.8 スーパーフィールド
ジンは構える。
全身を魔力が、薄い膜のように巡る。
傾斜のある屋根を踏みしめる足に、ぐっと力が入った。
次の瞬間――
「はぁー…使いすぎた…」
ルカから、不意に気の抜けたような声。
その背後、別の屋根に立つ条列高校の男子部員が叫んだ。
「ルカ!!」
その声は住宅街に響き渡る。
ルカはうつむいたまま、小さく唇を震わせた。
「私…なにやってんだろ…」
ジンは何も言わない。
ただ、目の前のルカをまっすぐ見ていた。
(どうしんだ…でも、今しかない…)
ジンの肩が、わずかに前へ沈む。
踏み込むための前足が屋根をわずかに軋ませた――すると。
サァァァ――
先ほどから、その場に流れていた風が、音を変える。
ジンの瞳孔がわずかに開いた。
(まずい……! この後、あの先読みで見た世界……!)
ルカの周囲を巡っていた風も、じわり、じわりと外側へ広がっていく。
やがて幾筋もの風が渦を描き始めた。
ルカはうつむいたまま動かない。
焦点の定まらない瞳は、何も映していないようだった。
ジンは再びルカへ目を向ける。
(使うか!?……いや、使うしかない……!)
そして、振り返ることなく叫んだ。
「先輩! 使います!!」
少し離れた場所で腕を組み、2人を静観していたアヤカの目が、
その言葉に大きく見開かれた。
スーパーフィールド
そして、ルカの風は次第に大きくなり、
まるで竜巻のような回転を生み出していく。
周囲の瓦は震え、電線までもが揺れ始める。
空気そのものが唸り声を上げている。
(こ、これは、屋根どころじゃ済まないな…
とりあえず、世界は変えた……)
ジンはただ、目の前の光景、ルカの様子を見ていた。
木刀を握る手には、ずっと力がこもったまま。
全身を巡る魔力は、すでに放たれる瞬間を待っている。
サァァァァァ――
風がさらに唸る。
ルカの前で、渦巻く風が急激に膨れ上がり、やがて天へ伸びる巨大な風柱となっていく。
うつむいたままのルカの声が小さく漏れる。
「もう、なんか全部いいや……全部消す……」
そして――
ドゴォォンッ!!
その巨大な風柱が、触れた家を容赦なく破壊し始めた。
瓦が吹き飛び、柱が軋み、壁が砕け散る。
向かいの屋根に立つジンは、それでも動かなかった。
ただルカを見つめ続ける。
やがて、その風柱は地面さえ削り始める。
ゴゴゴゴゴ……
強烈な吸引力が周囲を飲み込み、ルカが立つ家そのものが悲鳴を上げるように崩れ始めた。
その中で、ルカはゆっくりと顔を上げる。
虚ろな瞳が、わずかにジンを捉えた。
「ぜんぶ、もういい!!」
ルカは叫ぶと同時に、崩れていく屋根を蹴り、
向かいの屋根とのわずかな空間を、弾丸のような勢いで一直線に駆け抜ける。
風をまとった身体は空中で一切ぶれることなく、距離を一瞬で詰めていく。
(きたっ!!!!)
ジンも崩れかけの屋根の上、重心を落としてその場で正面から迎え撃つ。
ズガァァァンッ!!
お互いの斬撃が激突し、衝撃波が空気を震わせる。
弾かれたように刃を戻し、
攻撃も防御も入り乱れ、互いの力が真正面からぶつかり合う。
ドンッ!バギッ!ドンッ!
押し込むように木刀を振るいながら、ルカが荒く息を吐く。
「いつも、いつも…!」
(なんの事、言ってるんだ…)
ジンは意味を測りかねたまま、それでも襲い来る斬撃だけは見失わない。
そして背後では、風柱がさらに勢いを増していた。
ゴォォォォォォッ!!
先ほどまでルカの居た屋根の家はすでに半分が崩壊。
そして狂暴な渦は、今まさに剣を交えるジンとルカの方へと接近し、
徐々に足場の家屋をも崩壊させていく。
(だめだ、屋根がっ!)
