3:奪われた幸福 1/2
祖母が居た頃、古い教会はそれでも改装をくり返し、女神が過ごした頃の姿を保っていた。
こぢんまりとしているが、人々の憩いの場でもある教会、正義や秩序を伝えるべき教会の姿だけがそこにあった。
しかし、教会本部側に男女問わず、祈る事のできる新しい教会が建設された事で、今や、壁のペンキの色はまだらに剝げ落ち、壁の建材である石を積み重ねた状態が見えてしまっている。
彼女は祖母と住んでいた家を追い出され、 フェリーネはその教会に、ミリアと二人だけで暮らしている。
祖母の買ってくれた服を繕いながら着て、普段は、その上にすっぽりとかぶる修道服を着ている。
腰ひもで、サイズの調整する修道女の制服も、祖母が亡くなってから変更されたものだ。
フェリーネの生活は、誰かから告げられると共に、変わってしまう。『どうして?』は、祖母と別れの日に、承諾した継母の言葉の中にあり、反抗はセイラの言葉を思い出し諦める。
そして今のフェリーネの仕事は、毎日の午前中は修道女の服を着て、先が不揃いになってしまったほうきの柄を握り床をはいたり、拭き掃除をしたり、繕い物をしたりと、雑用のばかり押し付けられる日々を暮らしていた。
その時、彼女がいる聖堂の古く重々しい扉は開かれ、少しだけ冷たい風が吹き込んで来る。
開かれるた扉から現れたのは、白いベールをかぶる、修道女だった。
修道女は肩でそのどっしり鉄製の扉を支える様にして、顔だけだすように中の様子を覗き見た。
そして教会内に彼女が居るのを確認すると、重い扉を体を滑らすようにして教会の中へと入ってくる。
それを見ていた彼女は説教台へほうきを立て掛けて置くと、その台の上に置かれていた、小さな手提げ鞄と、さらりとした手触りのベールを手に取ると、顔をベールで覆い隠す。
中央の道に、ひかれた色あせた赤色の絨毯へと歩いて、修道女がやって来る方へと歩いていく。
そして彼女たちは出会い、聖堂へ入って来た女性がかしずき、フェリーネへと話しかける。
「フェリーネ様、治療のお時間です。癒しの間でセイラ様がお待ちです」
「わかりました」
その時、修道女の首元に、黒と、少しだけ紫色のもやが巻き付くのが彼女には見えていた。
前を歩く者の首に右手をかざすと、もやは浄化され、消えていった。
「あの……、私の治療してくださいましたか?」
「ええ、首の辺りを、すこしだけですが……」
「ありがとうございます。フェリーネ様、朝から喉が痛く風邪かと思っていたところだったのです」
前を歩いていた彼女は、振り返り足を止めこう言った。
「いえいえ、他の皆さんは秘密ですよ」
ベールで隠れた、口もと辺りに人差し指を当てる。
「はい」
「では、行きましょうか。セイラ様待っていますよ」
修道女の彼女は、フェリーネの言葉に静かに頷くと、今度は少しだけベンチ側に引っ込み、フェリーネを先へと歩かせる。
重い扉を二人して開けると、出口を出たところで呼びかけられフェリーネは振りむく。
教会の塗装の落ちてしまった石の肌の見える外壁の前で、年端もいかないメイド服を着たミリアが、地面に座ってこちらを見上げていた。
十四歳の時、道端で倒れていたところを助けた獣人のミリア、彼女だけが祖母亡き後も、側に居てくれている。
「フェリーネ様、お仕事行っちゃうの?」
フェリーネは、ベールを上げて赤い瞳で女の子に笑いかける。
「そうよ。ミリア、貴女は修道院でのお手伝いはいいの?」
「まだ、呼びに来ないから……」
ミリアはフェリーネが仕事へ行くと知ると、いつも血色の良い柔らかな頬、明るい笑顔を表す口もとに少しだけ、かげりを感じるように見えた。
「では、ミリア、中の掃除お願いできますか? 集めたごみを、捨てておいてください」
「うん、いいわよ」
「ミリア、ありがとう助かったわ」
そんなミリアの頭を、フェリーネが撫でれば、猫のフサフサのお耳が満足そうに動いた。
「おやつが出たら持って帰るから、期待しないで待っててくださいね」
