32:貴族の義務と聖女の義務
カリオスが、治療後のフェリーネを、お姫様抱っこで教会から連れ去った、その次の日。
今回は、彼の意図しないか噂が、町を駆け巡っていたようだった。
領主のカリオスが、王都から聖女を連れ、舞い戻って来た。
と、いう話が、領主のカリオスが、王都から花嫁とするため、聖女を連れ去って来た。という、より真実に近づきつつも、ドラマチックな演出が加わった話へと、変貌してしまっていたようだ。
「フェリーネ様、領主様と結婚なさるそうで、おめでとうございます」
そう最初に、噂についてフェリーネに告げたのは、転び、足の骨を折ったそうで、寝た切りになる前に見て欲しいと依頼のあった家のおばあさんだった。
治療を終えた彼女は、ずいぶん顔の表情も明るくなり、にこにこと二人を見ていた。そして椅子から完治した足を降ろすと、そう話した。
その時、紅茶を持って現れた彼女の娘は、台所の前で動きを止めていたが。
「えっ!?」
フェリーネも、同様に飛び上がるほど驚く。
「誰が、その様な事を?」
少々ドスの利いた、オリビアの声も、お祝いムードには水をさせなかったようだ。
「あら、お見舞いにくれ皆さん、みんな言っているわよ。『こんなへんぴな場所へ奥様が来ていただけるなんて、ありがたい事だわねー』って……。ありがとうございます聖女様。貴女は我々の希望だわ」
そう言って、フェリーネの手を包み込み、手に祈りを捧げるさげているように老婆は頭をさげる。
オリビアも、その言葉を遮る事はできずに、戸惑うばかりのようだ。
「嫌だーおばあちゃん。まだ、お二人は教会にも、王室へも届けを出していらしゃらないのよ。そんな急かす事を言ってはだめよ」
『ですよね?』そう娘さんの顔が言っている。
「えっ、あっ、そんな事は……」と、フェリーネが慌てても、「そんな話はあるはずがない」とそうオリビアが断言しても――。
「そうよね。おばあちゃんが変な事を言って、ごめんなさいね」
「あら、そうなのかい……残念だね。いい男なのに……」
「もー、おばあちゃん貴族の方は順序があるの。そんな事言うもんじゃないわ」
そう彼女は自分の母親の前に座り、目を細めて、思いやる様に足をさすっていた。その表情を見ては、それ以上言う事は、無粋であるに思えて、二人は口を閉ざし、静かに紅茶をいただき喉を潤す。
しかし、家を発つ彼女たちに、彼女は「どうぞ、領主様をお願いします。フェリーネ様、あの方も私たちにとっては命の恩人なのです」
そう、思わずこぼれ出た様に、彼女は言葉を紡ぎ、扉を閉めた。
そして、フェリーネの横には「違う……」という言葉と共に、伸ばされたオリビアの手があった。
「……、カリオス様はこの地の方と結婚するのに……、あんな噂、後で困りますよね」
それだけ口に出し、歩き出したフェリーネに、オリビアは何も言わずただ横歩いた。フェリーネの言葉は少しだけ寂しげで、それを彼女もわかっていただろうに……。
◇◇◇
しかしその噂の影響は、確かにあった。
侯爵であるシオン ハークエルは、長い深紫の髪を、紋章の天秤を背負うコートの上になびかせ、顔を赤く染めるフェリーネの手を握りしめる
「フェリーネ、私は、私の仕事をするために帰りますが、決して私の事を忘れないでくださいね……」
彼は帰路へ着く。
そしてそう言葉を発し、自分の思い出を刻むように彼女の手を長い間、離す事はない。
忠臣オリビアはもちろん、命の恩人のシオンとマルティーも今日は小粋な突っ込みもできずに、ただ見守るだけだ。
村人、特に自警団からは少々の殺意は出ているが、平民なんで何もできやしない。
フェリーネだけが、戸惑い、ちらちらと助けを求める様に人々へと視線が送っていた。
それは、ライストファーへ住み始めて、五日目の朝の出来事。
「ここへ愛しい君を置いて行く事を考えるだけで、この胸が引き裂かれそうだ。けれど……、オリビアならきっと、私の願いを叶えてくれるはず」
「お任せください。この命を賭けまして、フェリーネ様を無事な姿でシオン様の前へ、お連れする事をお約束します」
彼女はそう言い、顔の前に握りこぶしを掲げ、敬礼の姿勢をとった。
「フェリーネ、君がこの地でカリオスの計画通り、聖女となれば、君は正式に王位第一後継者の伴侶となる資格を得る。それは手放しの幸せではないが、伝える義務をここで果たそう」
そう言った彼は、今はも手を離しているが、先程と同じ熱量で瞳は輝き、戸惑うフェリーネの赤い瞳を見つめている。
「そうすればフェリーネ、君はライストファー卿と、この町を、イクリオン家から無傷で解放できるだろう。少々手こずると思うが、大丈夫。私も手伝う事にするよ。セルジオス様とは友であり、私は第一の家臣だからね」
愛の囁きを綴る様にも聞こえるシオンの言葉。
しかし、フェリーネにはその言葉は、ふたたびしきたり世界への帰還を意味し、自由と真逆の意味を持って聞こえ、心に冷たいものがかすめた。
「何故、それ今、貴方がいいうのですか?」
「君に選択の自由を、私には後ろめたさが無くなる利点がある。自信も少なからずある。それに今、私は貴族の義務で動いている。なら、伝える義務も行わなければ」
「義務……?」
「そう、義務。貴族は権力を持つが、義務も担う。聖女も同様でそれについて、君も考えていい頃合いだ。そして……、私に興味を持ったならオリビアか、カリオスに聞くといい。今は、そういう感心の引き方しかできないが、その続きはいずれまた……」
彼は優しい師の様にそう言うと、彼女の前でひざをおり、やや強引に手を引き寄せ、その手の甲彼へと口づけをする。
「あぁッ……?!」
彼女の見つめる手の甲は、今度はみるみるうちに赤色に染まっていく。その柔らかさが、彼女の心臓により早鐘を打たせる。
そして、公爵は彼の家の紋章を翻し、騎士へと向き直る。
たおやかに笑っていた、唇は引き締められ、勇ましい一面をより強調する。
「オリビア!」
「ハッ!」
「お前は、お前のなすべきと思う事を成せ!」
そう雷鳴のような言葉を、家臣へと授ける。
そして彼に跪くオリビアは、忠臣であり、聖なる者だった。
フェリーネには彼女の方が、聖なる存在に相応しいと思えるほどに。
「では、しばらくここを離れます。どうぞ、イクリオン家のサラテート、彼女に勝とうと思うのなら、先程言った事をお忘れなきよう。どうぞ、お気をつけて、私の聖女フェリーネ」
「ありがとうございます。お気をつけて」
フェリーネの言葉を最後に、彼は颯爽と貴族の馬車に乗り込んだ。
フェリーネに、貴族の世界を教えてくたシオンは、いきとは逆の荒れた道を行く。人の世界、この国の終わりを見に行くために、貴族の馬車の列は進んで行く。
フェリーネはその列を見えなくなるまで、見送ったのだった。
続く