ジンの足元がガラガラと崩れていく。
瓦が砕け、傾斜した屋根の上を少し滑り落ちる。
それでも崩壊していく足場で必死に木刀を構え直し、
右、斜め、全方位から目にも留まらぬ速さの斬撃を迎え撃つ。
激しい衝撃の連続が腕を突き抜ける。
崩れゆく家々の残骸が舞い上がり、二人の身体も巨大な風柱の凄まじい吸引力に引き寄せられていく。
暴風の中での苛烈な斬撃の応酬は、休む間もなく交錯した。
ドスッ!バギィッ!ドガァッ!!
ルカは風をまとった木刀を振り抜き、崩れかけた屋根で容赦ない猛攻をジンに浴びせている。
「なんで、さっきから、反撃してこないわけ!? 舐めてんの?」
風圧だけで瓦が吹き飛び、屋根板が砕け散る。
ジンはその一撃、一撃を受け流しながら後退した。
「いや、俺も魔力貯めるじか……」
最後まで言い終える間など与えられない。
言葉を断ち切るように、次の斬撃が迫る。
ガキンッ!!
弾き返したジンを、ルカは少し冷めたような瞳で見下ろして言った。
「あーわかった、わかった」
(くそっ、タイミング逃したっ…それに急に、なにか怒ってるのか?……)
ジンは眉をひそめ、ルカの表情を見つめた。
その直後――
メキッ……。
二人の足元の屋根が大きく軋んだ。
バキバキバキッ!!
耐えきれなくなった屋根が完全に崩壊する。
遂にジンは足場を失い、屋根の上を滑り落ちるようにして、
瓦礫の雪崩とともに家の中へと、吸い込まれるように飛び込んだ。
床板を轟音と共に突き破り、木片や瓦礫が爆発するように激しく舞い上がる。
視界の先には、同じく崩落する家屋へ飛び込んでくるルカの姿。
ドォン!!
ルカは空中からの勢いのまま床に足をつけると、
その反動を利用して瞬時に最速の踏み込みを見せ、頭上からの鋭い一閃を放った。
崩れゆく家の中で、二人は再び木刀を激突させていく。
ルカの木刀が暴風を巻き込み、息継ぎすら許さない狂気の嵐となってジンに襲い掛かる。
バキィッ!! ドゴォッ!!
袈裟斬り、下段からの逆胴。
ガガァンッ!!
ルカは体勢を崩すことなく、さらなる踏み込みと共に重い突きを放つ。
二人の周りでは、柱は折れ、天井から梁が落ちる。
窓という窓は吹き飛び、すぐ側では、風柱が唸りを続けている。
さらに、ジンとルカは続ける。
交錯する二人の強烈な斬撃そのものが衝撃波となり、さらに周囲の崩壊を加速させていく。
ゴォォォォォ……
不意に、別方向からも風鳴りが響く。
さっきまでの巨大な風柱とは反対方向にも、新たな魔力の風の渦が産声を上げ始めていた。
前後から吹き込む暴風が家の中へと流れ込み、家具も、砕けた柱も、容赦なく宙へ巻き上げられていく。
そして、幾十もの連撃の果て。
ドォォォンッ!!!!!
爆発音にも似た激突と共に、お互いの剣が真正面から噛み合い、
激しい鍔迫り合いの格好で完全に拮抗した。
激しく崩れ落ち、瓦礫が吹き飛んでいく家の中。
至近距離で、二人の顔がはっきりと見え合った。
息を激しく切らしながら、ジンは腕の筋肉を軋ませ、ルカを押し返すように木刀を構えた。
「ハァハァハァ……お前……大丈夫か?……魔力とか……それと、なにか怒ってる?……」
嵐の轟音を縫うように放たれたその言葉に、
激しく押し込んできていたルカの動きが、ふと、わずかに止まる。
うつむいたまま肩を激しく上下させ、汗が頬を伝って落ちる。
「ハァ……もう……あいつの事……ハァ……どうでもいいって思ってたのに……」




