10:不安の中で
約束の新月の朝、いつもの通りの朝が明けきらぬ時間に、彼女は目覚めた。
しかし今日はいつもの様に、すぐに立ち上がる事なく考える。
ベッドの上で、寝間着姿のままで静かにどうすればいいかと考える。
――外の世界が見てみたい。
朝起きて、修道院の顔見知りの人たち、ミリアの事さえ考えに入れず、どうしたいかを考えた。
だが、こうしたいと思う気持ちは直ぐに、暗い波にさらわれる様に、黒い空白の中へと落ちていく。
そこから浮かんだ気持ちが『ここから出たい』という気持ちだった。
そして小さく、挿絵の風景が頭に浮かぶ、
そこで、フェリーネはベッドから降りると、今日の用意を始める。クローゼットにかけてある、チュニックを袖を通し、上からかぶった。
廊下に出て、小さなテーブルに置いていたランプに、マッチの火を中にさし入れると、ランプの炎が燃え上がる。怖いけれど、心が落ち着ける炎。
辺りにマッチの硫黄の匂いが流れ、その流れに乗るように歩き慣れた廊下と階段、部屋を通り、礼拝堂へ。
運命の日、この教会へ降り立ち、そしてここから旅だったという女神カシオペアのその御姿の前に立つ。
彼女もこの場所で、計画を練って準備をしたのだろうか?
先の見えない旅に、不安だったのだろうか?
期待に胸を、膨らませたのだろうか?
そう考えると、彼女を身近に感じられ、だから、彼女に心から祈る。これからの旅が無事終わるようにと。
神聖な女神と考えていた時より、共通点のあるカシオペアと考えた時の方が「そうなのね」と聞き入れて下さるのではないかと思えて不思議。
次に掃除を始めた。
ほうきを持つ手を動かしながら、あれで荷物は足りるかしら? と考えもするが、そもそも二人の持っている衣装は少ない。
ここの修道着をもって行く事も考えたが、厚い生地のそれは、かさばるので他の荷物が入らなくなる可能性があった。
カリオスの管理する領地でも、聖女と仕事を始めるつもりでいるが、場所は今の様に教会で出来る? 、許可はどうすべき?
教会なら、早々に見つかってしまわないだろうか? そう頭の中で考えつつ、雑巾がけをする。
――でも、教会では今の様に、ミリアに服も買ってあげられないかもしれない……。
なら、騎士の練習場のどこか働かせて貰おう。
そうすればいつでも、彼の毒を中和できる。
そうよ! 本調子でないのなら、彼も無理にことを進める事はないはず。
いや、させない。これから私が聖女になるのだから。
しかし、その決意もすぐに不安の中に沈む。
目に焼き付く、贅肉のない後ろ姿。
数える程しか彼女とは会ってはいないが、、貴族という階級の人々の中で名声を轟かす事の出来るサラテートは不気味な存在だった。
いつでも大輪の薔薇の様に、花の中でひときわ目を引く存在の彼女と、対峙すると思うだけで、フェリーネの心を騒めき始める。
それでも掃除を続け、そして最後に彼女は女神の前で膝をつく。
「カシオペア様、この教会を離れる事をお許しください。ですが、私は参ります。外の世界を見に」
そう彼女は女神の像へ、決別の意志を表すような強い口調で告げた。
きっとわかって下さる。
不安を掻き消すように強い気持ちで、そう自身言い聞かせながら……。
その祈りが終わると、彼女は荷物を用意にまた戻る。
この三日間、少しずつ掃除をしてきたけれど十分には程遠い。
まわりに気づかれない様に最良を目指し、手を動かす事しか彼女にはできなかった……。
◇◇◇
治療時間はとうに過ぎて、最後の患者が帰ってしばらく経つと、セイラたちの居ない癒しの間からフェリーネは一人出て来る。
気になりカリオスがまだ来てもいないだろう、空の下の風景に目をやれば、廊下にある窓は、少しだけ濡れていた。
近くまで寄っていくと、雨の音が聞こえ、窓に屋根からの雨水が滴って流れ落ちた。
霧雨が、音もたてず降っていた。
それでも、僅かな日の光が、最後の輝きを地上に残し、闇の中へと進もうとしている。
そんな空の下まで出ると、少しだけ走って帰る。
礼拝堂にミリアの姿はなく、奥のには一人分だけ、修道院から貰って来た夕食が残っていた。
きっと話しておいた通りに、眠っていてくれているだろう。
やはり、こまごまと掃除や確認を済ませて、席につき祈りを終えると、箱に入れられたスプーンを手に取り、畑でとれた旬の野菜のスープをすくいあげる。
湯気が少しだけあがり、飲み込めば野菜の優しい甘みが広がっていく。
じゃがいものかたちの少しだけ残る。マッシュポテトとライ麦パン、祖母のいた頃変わらない味付け、修道院の料理をすべて、ミリアは作り方覚えたって言ってたけれど、二人で暮らせば食べられるようになるかしら?
