所へ戻り、「今日はオムライスにしよう」と声を上げた。

 卵を割りたい、玉ねぎなら切れると子どもたちが口々に声を上げ、その合間を縫うように鍋の蓋が鳴り、ボウルが触れ合い、水の流れる音まで重なっていく。その賑わいが、この家だけの夕暮れを静かにつくり上げていた。


 靴を脱いで家へ上がる。

 砂壁の廊下を抜けると、その先が子ども食堂として使われているリビングだった。子どもたちが壁へ手をつくたび、細かな砂が床へ落ち、午後の陽射しを受けてかすかにきらめく。触れないよう何度言い聞かせても、鬼ごっこが始まれば誰かが肩をぶつけ、かくれんぼになれば壁際へ身を寄せ、毎日同じように砂が落ちていた。

「いつか漆喰に塗り替えようね」

 卒業前、壁を見上げながら笑い合った日のことを思い出した。あの約束は後輩たちへ託したまま、私は社会へ出ていった。


 リビングの奥から、人影がゆっくりと近づいてきた。


「真由ちゃん」

 懐かしい声に視線を向ける。そこには、白川さんが立っていた。

 以前より、ひと回り小さくなったように見えた。それでも、笑うたびに目尻へ深く刻まれる皺も、人を包み込むようなくしゃくしゃの笑顔も、昔と変わらなかった。


「……お母さん」

 名前を呼ぶより先に、その呼び方が口をついて出た。


 ——お母さん。私は、とんでもないことをしてしまったの。

 そう言ってしまいそうだった。


 言ってしまいそうで、その言葉を喉の奥へ押し込めた。

 代わりに涙だけが、次から次へとあふれてきた。

「梶原さん?」

「真由さん?」

「真由ちゃんったら」

 白川さんの手が背中をさすり続けてくれていた。

 大久保君と海斗君が何かを話している声は聞こえたけれど、その言葉は涙の向こうへ滲んで、うまく耳に入ってこなかった。

 

 私は何ひとつ言葉にできず、その温もりだけを感じながら、ただ涙をこぼし続けた。

今回は、真由が海斗君や白川さんと再会する場面を書きました。

真由にとって、子ども食堂で過ごした時間は、誰かの役に立てることを嬉しいと思えた、大切な記憶です。そして白川さんは、そんな頃の真由を知っている人でもあります。

だからこそ、今の自分を知られることが怖い。

本当は白川さんに頼ってしまいたいし、昔のように「お母さん」と甘えてしまいたい。でも、自分がしてしまったことを知ったら、きっと失望されるのではないか。あの頃の真由を知っている人だからこそ、がっかりされたくない。

今回、真由が泣いてしまったのは、安心したからだけではないのだと思います。頼りたい気持ちと、知られたくない気持ち、その両方を抱えたまま白川さんの前に立ってしまったからこそ、言葉より先に涙が出てきたのだと思っています。

真由がこの場所で何を話すことになるのか、そして白川さんや大久保君との関わりが、今の真由にどんな意味を持つのか。そのあたりも含めて、続きを読んでいただけたらと思います。

もし何か感じていただけましたら、率直なご感想やリアクションなどいただければ幸いです。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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