91話 マンダリーン防衛戦線
刺すような日差しが照りつける夏が終わり、過ごしやすい秋が始まった。向日葵たちがこの世界に来てから一年が経過した。
魔神軍の幹部を撃破し、光の魔力を奪還する。そんな目標を据え、鍛錬に励んでいた向日葵と隆之介は涼しいある日、神の都へ呼び出された。いつもの受付から中に入ると、アシナヅチの忠臣ヌーラスに、いつもの玉座とは違う場所に案内された。ヌーラス曰く、魔神軍への対抗策を考える際に使う、作戦会議所らしい。神の都の城内とは異なり、余分な装飾品はなく、代わりに壁には島の全域を記した地図が貼ってあった。
出された茶をちびちび飲みながら待っていると、忍び装束に身を包んだ偲が入ってきた。
「えっ!偲ちゃんもアシナヅチ様に呼ばれたの!」
「すっかり怪我も良くなったな」
偲はヴィレッサムに切られた箇所をさすった。この傷は特別なものだった。
「ちょっと隆之介!まだ痛むかもしれないでしょ。デリカシーがないんだからっ」向日葵が窘めるように言った。
「ご心配には及びませんよ。ちゃんと塞がっていますから」偲は歯を見せながら、両腕を上げた。
その時、ドアからノック音がした。三人は急いで席に座る。
「ここでいいんだよな」「多分そうだよ」
二人の男女の声が聞こえた。姿を見せたのは、悠玄と美猫だった。
「あれっ、悠玄くんじゃん。なんか久しぶりに見たかも」向日葵が素直に呟く。
「いや普通にホマレ荘に寝泊まりしているんだが……」
悠玄は表情を変えずにツッコんだ。
「仲間以外とはろくに食事も取らない、クラス一の嫌われ者が何のようです?」
「ちょっ、偲」隆之介が止めに入る。
悠玄はクラスのまとめ役、琉太のことを激しく敵視している。クラスの大半は琉太のことを信頼し、慕っているため、偲がこんな態度を取るのも予想はついていた。しかし、ここまで拒絶するとは……。早くアシナヅチ様来てくれないかな。
「用も何も、お前たちと同じだよ」
「ホントそうだよ。せっかく昆虫採集してたんだから、早く終わらせてほしいよねっ!」美猫が丸いほっぺたを膨らませる。
隆之介の期待とは裏腹に、アシナヅチは中々現れなかった。向日葵と美猫はあっち向いてホイで遊び、偲は手裏剣を磨いている。悠玄はどこから取り出したかもわからない文庫本を読んで暇を潰す。各々好きなことをしていたが、隆之介にとっては少し気まずかった。
「すまん遅れた!テナヅチが離してくれんかった」
そんな空気を打ち破るかのように、アシナヅチはヌーラスを携えて作戦会議所に突っ込んだ。ドアのレールに引っかかって転びそうになるも、悠玄は瞬時に受け止めた。
「またあのお方ですか……」悠玄は呆れ顔で言った。
「あいつは駄目じゃ。公儀があると何回も言っておるのに、一緒に遊ぼうと言って聞かん。ヌーラス、お主からもなんか伝えてくれ!」
「……私はそのような立場にないので」
「なんで笑ってるんじゃ!」
テナヅチって誰だろう……。向日葵は素朴な疑問を抱いた。
「アシナヅチ様、ボクらを集めた理由は?」美猫が聞いた。
「おぉそうじゃな。ひとまず、一旦座ろうかのう」
この指示を予見していたのか、ヌーラスの手元には、すでに人数分の温かいお茶が用意されている。何億年と続く主従関係の賜物といったところか。
「単刀直入に言おう。お主らには、マンダリーンへと向かってもらいたい」
茶を一口飲んだアシナヅチはおもむろに立ち上がり、壁の地図を指差した。
「ホマレ荘よりはるか西。なだらかな丘に作られた街がマンダリーンじゃ。名前ぐらいなら、聞いたことあるのではないか?」
「あっ!」向日葵が素っ頓狂な声を上げる。「群島の調査で船に乗ったとき、アーロンくんが補給のために立ち寄ったって言ってた。私は寝てたから覚えてないけど」
「さすが、向日葵だな」隆之介がゆっくり言った。
「マンダリーンは魔族の街と海を隔てて睨み合う、神族にとっての要衝の地じゃ。じゃが先日、近くで一人の魔族が捕らえられた。愚かにも、マンダリーンの攻略の隙を探していたそうじゃ。そいつは問答無用で斬首された。それで終わりではない。魔神軍はマンダリーンを明らかに狙っている。そこでお主らに白羽の矢が立った。マンダリーンへと向かい、現地の人々と交流し、絆を深めるのじゃ。さすれば、魔神軍にも対抗できよう」
