.9 ネクストワールド
ジンは眉をひそめた。
「……?……あいつ?……」
木刀を握るルカの手が、小刻みに震える。
「……まだ好きな自分が……一番むかつく……」
ジンは何も言えなかった。
崩れ続ける家の中で、ただその言葉を受け止める。
その瞬間――
ゴウッ……
ルカの木刀を包んでいた風が、ゆっくりと赤く染まり始めた。
最初は火花ほどだった赤い光が、次第に刀身全体へと広がっていく。
わずかに熱を含んだ風を感じる。
潤んだ瞳のままジンを睨みつけると、ルカは感情をぶつけるように叫んだ。
「あんた、見てると、思い出すんだよ!!」
突然の言葉に、ジンは目を見開く。
「ど、どーいうこと!?…」
返事を待つことなく、
ルカは深く腰を落とし、木刀を大きく横へと振りかぶる。
「そうやって、人のこと放っておけないところとか!」
(きゅ、急になんだっ!?!?)
赤熱する木刀が遠心力を乗せて、横薙ぎに豪快に振り抜かれる。
ジンは咄嗟に自らの木刀を盾にして合わせ、その一撃を受け止めた。
ドカァァン!!
激しい衝撃とともにルカの熱を感じる。
そのまま身体は大きく弾き飛ばされ、部屋の奥へと吹き飛ぶ。
バガァンッ!!
勢いそのままに背中が壁へ激突し、木材が砕け散った。
(うう…こ、これ属性、変わってる!?……か、風から火……)
壁際へ押し込まれながらも、ジンは歯を食いしばった。
荒い息を漏らしながら、ルカがぽつりと呟く。
「いつも何考えてるか、わかんなかったけど、誰にも優しかった……」
(自身の魔力に風を混ぜて、火の属性を強くしてるのか……!)
ジンの視線の先で、刀身を包む赤い光はさらに密度を増していく。
炎は風を飲み込みながら刀身へと凝縮され、赤い輝きは鼓動するように脈打ちながら、
その色をさらに深い真紅へと変えていった。
柱は次々と折れ、天井から梁が落ちる。
ゴゴゴゴゴ……
外では巨大な風柱が唸り続け、その風が吹き抜けるたび、家全体が軋みを上げていた。
赤く燃え光る木刀を握ったまま、ルカは荒い息をつき、まっすぐジンを見据える。
「あんなに好きだったのに……」
焦点の合わない瞳のまま、ルカは力なく呟いた。
今にも壊れてしまいそうなほど弱々しいその声とは裏腹に、
意識を失いかけた身体だけが暴走を続けていた。
その間にも振るわれる木刀は、炎の尾を引いて空間を焼く。
刃が柱をかすめる。
次の瞬間、柱は黒く焼け、灰となって崩れ落ちた。
床も壁も、触れたものすべてが跡形もなく燃え消えていく。
「ここで、あんた倒したら、前に進めそう…」
怒りとも悲しみともつかない感情だけが、その瞳に宿っていた。
ルカの全身から黒く、わずかに赤みを帯びた魔力があふれ出し、周囲へと漂う。
熱気で空気がゆらりと歪む。
近くへ落ちていた木片が、触れてもいないのに焦げ始めた。
(あのままにしたら……!)
ジンは息を呑む。
ひび割れた床を蹴り砕いて、ルカが叫ぶ。
「消えろおおおお!!!」
圧縮された魔力が刀身をジリジリと真紅に染め上げる。
振り下ろされる一撃は、空気そのものを焼き焦がしながら、
目の前のすべてを断ち切らんとする凄まじい威圧感を放って、ジンの頭上に振り下ろされた。
しかし、ジンは迷わなかった。
――ダンッッ!!