食べながら、口元が緩んでくる。
一つ、一つ思い出と絡め合わせながら食べていく。美味しく、懐かしさの中にいて、食べ終われば俄然やる気になっていた。
彼女は立ち上がり、皿を洗う。
とうぶん使わないだろうから、そのまま、すでにある皿を重ねて、キッチン片付けは呆気なく終わった。
彼女は昨日までに用意し、まとめて置いた物を棚や二階の寝室からかき集め、着古した修道着の糸をほどき、縫製し直し作った、背負うリュックの中へ詰め込められるだけ詰め込む。
それからの時間、ふと沸いてくる怖い未来予想に負けないように、掃除をしたり、忘れ物がないか確認したりして過ごした。とても、とても長い時間に思えた。
やめようか、とも思ってしまうほどの長い時間。
そして二十時の就寝時間になる鐘が鳴っても、その雨は止む事はなかった。
「ミリア、ミリア起きられる?」
修道着から作ったリュックを背負い、ミリアを起こす。
「起きたよ……」
彼女はそう、はっきりいって寝ている。
お医者様が言うには、両親が亡くなってから、私たちと会うまでにしばらくあったような印象があるらしい。人間と獣人の間が遠いこの街で、国に届け出ただけで、獣人のコミュニティーへの接触は避けられた。
だから彼女は《《たぶん》》初等部ほどの年齢。
それほどの身長の女の子でも、寝ている状態から、背負って階段を降りる事は、危なくて絶対に無理。
――うーん、この時間では、眠いのも仕方ありません。でも、起きて貰わなくちゃ。
「ミリア、ミリア起きて!」
「うーん……」
――ミリア!?
それから、何度も名前を呼び、布団をゆすっても彼女はしばらくうなるだけ。
――どうしよう……。カリオスが行ってしまうわ。
修道院の方が安全だけれど、知らない内に置いて行かれるなんて、きっと私でも耐えられない。
でも……、ふたりで行かない事は、それが結局ふたりのためにいいのかも?
すぐに、嫁がされたり……、したりしない、……かしら、どうかしら?
フェリーネは考え込みながら、寝室を歩き回った。
「うるわいわ」
可愛いミリアが金の目をを擦りながら、こちらを見ている。
「目をこすってはだめよ。赤くなってしまうわ」
「知ってる……」
フェリーネはそう言うと、口もとに手を付け「ふぁー」と大きなあくび、それに合わせ尻尾もゆっくりとのびををする。
「では、行く準備をしましょう! さぁーチュニックに着替えますよ。雨が降っているから、厚手の上着も着なくちゃね!」
「雨なの!? 大変!」
ミリアは這いずるように、ベッドから降りて来る。
着る服は全部だしてある。ベッドメイキングだけして、見栄えだけ整えた。
その間に、ミリアはリックを背負いその上の上着まで来ている。
「暑いわ」
「なら、荷馬車で脱ぎましょう。濡れてたら、きっと寒くはずだから」
そして慌ててランプを持って、ぐるっと部屋も中を見回した。
――うん大丈夫! ミリアの手を引き歩き出す。
「蝋燭の火は、室内で消すわね。雨の中で、光は掻き消えると思うけれど誰かに見られてはだめだから」
「しっかりと手をつないでいてね」
「えぇ、もちろんよ」
フェリーネはそう言い微笑む。
ミリアの顔に、『ちょっ心配』そう書いてあるから。
けど、それはすぐ消しゴムで消されて、口もとを緩め、つないだ手をふたたび強く握りかえしてきた。
「良かった……」
「そうね。ちゃんと準備できて良かった」
裏口の扉の前まで来ると、ランプの光を吹き消す。先のわからないような闇が広がって見える。その闇は、徐々に目が慣れて濃淡があられてくる。
「さよなら、ありがとう」
そうフェリーネは振り返り、思い出の詰まったら教会へと別れを告げた。
「さよなら」
ミリアはそれに続く。
彼女は扉の取手に手を掛けて、それを回す。
霧の様な雨と、僅かな風、それが遠慮がちに飛び込んで来る。
その雨の冷たさで顔を柔らかく撫でられる。
しかし、しばらくすると体を伝う、不快な水へと感覚が感じるようになっていく。
「壁に穴があいてる場所があったでしょう? その場所からでるわ」
「わかったわ。直してくれなかったから良かったね」
「そうね。でも、後で直した方がいいわよね。絶対」
「もう、戻らないわよ」
「そうね。戻らないわ」
揺れる心へ、ミリアが力をくれる。
風の重さのが合わさった建付けの悪い扉と向き合い、通り抜けると、いつもの工夫で閉めた。
闇の中の濃淡を遮る外壁、そこへと顔を向ける。
木々の間から見える畑、今はまだ雨風にさらされおばけの様に揺れ動く木々、他には動くものはない。
フェリーネの腕に、ミリアがしっかり縋りつき、顔をこわばらせながら闇の中を見ている。
――緊張してる……。私がしっかりしなきゃ……。
今度はフェリーネさえも顔をこわばらせながら、前へと進む。
木々がワサワサと揺れている。それ揺らす風の音がフォォォ――と聞こえ恐怖をさそう、今にも外壁に手がかかり、人ではないものが顔を覗かせそう。
壁の穴から覗けば、居てくれるのは彼なのか? 人ならざる者が、這い出て来たら……。
もしこの闇の中、いつ来るのかわからぬ人を待つ羽目になったら。もし、彼がイクリオン家の関係者なら……。不安が、雨の様に心の中に降り注ぐ。
。
それでも二人のためと信じて、フェリーネは闇の、その先へと進んで行く。
そして……その視線の先に、あの禍々しい黒と、紫のもやを纏った男性を見た。
それは本当に禍々しい。でも、フェリーネは救いの光だった。涙がでる程のうれしさ。心の底から安心した。
その中に、もし、裏切ったら絶対に許さない。という気持ちが混ざる。
しかし……、「あぁ……」って、何故かミリアが少し不機嫌そう。
彼女にも、もやを感じているのだろうか? あの禍々しい黒と紫のもやもやを。
嬉しくて、嬉しくて、泣きたくなるようで、気が緩んで、可笑しさまで込み上げてくるほどのもやもやを。
続く




