第9話「距離を取るという選択」
翌日の訓練場は、妙に静かだった。
ざわつきはある。視線もある。だが、誰もはっきりとは口にしない。
――アーク・レインは、もう指示を出さないらしい。
そんな空気だけが、薄く漂っていた。
俺は、いつもの位置に立っていた。
訓練場の端。全体が見渡せる場所。
だが、口は閉ざしたままだ。
「……始め!」
号令と同時に、模擬戦が動き出す。
第七組と第五組の混成班。
配置は、昨日まで俺が助言していた形に近い。
だが、微妙に違う。
誰も、最終判断をしないまま、始まっている。
結果、動きは鈍かった。
前に出る者と、様子を見る者。
役割が曖昧で、魔法が噛み合わない。
――予想通りだ。
だが、俺は何も言わない。
「……ちっ、遅い!」
前線で声が上がる。
焦りが伝播する。
その焦りが、ミスを呼んだ。
火が、想定よりも広がる。
風が、制御しきれずに乱れる。
防御が間に合わず、軽い被弾。
「停止!」
教師の声が響き、訓練は中断された。
小さな溜息。
苛立ち。
誰かが、ちらりとこちらを見る。
――言え。
――言ってくれ。
そんな視線。
だが、俺は首を振らない。
視線を逸らす。
終わった後、ノアが近づいてきた。
「……やっぱり、いないとキツい」
責める声じゃない。
事実確認だ。
「だからって、戻るわけじゃない」
そう言うと、ノアは眉をひそめた。
「じゃあ、どうするんだよ」
俺は、少しだけ間を置いて答えた。
「仕組みを変える」
昼休み。
俺は、クロード教師を呼び止めた。
「……話がある」
教師は一瞬驚いた顔をしたが、頷いた。
空き教室。
二人きり。
「最近の件か?」
「はい」
俺は、用意していた言葉を、順番に並べた。
「俺の助言は、命令として受け取られやすい。でも、俺は命令権を持っていない」
「責任の所在が曖昧なまま、戦術だけが先行している」
「この状態は、危険です」
クロードは、黙って聞いていた。
「……で?」
「役割を、はっきりさせてください」
俺は、視線を上げた。
「俺は、判断材料を出すだけでいい。最終判断は、班長かエースがする」
「成功も失敗も、その判断の結果として扱う」
「俺は、記録と検証を引き受けます」
少しの沈黙。
「それは……」
クロードは、顎に手を当てた。
「前例がないな」
「分かってます」
「戦えない生徒に、そこまでの裁量を与えるのは、学園として――」
「裁量はいりません」
被せるように言った。
「責任を、減らしたいだけです」
教師の目が、わずかに細くなる。
「……逃げではないと?」
「はい」
即答だった。
「戦える人間が、判断できる形にしたい。その方が、現場は強くなります」
クロードは、しばらく考え込み、やがて言った。
「……試験的に、認めよう」
胸の奥で、何かが静かにほどけた。
その日の午後。
再び模擬戦が行われた。
配置前。
俺は、一枚の簡単な図を机に置いた。
「考えうる選択肢は三つ。危険度と成功率は、ここに書いた」
それだけ言って、下がる。
セリアが、図を見る。
一瞬、俺を見る。
そして、口を開いた。
「……正面を捨てる。側面から行く」
判断は、彼女のものだった。
戦闘が始まる。
迷いが減った。
動きが、速い。
結果は、勝利。
教師が、短く告げる。
「判断と連携、良好」
やはり、俺の名前は呼ばれない。
でも、それでいい。
訓練後、セリアが近づいてきた。
「……今の」
「うん」
短い返事。
「楽だった」
彼女は、少しだけ苦笑した。
「判断するのが、私だって、はっきりしてたから」
俺は、頷いた。
距離を取る。
それは、引くことじゃない。
役割を定めることだ。
戦えない俺が、前に出ない理由。
そして――この場所に、残る理由。
それが、ようやく形になり始めていた。
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