「絆を深めるといえば聞こえはいいですが、要は戦力の足しになれってことですね」隆之介が低い声で言った。
「……そうじゃな。そうとも言える。先ほどの話はあくまで建前じゃ」
「神の都の総意としては、お主らに経験をつけてもらいたいんじゃ。ここ一億年、魔神軍の動きは活発化しておる。いつ軍団長が総出で攻めてくるかも分からん。その際、神族やヴィラージュらがお主らを守りきれるだろうか……。まろは保証ができん。じゃから、せめて自分の身は自分で守れるように—自衛の理を身に着けてほしいんじゃ」
アシナヅチの目線は、自然と偲に向いていた。偲はヴィレッサムとの争いで生死の境を彷徨っている。直近では、琉太がサパコスの狂気の餌食となった。今では元気を取り戻したが、アシナヅチは気が気でなかった。
「おっしゃりたいことは重々理解できました」悠玄が口を開いた。「ですが、正直なことを申すと……私は隆之介や偲と比べて、腕っぷしには決定的な差があります。戦力の足しになれるかどうか」
「これは決定事項なので、どうかあしからず」ヌーラスが淡々と告げる。
「分かった!悠玄くんってばさみしいんでしょ。ひまりちゃんに会えなくなるし」美猫が言った。
悠玄は頬を赤く染めながら声を張り上げる。「違うわっボケ!」
「同じことを申すが、まろはお主らに強くなってもらいたい。それに、マンダリーンに移れば、自他を見つめ直す良い機会になるのではないかの?」
なるほどね。一年経っても未だクラスに馴染めない俺に対する、上様なりの気遣いってわけだ。その気持ちはありがたいが……琉太あたりの入れ知恵か?まったく、余計なことしやがって。
「承知しました。この悠玄、立派に務めを果たしましょう」
「あの—私も行くこと自体は問題ないんですけど、期間ってどのくらいですか?」
偲が尋ねた。
「具体的には決めておらんが、まぁ最低でもこの秋いっぱいは居てほしいかのう」
向日葵は分かりやすく嫌そうな顔をした。功や撫子に3ヶ月会えないのはちょっとさみしくなる。
「忘れておったが、マンダリーンには数多くの武闘家がおる。軽く手合わせをするだけで、実力はうなぎのぼりじゃろうな」
向日葵の体がぴくっと動く。
「それなら行ってもいいけど」
ヌーラスがパンパンと手を叩いて言う。
「では決まりですね。出立は一週間以内を予定しています。前日になったら追って連絡しますので、ご準備の方を」
会談のあと、神の都の城内を歩き、向日葵たちは帰路についた。その途中、隆之介は大きなため息をついた。
「なんか、アシナヅチ様に利用されている気がしてならないなぁ」
「別にいいんじゃないですか」偲が淡々と告げる。「結局のところ、魔神軍を倒して光の宝玉を奪い返さないと、私たちは日本へ帰れないわけですから。その過程と割り切れば」
偲は神妙な面持ちで腕を組んで、続ける。「まぁ、確かに3ヶ月は長いですね」
「そんな顔しないでよ、隆之介。私が付いてるから、安心していいよっ!」
向日葵は自信満々という表情で、隆之介の顔を下から覗き込んだ。隆之介はそのおでこに軽くデコピンをした。
「なにするのよっ!」
「いや、何となく。ただ、少しだけムカついたから」
隆之介は舌を出し、スキップでその場を後にする。向日葵はぷんすかしながらその背中を追いかけた。
取り残された偲はそんな二人の様子を、無言でただ見ていた。
「……羨ましいのか」
悠玄は同じ方向を向く。
「ノーコメントでお願いします。それと、さっきはすみませんでした。少し言い過ぎました。でも、快く思っていないのは事実ですから」
偲はそう告げると、早歩きで廊下の角を曲がった。
「困った人!悠玄くんはいい人なのに」隣の美猫が不満げに言った。
「立場上仕方ない。俺がクラスの和を乱しているのは火を見るより明らかだし。改善するつもりもないがな」
「ボクは悠玄くんと一緒に行けて嬉しいよ?」
微笑みながら呟く美猫の顔を見て、悠玄はクスッと笑う。
「そういうことを言うのは構わないが、ひまりの前では勘弁してくれよ……」
「?」
二人はそのまま神の都を立ち去った。
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