第12話 触手モノは嫌だっての!
木の枝を次々とへし折りながら、飛来する音。
その背後に微かに混じる、ブンブンという羽ばたきの音。
(巨大ハチドリとキラービー。ひとまず二種類か)
ダンテは〈ホブゴブリンの干し肉〉を噛みしめながら、モンスターの種類を聞き分けた。
見なくても分かる特徴の数々。それ以外の物音は、まだ聞こえない。
【味わった生を消化します】
【対象生命体:ホブゴブリン】
【肉体:夜行性視覚】
【肉体:ホブゴブリンの筋肉】
【持続時間10分】
(レベル7の身じゃ、マジでワンパンで即死ものだが……)
ホブゴブリンの筋肉があれば、問題ない。
【木の樹液と花の蜜を吸って生きる輩にとって、人間の血はさぞかしご馳走であろうな】
「そういえばさっき言いかけたところで切れたんだが、俺の許可なく勝手にしゃべ――。ハッ!」
ガキイイイン……!
何より、光もろくに射し込まないほど鬱蒼と茂った森では、ホブゴブリンの目――つまり光量の乏しい状態でもよく見えるあの目は、間違いなく役に立つはず!
(危なかった。ホブゴブリンの目と筋肉がなかったら、おそらく――)
ダンテの読みどおりだった。
オルガス伯爵から受け取った、それなりに質のいい鉄剣でかろうじて弾いたのは、巨大ハチドリの突進だった。
人間より大きな体躯、目にも留まらぬ羽ばたきによる加速、鉄剣以上の強度を持つくちばし。
ひと抱えもある大木にすら穴を開ける連中だ。
もし反応できていなければ、一撃で串刺しにされていただろう。
(それで終わりじゃないんだよな)
チュラララッ──!
そして自分の開けた穴から3mもの細い舌を差し込み、樹液を残らず舐め取っていくモンスター――それこそが巨大ハチドリなのだ!
(うへぇぇ、だとしても触手モノは嫌だっての!)
初見の相手ならこの奇怪な舌に面食らって反応できなかっただろうが、すでにモンスターを知り尽くしているダンテが、そうなるはずもなかった。
「チェ、チェエエエッ──!」
鞭のようにしなって襲いくる舌を軽やかに躱しつつ、振り下ろしの一閃。
断ち切られた舌から、巨大ハチドリの体液が四方八方に飛び散った。
苦痛でまともに飛べなくなった巨大ハチドリに、猶予をくれてやる必要はない。
「フッ!」
ダンテの太ももがホブゴブリンの筋肉で膨れ上がったのも束の間、周囲の木を蹴って跳び上がり、そのまま巨大ハチドリの顎の下を貫いた。
だらだらっ、と、その血と体液がダンテの腕を伝い落ちた。
着地とともにそれを払い落としたのも、束の間。
ブウウウン……ブウウウウ……。
続いて飛来したのは、大型犬サイズの蜂の群れだった。
「せこいぞお前ら、そんな群れでつるむなら……」
駆け出しの冒険者が森で最も嫌うモンスター。
群れをなすうえ、巧妙に木々の間を縫って飛ぶため、まともに相手取るのも難しい。
尻の毒針はもちろん、噛みつかれただけで骨が砕けるほど強力な連中だ。
その飛行音はまるで催眠のように、人間の精神を焦らせ、混乱させるが?
