47:ローリエの城の彼女
ローリエという新しい土地に住み始め、城という生活環境にはまだなれず、久方ぶりでローリエの教会で仕事を再開した。
その全てになれるための日々が、一週間ほど過ぎただろうか?
少しだけ、時間に余裕のできたフェリーネは、ハンカチに薔薇の刺繍をしていた。刺繍は、祖母であるマーサが提案してくれたものだ。
「貴族ってわりと裕福でしょう? 男も、女も。そして何でも持っている男性が素敵な殿方って見られる事も多いわね。ダリム様なんて髪までふさふさだったのよ」
「ふさふさ……、ぷっ」
編み目の荒い布に、先の丸い針で、クロスステッチで刺繡をしていたミリアが思わず吹き出したようだ。
そんな祖父は想像に難しい。フェリーネは笑っていいのか、考えてしまっていた。そんな彼女に祖母は微笑む。
「長く連れ添えば変化はするものよ。その時々で愛を形で送る事も、時には大事だわ。何でも持っている殿方には、女性は刺繍をほどこしたハンカチを送るのよ」
「そうなんですか……」
フェリーネは、他人事の様にそう返事を返す。
恋や愛について考えた時、胸の奥がツーンと痛んだ。
「そうなのよ……。ゆっくり考えてればいいわ。私たちは……ううん、何でもない。そうそう、でも、素敵な男性の紹介はするわよね。世界の半分は男性なのだから、彼らと交流するのもいいと思うわ」
そう彼女の祖母は、フェリーネへ語った。
祖母の言う男性というのは、貴族の方の事なのかもしれない。きっと、危険なライストファーの町に住む、普通の人々や、きっとあの人の事も、その数に入って居ない様にフェリーネには思えた。
◇◇
フェリーネにとって刺繍は楽しいものだった。
初心者の彼女には、まだ創作のひらめきは求められていない。
お手本を、洗えば落ちるうすい石鹸のような、線の書けるものでハンカチに移す。
その後は、イラストに添えられた色の刺繍糸で、書かれた縫い方でひたすら縫っていくのみ。それは頭の中で呪文を組み立てる事と似ていた。
ただ、ひたすら縫っていく中で、いろいろな事を考える。
例えば、カリオスが祖父の条件に満足をして、自分をこの城へ置いて行ってしまうこととか……。
そう考えれば、気が滅入る。
刺繍は、ステッチをひたすら縫っていく事だが、描かれた薔薇もくすんで見える。
そんな気がした。
そして不安定な気持ちは、どんどん落ち行く。
過去の中へ、記憶の中へ。
そこは雨降り、夜の闇、風が少しだけ吹いて、着こんでいる修道着の中には雨が伝い、冷ややかなつめたさが体をつたう。
心は不安で、霧がかかったよう。
けれど、つながれた手はまだ小さく温かく、その体温が冷めてしまわないことを、あの人が来てくてる事を、ただ願った。
そこに月の光の無い、夜の闇より、深い闇と、禍々しく、毒々しい紫色。
着込んだ外套も隠れる程の、毒に侵されたあの人は、どこか遠くを見てた。
温かな手を感じながら、フェリーネは彼を見を見つけた。
そして彼はこちらを向いて――。
チクッと、指先に痛みが走る。
「痛っ」
その指を見れば、まち針の赤い小さな飾りの様な、赤が見た。
それが雫となってしまう前に、指に白い布が置かれた。
フェリーネが顔をあげれば、こちらの様子をうかがうオリビアの顔があった。
「痛い?」
心配そうなミリアの顔があった。
「あ……、そうですね。ちょっと痛いですね」
フェリーネは寝ぼけ様にそう言った。
彼女の意識が、やっと現実へと戻って来たようだ。
そしてその白い布の上から、怪我をした指を手のひらで覆う。
光が一粒だけ飛べば、ミリアが「おぉー……」と声をあげる。お口は小さくまん丸に開いている。
「これで、治りました」
彼女は手品の様に、柔らかな白い布を指から外せば、傷は跡形もなく消えている。
「本当に?」
ミリアは目を凝らしみているが、もともと小さな傷であったので、探すのは苦労する。そうそうに諦めたようで、「気をつけてくださいね」と、おねぇさんの様に彼女に言うのだった。
「そうですね。気をつけます。そしてオリビアありがとう。この布、洗ってきますね」
「あっ、なら私もいきます」
「じゃ、わたしも」
立っていたオリビアに続き、刺繡をしていたミリアまで、針を、布の荒い編み目に刺し通し、二つに折り曲げるとか立ち上がる。
それを見て、フェリーネも慌てて刺繍針を針刺しに刺し、それがついている箱の中へと、ハンカチを入れた。
「ふふふ……」
「おねぇちゃん、お片付け忘れてたの?」
「ええ、そうね。忘れていました」
「おねぇちゃんたら、もう……」
「まぁまぁ、ミリアそこら辺で、私のハンカチを洗ってくれるというのだから、行きましょう」
「今後、気をつけるわ」
そういい。フェリーネも立ち上がる。
昼下がりの窓の外は素敵な青空、その下に緑に覆われた山が見える。
その山々の川を挟んだ境目付近、そこに彼の帰るべき町がある。
◇
ローリエの城の廊下は中庭に面して、造られている。
中庭もとても素敵な場所で、夜の今も出歩けるように、松明を何本を使う鉄製の庭飾りで、足元がおぼつかない程度は明るい。
