6:毒におかされた彼
清掃された患者の寝かせる台の横に、今日の分のタオルや目隠し布を置いて行く間に、受付から今日の患者のカルテが、またやって来て箱にいれられる。
それを眺めていたフェリーネは、一通り済ませた準備を確認しつつ机に置かれていたカルテを、ふたたび手に取った。
カルテには主に、患者が誰であるかが書かれている。そして患者の体調について書かれている。
けれど、フェリーネ自身は体調を書かれていても、病気の原因から起る症状についての因果関係は、まったくわからない。
症状に関係ありそうな場所を、診るくらい。
一番関係あるのは患者は誰か、という事で、高い身分の方でも病気であれば身なりはあまり気にしないので、失礼のないよう確認するだけだった。
身分を見極め、貴族の方なら、必要以上に丁寧に、時には紅茶をお出したりする。
なんなら、聖女セイラとお茶をして帰る方までいる。
そしてセイラが、フェリーネたちの着ている修道女服を上からかぶり、ベールをかぶり終えた頃を見計らって、本日、セリファス家のお茶会のお客様がやって来たようだ。
その時には、すでに騎士たちは入口側と、入って左側の中央のセイラの後ろの壁の前に立つていた。
「どうぞ、お入りになって」
セイラの声が響く。ぱっと見、どちらの修道女服の女性が話しているかわからないようになっている。
そして扉から、サラが導いて来たそのお客様は、およそ治療に不向きなドレス姿であらわれた。
スカートなんてふんわりと広がっている。
流石にフェリーネも驚き、セイラを見るが――。
「ご婦人、よく来てくださいました。今すぐ治療を始めますわ」
そう、セイラは言ってしまっていた。
「えぇ……、宜しくお願いしますわ」と、現れた貴婦人は少しのばつの悪さを浮かべていたが、聖女の言葉を聞き、今は希望に目をかがやかせ、サラの誘導で台の上に寝転ぼうとしていた。
そんな貴婦人をフェリーネは見ていた。
彼女が寝ころぶと、くじらの髭で出来たインナーが彼女のスカートを持ち上げひらく。
その様子に驚くフェリーネと、同じく驚いてる騎士と目が合う事故まで起こったが、二人とも何も無かったように場所を移動し、適切に淡々と仕事をこなしていこうとしていた。
けれど、肝心患者の患部が曖昧にしか思い出せない。
思い込みで治療しないようにと、注意深く見ていなかった事が仇になってしまったようだ……。
それでも、スカートの膨らみをに押しのけ、全身くまなく診ていたフェリーネに、セイラから問診票が渡される。
「サラテート様とお会いになるためいらっしゃった方だから、患部だけみましょう」
「はい、セイラ様」
受け取り目を通すと、彼女の治療箇所は肩と背中の張りや、筋肉の緊張の書かれていて胸を撫でおろす。
念のため、クジラの髭を押しのけ、押しのけ診た箇所も問題なし。
最初から、思わぬ苦戦を強いられたが、なんとか切り抜ける事ができた。
そして彼女は喜び勇んで、ふたたびお茶会へ復帰するようだ。
次の患者が最後の様で、疲れもたまってきていたので、患者を出迎える前に大きく背伸びを一度した。
受付の担当の彼女から、最後のカルテを持受け取り、カルテヘ一通りに目を通す。
カーク イスト 18歳。
症状を書く欄には、頭痛、眩暈、吐き気、胸がドキドキとする。いった、重大な病を抱えている可能性が項目にすべて、チェックが記入されている感じだった。
しかも原因不明と〆ている。
それを見終えると、芝居がかった様子で目の前に、揃いの衣装で立つセイラに向かって首を振る。
そしてセイラはそつなく、それに答えてようにうなずく。
「セイラ様、フェリーネ様よろしくお願いします」
サラではない声の、修道女が彼を連れてきた。
「よろしく頼む」
待合室から現れた人物は、痩せてはいるが筋肉があり、淡い灰色がかった茶色の髪と、深い緑の瞳。整った顔には自信家であると書いてあるような笑みを浮かべて入って来た。
そして全身に黒と紫の半透明のもやを抱えている。
そんな彼をベッドの座らせると、誰が聖女かわからないよう目隠しをかける。女神の偉業を見せないように、そう受付で伝えたいるのに、逆らう人はそういない。
「では、始めます」
そうセイラの声が治療室に響いた。
寝かされた彼の上を、四つの手が動く。
2つが聖女の右手と、左手、残りの二つの手はすべてを掴む勝利者の手だった。
フェリーネが額に汗を浮かべ、色の濃い黒と紫のもやの立ち昇る、彼の体の僅か上に彼女の手を滑らせていく。