黒のメイド服を着たミリアの、金色のキャッアイがキラキラ輝きだす。
「絶対よ!」
「それは無理ですよ」
フェリーネはニヤリと笑い、ベールでふたたび顔を隠すと、手を振り門から出る。
「仲がいいのですね」
「はい、仲がいいですし、助けられてもいます」
彼女の声に、喜びが満ちる。
「フェリーネ様……安心いたしましたわ」
今はもう顔も見ることも叶わない、修道女の彼女に、「ありがとう」とフェリーネは言葉を返した。
壁と柵に囲まれた細い道を、東へと向かい歩いて行く。
その道はとうの昔に男子禁制が解かれ、今では中央本部側の敷地になっている。
鉄製の薔薇をかたどった柵の向こうに、貴族を思わせる屋敷の庭に、ガーデニングテーブルのセットが置かれ、何人もの貴婦人が揃って噂話に花を咲かせているようだ。
「あら、もしかして……フェリーネ?」
声の方へ顔を向ければ、美しい衣装で着飾った継母方の大おばが柵の向こうでフェリーネを見つめたていた。
彼女とフェリーネを隔てる柵には、咲き誇る大輪の赤い薔薇が柵の隅々まで蔓を伸ばしていた。
どうやら、その薔薇を見ていて、その向こうで歩く、修道着姿の二人を見かけて声を掛けたようだった。
彼女は若くして王のもとへ嫁ぐが、子をもうける前に王は亡くなり、王の弟が兄の後を継いだため、籍は実家である公爵の地位となっている。
イクリオン家へと戻ってはいるが、王家とはもともと親戚筋で、その権力は衰えることはないようで今日も貴婦人の中心に居て、見下ろすような視線をフェリーネへと向けていた。
そんな彼女は、大輪の薔薇の様に、気高く、美しい様にフェリーネには思えた。
そして……その棘に決して、刺されたくはない。
「サラテート様、久方ぶりの再開ですが、ベールをかぶったままであることお許しください。お元気そうで何よりでございます」
威厳のある視線を向けられ、心が騒めき、フェリーネは頭を低くして挨拶していた。
「誰ですの?」
「セイラ様の姉君ですわ」
「あぁ……聖女様の血筋の……」
サラテートの後ろで、貴婦人たちが囁きあう。
継母の顔を貴婦人の中に見かけるが、アークエルにとっても、伯母のサラテートは頭が上がらない人物のようで、こちらを睨み付けながらも会話に口を挟むことはない。
「まあ、やっぱり……、貴女なのね。私には相性がいいか、悪いか見ただけでわかるの。だから、貴女じゃないかと思ったわ。邪魔したわね。行っていいわ」
彼女はそう優雅に言ってのけ、こちらへ背を向け、輪の中心として貴婦人を引き連れてガーデニングテーブルの方へと帰って行った。
美しい背中には贅肉はなく、継母より若いはずだ、彼女はいつでも魔性の微笑みをたたえている。という印象は今回も揺らぐことはなかった。
「「失礼いたします」」
――指先を赤く染める程の棘の痛みを感じたが、牽制だ。まだ痛くない。
そう頭をさげながら、考え、かたく目をつぶる。
そうしてふと、思い浮かぶ、不幸な未来をやり過ごす。
フェリーネたちは無事切り抜けた事を安堵し進むが、今度は自宅の玄関から出てきた継母が、道を立ちふさがる。
目を三角にして、こちらを睨み付けている顔を見て、彼女たちの歩調は遅くなる。
「いつまで、ゆっくりと歩いてあるつもり?」
「お義母様……」
継母は先程まで、貴婦人たちと一緒に居たはず、そう思い二人は戸惑い、言葉を失う。
だか、修道女の彼女が、先に我に帰ったようだ。
「申し訳ございません!」
そう言うと彼女は、こちらへ向き直りベールで見えないはずなのに、その気迫に押し出される様に、実際に背中をぐいぐいと押されつつ――。
「申し訳ありませんでした。それでは失礼……」
そう言い終わない内に、継母の前を横切り進んでいた。
進むと左手に、煉瓦でつくられた中央本部事務所の裏口側出入り口がある。そこに早足で逃げ込んだ。
――もしかして、まだ、お義母様はこちらを見ているのかしら?
そう心によぎったが、覗き見るなんて、決してそんな怖いことはできなかった。
心を落ち着けながら、螺旋階段を上がっていく。
続く




