第27話「揺らぐ正義」
その夜、寮は静まり返っていた。
いつもなら聞こえる雑談も、廊下を走る足音もない。
誰もが、昼間の光景を反芻している。
倒れた生徒。
完璧な判断。
そして、取り返しのつかない結果。
俺は、机に向かったまま、白紙のままだった設計図を見つめていた。
線を引けば引くほど、見えてくるものがある。
同時に――見えなくなるものも。
扉が、軽くノックされた。
「……入るわよ」
セリアだった。
いつもの凛とした雰囲気はなく、少し疲れている。
「眠れない?」
「そっちこそ」
彼女は、椅子に腰掛け、しばらく黙ったまま床を見ていた。
「今日のこと……どう思う?」
直球だった。
「リーゼの判断は、正しかった」
まず、それを認める。
「私も、そう思う」
セリアは、静かに頷いた。
「でも、人が倒れた」
「……うん」
拳が、膝の上で握られる。
「私たちの設計なら、あの場面で止まれた」
「でも、それは“成果を捨てる”判断になる」
彼女は、唇を噛んだ。
「正直、怖くなった」
「何が?」
「自分が、どっちを選ぶか分からなくなった」
それは、指揮官として自然な恐怖だ。
白黒を決められなくなる瞬間。
「私は、勝ちたい」
「でも……誰かを切り捨ててまで、って言われたら」
言葉が、途切れる。
俺は、すぐに答えなかった。
代わりに、問いを返す。
「今日、リーゼは間違っていたと思うか?」
「……思わない」
「俺は?」
「……あなたも、間違ってない」
矛盾している。
だが、それが現実だ。
「両立しない正しさが、同時に存在してる」
セリアが、顔を上げた。
「それ、逃げじゃない?」
「逃げじゃない」
はっきり言う。
「現実だ」
彼女は、しばらく黙り込み――
やがて、低い声で言った。
「だったら、どうすればいいの?」
核心だった。
俺は、設計図に目を落とす。
「選ばされる状況を、減らす」
「……それが、あなたの答え?」
「完全には、無理だ」
「でも、判断を一人に集中させなければ」
「揺らぐ時間は、増やせる」
セリアは、ゆっくり息を吐いた。
「揺らぐ時間、ね」
「揺らげる余地があるなら」
「誰かを切る前に、別の選択肢を探せる」
彼女は、目を閉じた。
「……甘いかもしれない」
「そうだ」
否定しない。
「でも、今日みたいな完璧な効率は」
「揺らぐ余地を、最初から捨てている」
沈黙。
やがて、セリアが言った。
「私、もし今日あの場にいたら」
「……迷ってたと思う」
「それでいい」
「え?」
「迷えなくなったら、終わりだ」
彼女は、少し驚いた顔をしてから、苦笑した。
「指揮官として、最悪の評価じゃない?」
「人としては、悪くない」
その言葉に、彼女は目を伏せた。
「ねえ、アーク」
「何だ」
「もし……実戦で」
「あなたしか判断できない状況になったら」
一瞬、空気が張りつめる。
「その時は?」
俺は、ゆっくりと息を吸った。
「その時は」
「俺が、判断する」
初めて、そう言った。
「……それって」
「例外だ」
セリアを見て、はっきり告げる。
「俺の思想が破れる瞬間だ」
彼女は、何も言わなかった。
だが、その目は、真剣だった。
扉の外で、足音がした。
誰かが通り過ぎる。
学園は、まだ静かだ。
だが、水面下では、確実に何かが変わっている。
正しさは、一つじゃない。
それを知った瞬間、人は弱くなる。
――同時に、強くもなる。
この演習は、もう訓練じゃない。
俺たち自身の正義を、削り出す工程だ。
揺らいだまま、進むしかない。
それが、選んだ道だから。
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