爆発したかのような音と共に、ジンは一気に距離を詰め、
振り下ろされる一撃を避けることすらせず、炎の軌跡を潜り抜けるようにルカの懐へ飛び込み、
そのまま彼女の身体を真正面から力強く抱きしめた。
「!!!!??」
ジンの腕がルカの体を強く包み込んだ瞬間、彼の体から放たれた霊力がルカの赤く黒い魔力と激しくぶつかり合う。ルカの身体が大きく震える。
(あつっっ)
燃え盛る熱を全身で受け止めながらも、ジンは腕を緩めない。
「ふざんけな!!」
叫び声とともに、ルカは獣のように暴れ、ジンの体を引き剥がそうともがく。
木刀を振り回し、肘を打ちつけ、必死に拘束から逃れようと暴れる。
しかし、ジンの腕は鉄のように固く、その身体を決して離さなかった。
(くそっ、このまま俺の霊力で押さえ込むしかない)
「っ……離せ……離せぇぇぇッ!!」
腕の中でルカが叫び、全身を震わせる。
(も、もう少し……)
「…触るんじゃ……」
「ご、ごめん…でも…」
必死に霊力を流そうと続けるジンへ、ルカが苦しそうに唇を震わせた。
「……あ……あんた……」
「……??」
思わず顔を向ける。
「……好きな……人……」
「くっ……」
ジンが抑えこもうとしていると、ルカは叫ぶように吐き捨てた。
「いないだろっ!!!」
ドォォォォンッ――!!!!
その叫びに呼応するように、ルカの全身から黒く赤い魔力が爆発的に噴き上がる。
轟音とともに衝撃波が四方へ弾け飛び、二人を囲んでいた家が一気に消し飛んだ。
柱という柱が根元からへし折れ、壁は内側から吹き飛び、天井は粉々に砕け散る。
爆発するように家屋全体が崩壊し、木片や瓦礫が暴風へ巻き上げられて空へと散っていく。
吹き抜けた暴風が土煙を飲み込み、気づけば二人を遮るものは、ほとんど何も残っていなかった。
それでも――
ジンの腕だけは離れない。
「えっ……」
予想外の言葉に、ジンの動きがわずかに止まった。
「くそっ!!……」
なおもルカは暴れ続ける。
ジンはすぐに気を取り直し、抱き締める腕へさらに力を込めた。
(な、なんとか……)
腕の中でルカの震える声が漏れる。
「わたしは……」
「お、俺は……」
言葉に詰まるジンをよそに、ルカは途切れ途切れに続けた。
「……ただ……あいつに……」
(好きな人……)
ジンもルカの震える声に耳を傾けながら、考えている。
「……あ……あぁ……」
腕の中で震えるルカの力が、ほんの少しだけ弱まった。
(霊力の浸透率が上がってきたな……)
ジンはさらに霊力を送り込む。
「なん……で……っ、あんた、なんで……こんなっ……!」
その叫びは、次第に震える嗚咽へと変わっていく。
ゴォォォォォ……
暴風はなおも吹き荒れていた。
すでに家の大半はなく、視界は大きく開けている。
「……痛い……痛いよ……もう、やだ……」
ルカの助けを求めるような声。
それでもジンは、何も言わず抱きしめ続ける。
やがて、ルカの抵抗は少しずつ弱まっていった。
「…ごめん……ごめんなさい……あたし、あたし……」
彼女の体は小刻みに震え、服はボロボロに裂け、戦闘の痕跡が生々しく残っている。
その瞳から狂気が完全に消え、代わりに大粒の涙が溢れ出した。
それに呼応するように、荒れ狂っていた二つの風柱も徐々に勢いを失っていく。
木刀を握っていた指から力が抜け――
カラン……
乾いた音を立てて、床へ転がった。
立ちのぼっていた熱気もゆっくりと引いていく。
暴れていた身体から力が抜け、ルカは静かに瞳を閉じた。
そのまま、意識を失う。
その瞬間――
荒れ狂っていた風がぴたりと止まり、燃え盛っていた魔力も静かに霧散していった。
崩壊の音だけが響いていた空間は、まるで嘘のような静寂に包まれる。
ジンは気を失ったルカを抱えたまま、元の次元へと戻っていった。




