第25話「数値の向こう側」
三日目。
演習場に立った瞬間、空気が変わっているのが分かった。
数ではなく、温度が違う。
軍部案の区画では、開始前から張りつめた緊張が漂っていた。
生徒たちの顔に、焦りと苛立ちが混じっている。
数字を出さなければならない。
結果を示さなければ、評価されない。
その圧が、全身にまとわりついていた。
一方、俺たちの側は静かだった。
決して余裕があるわけじゃない。
だが、無理に前へ出ようとする気配もない。
「……今日、深く行く?」
ノアが、控えめに聞いてくる。
「どう思う?」
問いを返す。
彼は一瞬考え、答えた。
「昨日よりは行ける。でも……戻る前提で」
いい判断だ。
「時間は?」
「十分。五分で区切る」
誰かが補足する。
セリアが、全体を見渡した。
「じゃあ、それで行く」
「五分で切る。合図は私」
命令ではない。
共有だ。
開始。
昨日より一段深いエリアへ踏み込む。
魔力の濃度が、はっきりと高い。
「……詠唱、遅れる」
「戻す?」
「……まだ」
判断は、前線にある。
突然、魔力の乱流が走った。
足場が崩れ、前線の一人が体勢を崩す。
「……危ない!」
セリアが、即座に叫ぶ。
「切る! 戻る!」
誰も反論しない。
誰も、ためらわない。
撤退。
全員が、結界の外へ戻る。
数分後、軍部案の区画から、歓声が上がった。
「突破したぞ!」
「到達点、更新!」
数字が、出た。
目に見える成果だ。
教師たちが、そちらへ集まる。
エリス・マクナリーも、視線を向けていた。
「……あちらは、評価しやすいわね」
「そうですね」
否定はしない。
「こちらは?」
問いかけ。
「評価しづらい」
正直な答えだった。
昼休み。
軍部案に参加している生徒の一人が、こちらを見て言った。
「……正直、羨ましい」
意外な言葉だった。
「そっちは、戻れる」
「こっちは、止まれない」
その声は、小さかったが、重い。
午後。
軍部案の区画で、事故が起きた。
深部での判断遅れ。
連携の乱れ。
魔力の暴走。
重傷者が出た。
演習は、一時中断された。
静まり返る訓練場。
誰も、すぐには動けなかった。
ヴァルターが、ゆっくりと現場を見回す。
表情は変わらない。
だが、その目は、確かに揺れていた。
エリスが、低い声で言う。
「……数字は出ていた」
「でも、人が欠けた」
誰も反論しない。
夕方、全体集合がかかった。
「本日の演習を、ここで終了する」
老教師の声が、静かに響く。
「評価は、後日まとめる」
解散後、セリアが俺に言った。
「……あの人たち、悪くない」
「でも、止まれなかった」
「そうだな」
「私たちは?」
「止まれた」
それが、違いだ。
数字では測れない。
表にも出ない。
だが。
もし、これが実戦だったら。
全員が、帰ってきたのは――
どちらだったか。
その問いが、訓練場に、静かに残っていた。
ヴァルターが、俺の前に立つ。
「……非効率だ」
「はい」
「だが」
言葉を切る。
「崩れていない」
それだけ言って、彼は踵を返した。
それは、評価ではない。
だが、否定でもなかった。
数値の向こう側で、
確かに積み上がっているものがある。
それを、誰がどう扱うかは――
次の判断に委ねられていた。
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