ちゅるり、と、ダンテは腕についた液体を舐めた。
【生を味わいました】
【暴食の刻印:19(+8)】
「なら俺も、友達を一体追加しないとな」
【格好をつける割には、ずいぶんと顔をしかめているではないか、人間。他者の生を取り込む暴食に感謝こそすれ――】
「カーッ、ペッ。だってマズいもんはマズいんだから仕方ないだろ? 何か割って飲む飲み物でも持ち歩かないと、やってられん」
【味わった生を消化します】
【対象生命体:巨大ハチドリ】
ぼやきながらも、ダンテはホログラムのメッセージを確かめていた。
現在、暴食の刻印は19点。
【暴食の刻印が不足しています】
【暴食の刻印を完全に扱うことはできません】
【消化可能な能力】
【物理・肉体限定】
(まだ物理・肉体限定か。スキルまで引き出して使うには、何点貯めりゃいいんだ? このクソハムスターが教えてくれれば、計算くらいは早く済むんだが)
(気持ちとしては、脅してでも聞き出したいところだが……)
(《暴食の権能:獲物観察》も、スキル習得のメッセージはなかった。やつは嘘は言わない)
暴食の刻印が一定の点数を超えたから、その権能を『解禁してやった』と言っていた。
悪魔は口をつぐむことはあっても、嘘は言わない。
つまり、暴食の刻印が濃くなることで使えるようになる技術はすべて、ブブが使用権限を与えて初めて使えるもの、と見ていい。
結局のところ、やつがもともと持っていた力、そのものなのだろうから。
こいつに脅しは通じないだろう。
それよりは、いっそ……。
「ブブ、一つ約束しろ。今後、暴食の刻印で新しい能力が使えるようになったら、即座に適用すること」
【クフフ、なぜ我が?】
七つの大罪が一つ、暴食。
その根幹を突くほうがいい。
「出し惜しみしてる間に、お前が死ぬかもしれないからだよ。俺が死んだら? お前だけ無事でいられると思うか?」
どんな存在よりも生を渇望し、生に執着した暴食ならば。
自分自身のために。
生き残りたければダンテ自身を利用しろ、という提案を。
【――……チュッ。よかろう。お前のためではなく、我のために。約束しよう】
断るはずがない、というわけだ。
(オーケー、ひとまず約束は取りつけた。残るは――)
今後は暴食の刻印が一定値に達し次第、即座にその権能を使えるようになるはずだ。
ブウウウ、ブウウウウ───────!
(――暴食の刻印を、濃くしていくだけだ!)
【肉体:瞬間加速(巨大ハチドリ)】
【肉体:巨大ハチドリの柔軟な関節】
【持続時間5分】
ダンテは、迫りくるキラービーの群れを見た。
ホブゴブリンの筋肉で強化されているついでに、巨大ハチドリを始末したときのように木を蹴って跳び上がってもいいが……。
《瞬間加速》。
ダンテの体が、まず消えた。
パンッ、という音が、その後に続いた。
ブウウウン、ブブッ、ブブ……。
その時点ですでに、キラービー一匹が頭、胸、腹に分かれていた。
ダンテは三段分離したキラービーの後方、枝の上に止まったまま、うろたえていた。
「ぐああ、何だ、これは?!」
本来の計画では《瞬間加速》で一匹を素早く仕留め、ホブゴブリンの筋肉でその奥の木を蹴って横へ跳び、残る一匹を斬り伏せて着地するはずだった。
そうできなかった理由?
【クフハハハッ! 舌が伸びなかっただけありがたいと思うのだな、人間】
ブブがダンテの懐から頭だけ出して笑っている理由でもあった。
ダンテの腕が、まるで軟体動物の足のようにうねっていたからだ!
(おいおい正気かよ、柔軟なんてレベルじゃなく、これは何だ……)
少し力を抜いただけで、肩から肘、手首も指も、全部ぐにゃぐにゃになる感覚!?
馴染みのない奇妙な感覚に、ダンテはしばし戸惑った。
ブウウン、ブブブブブ────!
だが、動じはしなかった。
キラービーどもが迫っているにもかかわらず、ダンテは自分の感覚に集中した。
そして思い浮かべた。どうすればいいのかを。
力が入らない? 固定できない?
なら、固定しなければいいだけだろ?
(巨大ハチドリの舌は、どう動いていたっけな)
元となる動きを、なぞればいい。
転がりに転がり、すれにすれた戦闘経験を持つ自分に、できないはずがない。
───────────……!
今度も、ダンテの体がまず消えた。
パンッ、という音が後に続いた。
先ほどと違うのは、ダンテの周囲できらめく光の反射が、絶え間なく発生していたという点。
その柔軟になった、まるでゴムのように動く腕が予測不能な軌道を描き、キラービーの翅を、頭を、腹を、尻を、屠り始めた。
「……私は今、何を見ているのだ……」
そしてそのすべてを、少し離れた場所からベルデが見つめていた。
***
「ああもう、俺が処理するって言ってるでしょうが、騎士団長様は後ろに下がっててくださいって! いいですね?」
ダンテがそう言い残して飛び出していった後、ベルデはしばし呆然としていた。
普段なら、ありえないことだ。
「……私のために? 危険だから下がっていろ、と?」
だが、生まれて初めて聞く言葉。
生まれて初めて経験する状況では、ベルデも呆然とするしかなかった。
(領地の主である私を守るというのか? そのために危険を一人で引き受けると?)
家門でも。騎士団でも。
まして自分の実力を知る者からは、ただの一度も聞いたことがない。
なのに、たかが平民の冒険者が?
貴族にして騎士団長である自分を守ろうと、あんな態度を取ったというのか?!