「カークさん、毎日や定期的に食べたり飲んだりするものはありますか? お酒を飲んでしまったりしてませんか?」
「食事は通常のそれとかわらない。酒は飲まない」
「そうですか……」
フェリーネが治療をしていく中、セイラが次々彼に質問し、原因を探っていく。こういう事は、人当たりのいい彼女が適任だった。
「どうしたんだ? 悪いのか?」
「ええ、そうですわ。悪いですわ。聖女には病気や症状が黒と紫のもやに見えるのですが、とんでもなくその色が悪いわ。心当たりある?」
――セイラ……。
「そうか……」
歯に衣着せぬセイラの言葉に、カークは言葉少なに、考え込んだ。
しかし彼のまとわりつくもやは、細胞の破壊を意味する、黒のもやは消せても、その原因となる風邪、腹痛のばい菌の紫のもやはいつもよりいまだ色濃く、広がりがあまりない。
ここまで、酷いのは貴族の御屋敷に、内密で連れて行かれ、長年毒を盛られていた当主や側室の女性を治療した時を思い出すだけだった。
「山で常日頃、毒素くしい色のきのこを食べてしまっているとか、腐臭がする水に住む、魚を食べてしまっているとかないの?」
セイラが思いつく限りの原因を、なおも言っていく。
「セイラ様、ここまで紫の色が鮮やかなら毒ですか?」
彼に聞かれぬように、そっとセイラに耳打ちする。
「えっ、……では、毒殺されそうな可能性は?」
「えっ、ちょっ」
歯に衣着せぬセイラに、思わずフェリーネの言葉が漏れ、部屋全体の空気がピリついたのがわかった。
彼からは、息を吞む様子が伝わってくる。
どうやら確信に触れたようだ。
「そういう可能性はある……。治せそうか?」
彼は背中越しだったからだろう。首をひねり、フェリーネに対し呼びかけた。
「大丈夫ですわ。私に任せてくだされば」
そう誇らしげに、セイラが患者につげている。
しかし、彼の症状を表すもやは、すぐに完治不可能なほどだった。
彼女の言葉を聞いて、フェリーネも懸命に治療をするが――。
「ヴぅ……ッ、うッ……」
「大丈夫ですか?」
「いや、大丈夫続けてくれ」
彼はそういうが、春のこの時期に脂汗でなのか、薄い衣服が体に張り付いてしまっている。もしかして痛みを感じていても、相当無理をして耐えていたのかもしれなかった。
「セイラ様、もうそろそろ終わりにいたしませんか? このまま彼の体力がもちません」
「大丈夫だ。この地にはしばらくしか居る事ができない。しかし、万全を期すべき用がある。そのまま続けてくれ」
「いえ、ここまででお願いします。聖女様自身もお疲れになってしまいます」
セイラと、患者の彼の間を塞ぐように身を乗り出し、フェリーネは強く言い切った。これ以上無理に治療を続けても、お互いのために良くない。フェリーネ自身は、治療は明日も続き、今闇雲に力を消費したくはなかった。
「そうだな。悪かった」
「いえ、そんな事はありませんわ。カークがやると言うなら、私なら大丈夫ですわ」
「いや、大丈夫。ここまででいい」
フェリーネの一瞬の緊張をよそに、彼はセイラの言葉を遮るように、手をついて上半身を起した。
それを見てしばらく、セイラがしばらく固まった。なんとなくだが、彼女の苛立ちがフェリーネには伝わっている。
「診療が終わりましたので、目隠しを外しますね」
「いや、いい」
そういうと、彼は目を覆う白い布を鼻筋の上で握りしめ、上へと持ち上げてそれを外した。
彼が目が開く。深い森を思わせるような緑色の瞳に、フェリーネは思わず息を飲む。
――女神様の様に、美しい深い緑の瞳……、……優しそうではないですが。
「では、予約をいれますので、また後日、こちらへおいで下さい」
癒しの間の出口の前まで案内し、そう言うと彼が事務所側の通路へ進むのを確認した。
その時、彼は振り返りフェリーネを見た。少しばかりの間だが、そのエメラルド色の瞳は何か語りかけるか、彼女もしばらく彼を見つめていた。
顔をそらしたが、瞳だけはちらちらとこちらを向く、彼の手があがる。
――……さよなら? ……あっ、手を上げなければ!?
と、フェリーネは、手を上げひらひらと振った。
「また、おいでください」
――ふふふ、友だちみたい。
そんな表情を緩めた彼女を、ベールの越しに確認したように彼はまた、前方を向き直り歩いて行く。彼の背にかかる黒と紫のもやは以前消えないけれど、少しだけ見える量は減っていた。
続く