その廊下で、フェリーネは数少ない荷物の内の一つ、聖女であった祖母が生きて居た時から読んでいた本を読んでいた。
ローリエの城の使用人には、早々にその情報は出回っていたかもしてない。
彼らが、その廊下を歩けば早々に、フェリーネの赤い瞳がその足音の発信源を捉える様にみつめる。
そうすればその使用人たちは皆、丁寧に彼女に声をかける。
「いい月夜でございますね。読書にはうってつけかもしれません。その夜を演出いたしますために、御入用なものはございますか?」
「いえ、素敵な廊下なので、つい、本を読んでしまいたくなってしまっただけなので
」
「そうでございますか。素敵なひと時を」
◇
そう、その使用人は言った後、厨房へ帰る。
「女性にも、男性にも言い難い事でもなく、飲み物、食べ物ではなく。フェリーネ、お嬢様は何か欲している。これは完全に、あの方しかないだろうな……」
そう集まって来た使用人たちと会話を始める。
そしてそれが城の管理を司るローリエ家の家令へまわされる事となる。
そして賽は投げられた。
ローリエの城の剣術の練習場がいきなり、設備管理の目的で本日使用禁止になったのだ。
◇
それから十分ほどして、町に暮らす彼より、数倍きっちりとした貴族としての礼装を着込んカリオスがやって来た。
彼はスラックスのポケットに手を入れ、『奇妙な事もあったものだ』という顔をして歩ている。
そしてカリオスと、人待ち顔のこの家の聖女様との出会いはすぐ起こった。
「ここで何をしている?」
カリオスはこの城の客で、フェリーネはこの家の正真正銘の当主の孫娘。
聞く立場が違うのだが、彼は気にしていないようだ。
「いえ」
フェリーネはパタンとその本を閉じた。
そして彼女は立ち上がり、彼のエメラルドの瞳を見る。
彼の前に、派手な刺繍も、やわらかなシフォン布も使っていない。
白を基軸とした色合いのメイドの服、その上に薄地でフードのついている魔術師のローブを着込むフェリーネの姿があった。
「似合うな」
「そうですね。私にも似合う様に作っていただきました。ポケットもこんなにたくさん」
そう言って、ローブの前のリボンをほどき見せていく。
「ここと、ここ、ここにも」
ローブには両脇に一つずつしかないが、メイド服の方は胸元のレースが隠しポケットになって、用途べつに大きさも決定されるように縫い目が入れてある。
「ねっ、凄くありませんか?」
そう、顔をあげた時、彼は口もとを押さえ赤い顔をしていた。
「えっと……治療いたしましょうか?」
「いや、いい、大丈夫だ」
カリオスの黒の手袋をつけた手が、彼女の顔の前を覆い前が見えない。
その手にも、もやがなく、さっきの様子にも、もやが無かったように思う。
でも、疲れや、疲労回復となると、フェリーネの専門外だ。
フェリーネの聖女の力は、生まれた姿から無事成長した姿への復元だけだった。
だから元気はつらつなお年寄りにする事はできないし、病み上がり疲労が原因でなくなってしまう事もある。
しかし、勇者、英雄というものは、それを乗り越え、戦う力があると聞く。カリオスもそうであるかもしてないけど……。
「ですが、疲労や疲れなどあるなら寝た方がいいですね」
そう彼女は話を締めくくろうとした。無理をするといけないので、部屋へと足を進めようと、足ものばしていた。
しかし、彼女の目の前に手が立ち塞がる。
「ちょっと……」
思わず、声が出た。しかし、部屋の中にはオリビアが居る。無礼討ち? 思わぬ戦いにならない様に、すぐに声は小さなものになって行く。
目の前にカリオスの顔があり、彼の赤く恥ずかしようだ。
後ろも彼の手で塞がれた、フェリーネも負けずに恥ずかしく。
――恥ずかしいならしなければいいのに。
――彼は恥ずかしかったのだ。
そう考える。いや、もっと考える。
――カリオス、カリオス、カリオス?
名前をただ繰り返す。鼓動の様に、叫ぶように。
――なぜ? なぜ?
心は言葉に覆われて、自分の意志が見えない。
「顔が近いです……」
「すまない。きっかけは彼らとして、君の祖父母の登場で、少々不安になってしまったようだ」
――不安になると、そんなに体が密着するものですか?
その言葉を、彼女は飲み込んで――。
「では、話し合ってくださいますか? 場所はあの中庭のガゼボで」
そいうと、彼はその姿勢のままで振り返るが、二階のこの場所では、その場所は見えない。
「なぜ、その場所なんだ?」
「いいでしょう?」
そう言って彼女はその場に座り、膝を抱え、そこへ顔を隠した。
彼が、困っているのがわかる。
「……行ってみたかったんです。夜のガゼボ、どうなっているのか知りたかったです。夜の景色を……」
――呆れたでしょうか?
そんな彼女の頭を指先が触れる。こわごわと、しかし慣れれば優しく、フェリーネの頭を撫でている。
「握手が出来なかったからだ。念の為もう一枚、フェリーネ、外套を羽織って来るんだ」
「はい……」
彼女はしばらくそのまま、大人しく撫でられていたが、立ち上がり部屋へと入った。その時、二人とも目を合わすことはなかった。
続く