(いや、そうしたところで見返りなどない。あの者に得になることが、何もない)
ベルデは知っている。
自分が剣の天才であることを、自覚している。
それを知る周囲の者たちが何と騒いでいるかも、知っている。
天才だと持ち上げながら、その裏で交わされる言葉と眼差しに気づかないほど、馬鹿ではない。
それが大人というものだと学んだ。
大人とは皆ああいうものだと思っていた。
だからこそ、なお歯を食いしばって動いた。
誰よりも自信に満ちた人生を生きてきた。
何事においても先頭に立つ人生を生きてきた。
誰より先に愛剣を抜き放ち。
最も危険な場所で。
最も華々しく己の実力を誇示するのが、これまでやってきたことだ。
そして、そうすればするほど……。
(得るものなどないにもかかわらず、私を守ってくれるのか。大人が……。こんな大人が、いてもいいものなのか)
大人たちが自分に向ける態度は、悪くなっていった。
地位が上がり、役職を与えられ、実力が伸びるほどに。
だから、いっそこちらから突き放すことを選んだのだ。
実力が劣ることこそが、罪だ。
私が悪いのではない。
才能のない彼らが悪いのだ。
だが、目の前の冒険者は?
あの平民は?
(年の差が小さければ小さいほど、私を憎んだものだ。むしろそういう場合のほうが多かった。だが、あの者は――)
ベルデの胸の内に、小さな響きが生まれた。
(――兄と呼べる程度しか年の離れていない、あの人は……)
私を憎まない。
私を利用しない。
私を守ろうとしてくれる。
ハッ、と、そこまで考えたベルデはぎくりとした。
「クフン、いや。兄だと。笑わせる」
ぎこちなく咳払いをしながら、しきりに首を振らねばならなかった。
その頃、すでに巨大ハチドリを仕留めたダンテは、ベルデには理解しがたい言動を見せている最中だった。
「カーッ、ペッ。だってマズいもんはマズいんだから仕方ないだろ? 何か割って飲む飲み物でも持ち歩かないと、やってられん」
あれはまた、何の話だろうか。
私に言っているのだろうか。
(独り言……いや、自己点検か)
妙な錯覚を追い出そうと、ぶんぶんと頭を振ったのも束の間だった。
ベルデはすぐに、目にすることになった。
ダンテへ襲いかかるキラービー、最低でも15匹。
危険だ。
スラリ……。ベルデはそこでようやく剣を抜いた。
(馬鹿な、いくら何でも私の助けなしに処理できる数ではない! 今からでもあの者を守らねば――)
己の失態を痛感し、遅ればせながら参戦しようとしたベルデだったが……。
パアアアンッ──! 何かが爆発する音が響いた。
ベルデすら一瞬たじろがせる爆音。
その場に棒立ちのまま、見守るしかない変化が起きていた。
「ぐああ、何だ、これは?!」
いつの間にかキラービーを屠り、枝の上に立っているダンテの姿?
しかもその腕が、微妙におかしな角度で動いている?
(いつの間に? いや、そうではなく……。剣をしならせる技? 関節を脱臼させて柔軟性を――。いや、私は今、何という馬鹿げたことを……)
ベルデは目を素早くしばたたいた。
何か、おかしなものが見えている。
そうして再び目を開いたとき、彼はふうううう、と長い息を吐き出さねばならなかった。
剣が、何本にも見えた。
予測不能な軌道でしなりながら、目で追うのも難しい速度を出すダンテは。
瞬く間に、キラービーの全部を虐殺した。
一つだけは、確かだった。
「私は今、何を見ているのだ……」
自分の常識では、なしえない技。
「あの者は……あれほどの実力まで備えていたというのか」
決闘で自分の命を助けてくれたのも。
モンスターどもの脅威から自分を守ってくれたのも。
すべて『天才』である自分より、さらに優れた実力があるからだとしたら。
「ダンテ……兄貴」
ベルデは、もごもごと呟いた。
その頃、ベルデが何を考え、何をしているのか、そもそも興味もなかったダンテはというと?
【レベルが上がりました】
【レベルが上がりました】
二つのレベルアップによる、ステータスポイントの分配。
そして……。
【生を味わいました】
【暴食の刻印:25(+6)】
「でもこいつら、蜜を吸ってた連中だからか、ほんのり甘みがある?」
ごく小さな声で満足感を示した後。
【……暴食の権能にこうも早く適応する人間は、お前くらいのものであろうな】
ちゅうっ、ちゅうっ、と、キラービーを【暴食】している最中だった。
弟(仮)が生まれました。本人(兄)はまだ気づいていません。次回、あるはずのものが、ありません。




