第5話「名もなき貢献」
模擬戦の翌日。
学園の朝は、昨日までと何も変わらないように見えた。鐘の音。行き交う生徒。掲示板の前で立ち止まる集団。だが、その空気の中に、ほんのわずかな“ずれ”が混じっているのを、俺は感じ取っていた。
「なあ、聞いた?」
「第五組の模擬戦、連携が妙に良かったらしいぞ」
「セリアが指揮したって話だけど……」
廊下ですれ違う声が、耳に入る。
名前は出ない。出るはずがない。
俺は、第七組の教室に入った。ノアが先に来ていて、落ち着かない様子でこちらを見る。
「昨日さ……」
声を潜めて言う。
「第五組、勝っただろ? あれ、全部お前の指示だったって、ちょっと噂になってる」
「噂?」
「正確には、“誰かが裏で考えてたらしい”って程度だけど」
それで十分だ。
名が出ない噂は、都合がいい。否定も肯定もされない。
だが、好意的な噂ばかりではない。
「でもさ」
ノアは言いにくそうに続ける。
「“戦えないやつの助言なんて偶然だ”って言ってる連中もいる。特に上位クラスは」
分かっていた。
昨日の一勝で、評価がひっくり返るほど、この学園は甘くない。
「気にしてない」
そう答えると、ノアは少しだけ安心した顔をした。
午前の授業は、座学だった。
魔法理論、詠唱構造、歴史。
黒板に描かれる陣式を見ながら、俺は無意識に違和感を拾っていく。
この陣は、対人戦向きじゃない。
この詠唱は、詰めすぎて暴発しやすい。
分かる。
分かってしまう。
だが、手は挙げない。
昨日、セリアに言われた言葉が、頭の隅に残っていた。
――できない人間が、できる人間に指図する。
正論だ。
少なくとも、この場所では。
昼休み、俺は中庭の端で昼食を取っていた。パンは固く、スープは薄い。だが、不思議と味は気にならなかった。
「アーク」
声をかけられ、顔を上げる。
そこにいたのは、第五組の風属性の女子――ミレアだった。昨日、打ち合わせ室で一度だけ、俺の説明に耳を傾けてくれた生徒だ。
「……何か?」
警戒が先に立つ。
「ちょっと、聞きたいことがあって」
彼女は、周囲を気にしながら言った。
「私の魔法、どうしても終盤で失速するの。制御はできてるはずなのに」
来たか、と心のどこかで思った。
これは、昨日の勝利の延長線。
そして、踏み込みすぎれば、面倒になる。
「……ここじゃ、人目が多い」
そう言うと、ミレアは頷いた。
場所を移し、回廊の奥で話す。
彼女が風を起こす。
安定している。だが、確かに後半で勢いが落ちる。
「魔力を、前半で使いすぎてる。無意識に、威力を出そうとしてる」
「でも、抑えたら……」
「威力は下がる。でも、持続する」
俺は、昨日と同じように説明した。
流れ。
癖。
無駄。
ミレアは、何度も試し、最後に小さく息を吐いた。
「……通った」
風は細いが、途切れずに伸びていた。
「ありがとう」
その一言が、胸に刺さる。
評価でも、賞賛でもない。
ただの感謝。
だが――それが、一番重かった。
その日から、少しずつ。
本当に少しずつだが、声をかけられることが増えた。
第七組。
第六組。
時には、第五組。
誰も大っぴらには頼らない。
こそこそと。
「ちょっとだけ」と前置きして。
俺は、すべてに応えたわけじゃない。
できる範囲で、必要な分だけ。
結果は、静かに積み上がっていく。
だが、その裏で。
「……最近、調子に乗ってない?」
そんな声も、確実に増えていた。
「戦えないくせに、口出しばっかり」
「失敗したら、誰が責任取るんだよ」
責任。
その言葉に、胸が少しだけ重くなる。
前世でも、責任を取る立場にいなかった。
取らされることは、あったが。
放課後、訓練場の端で、俺は一人、壁にもたれていた。
生徒たちが魔法を放つ。
成功と失敗が、次々と生まれる。
俺の言葉で、上手くいった魔法。
俺の言葉で、変わらなかった魔法。
もし――
もし、俺の助言が原因で、大きな失敗が起きたら?
その時、誰が責任を取る?
答えは、分かっている。
――俺だ。
名もなき貢献は、名もなき責任と表裏一体だ。
拳を握り、開く。
逃げたい気持ちが、ほんの一瞬、頭をよぎる。
それでも。
訓練場の向こうで、ノアが必死に詠唱しているのが見えた。
昨日より、確実に安定している。
俺は、小さく息を吐いた。
戦えない。
数字にならない。
名前も残らない。
それでも。
誰かの魔法が、ほんの少し前に進むなら。
――その責任くらい、背負ってみてもいい。
そう思えた自分に、俺は少しだけ驚いていた。




