88話 打ち込まれた光
冷たい雨が強まってきた。視界がどんどん悪くなっていく。葉月は上空から琉太を探し続ける。
地上では向日葵、功、千代子が体の冷えなど関係なく、懸命に捜索を行っていた。アーロンは船の上から、海上を中心に隅々まで見ている。
琉太がサパコスに負けるなど、考えたくもない。でも相手は数々の猛者を破壊した軍団長だ。命をかけて立ち向かったとて、過去の実績は覆らない。どうか無事でいてほしい。それが葉月たちの総意だった。
崖の下で一人。意識を失う寸前。琉太は少しずつ海面から離れていく。
こんなこともあろうかと、息を長く保つ訓練はしていた。水の呪文を逆手に取られ、溺死に持ち込まれる展開も考えうるからだ。まさか、海中に沈み込むとは思わなかったが……。もう酸素が限界を迎えている。ここで踏ん張らなければ、肺に水が入り込んでいよいよ終わりだ。だが耐えるだけでも苦しいのに、抗う意味は果たしてあるのだろうか。このまま敗北を受け入れたほうが楽なのではないか。そんな疑問が脳内によぎる。
千代子、俺はサパコスに傷をつけたんだ。あの偲だって簡単にはなし得なかった。凡才にしては、よく頑張ったほうじゃないかな。先に行くから、どうにかして生き延びてくれ。琉太のまぶたがついに閉じようとした、その時。
甲高い銅鑼のような音が海中に響いた。耳をつんざくような轟音、琉太の意識は無理やり呼び覚まされる。
なんの前触れもなく、琉太の体が沈むのをやめた。ありえない速度で海面が近づいてくる。ただ、その勢いはボロボロの琉太にとって強すぎた。琉太は無念の表情で、その目を閉じた。
一方、船ではアーロンたち5人が部屋の中で濡れた全身を拭いていた。雨が強すぎるあまり、これ以上捜索をするのは健康上のリスクがあると判断したためだ。この判断を下したのは、他でもないリーダーのアーロンだ。友人の命がかかっている。当然、向日葵や千代子は強く反発した。しかし、アーロンは胸ぐらをつかむ千代子の腕を引き剥がし、こう言い放った。
「そりゃあ僕だって諦めたくはないよ!でもね、琉太がサパコスに突撃したのはなんのためだ?僕たちが逃げる時間を稼ぐためだろ。いくら葉月ちゃんが退けたとしても、いつまたチャクラムが飛んでくるか分からない。ただでさえ視界が悪い。未熟な僕たちはきっと蹂躙されるだけだ」
アーロンの拳からは血が滲む。
「雨が止むまで待つか、一度撤退するか。みんなで決めよう」
千代子はその場で泣き崩れた。琉太が生死の境を彷徨うことは幾度となくあった。けれど、気を失っていても、ちゃんと帰ってきてはいた。そしてそのまま元気になって……そんなことの繰り返しだった。今日ばかりは違う。どこにいるかも、生きているのかも分からない。こんな絶望……初めてだ。
「僕は琉太くんを信じてる。ホマレ荘に帰って、また探しに来ようよ」重苦しい雰囲気の中、功が口を開いた。
「琉太くんは僕の何十倍もしっかりしてる。きっとどこかで生きてるよ。なんというか、そんな感じしない?」
「功くん—たしかにそうかも」葉月が言った。
向日葵も泣きそうになりながら頷いた。千代子はあふれる涙を拭きながら、呟く。
「そうだね……絶望の隣は希望って言うもんね……」
アーロンは無言で千代子の肩にそっと手を置いた。
「決まりだね。これより我々は、ホマレ荘を目指して出航する。向日葵ちゃん、大急ぎで錨を上げてくれない?」
「りょーかい!」
向日葵は部屋のドアを蹴破り、大急ぎで外に出た。その瞬間、薄暗い海の先になにかが見えた。船と同じくらい大きく、水を吹き出しながら向かってくる影のような何かが。そして、その影はいきなり潮を吹いた。向日葵は叫び声を上げる。
「どうしたの!」声に反応したアーロンたちがすぐさま甲板へと駆けつけた。
波を起こしながら、影が船の横へと着いた。暗がりで姿が見えないが、どこか懐かしい雰囲気を感じる。
「やっと、合流できたのう」
あぁ、忘れるはずもない。村に初めて訪れたときの、暖かな思い出。
「ヴィラージュ様……!」アーロンらが等しいタイミングでつぶやく。
魔族の頂点、ヴィラージュが何週間かぶりに姿を現したのだ。
「お主らとの再会を喜びたいところじゃが、それはあとじゃ。琉太を、お願いしてもいいかのう?」
ヴィラージュの背中では、琉太が力なく横たわっている。表情は青ざめ、血の気を感じない。まさか死んでいないよね―?絶望を残しつつ、葉月と功が巨大な背中に飛び乗る。
葉月は琉太の首元に触れた。脈はあるけど、風前の灯火。呼吸はほぼなく、この濡れ具合。しかも妙にベタベタしている。戦いのさなか、海に飛び込んだんだ。多分、海水をたくさん飲んじゃってる。
「葉月ちゃん、僕に任せて」
功は琉太を背負うと、筋肉を総動員して、ヴィラージュの背中から甲板へと飛び移る。体は小さくとも、功はプロの武術家。やっぱりパワーが有る。葉月も風の呪文で船の上に着地する。
功が部屋に飛び込むと、千代子、アーロン、向日葵がすでに待機していた。
「今すぐ応急処置を。誰がやる?」千代子が言った。
みんな琉太のことが好き。だから自分の手で助けたい。当たり前のように、5人全員が手を挙げる。
「こんなにいらないな。人数過多では、動きにくいだけだし」とアーロンが冷静に言い放つ。「応急処置は、千代子ちゃん、功くん、向日葵ちゃんにやってもらおう」
アーロンは向日葵と功の方を向いて言う。「二人は小さい頃から武道に命をかけていた。その経験の最中に多くの怪我をし、対処してきたはずだ。その経験は何よりも信頼に値する。頼んだよ。もちろん、千代子ちゃんも」
三人は頷き、琉太を別部屋へと運んでいった。入れ違いで、小さくなったヴィラージュが甲板から入ってきた。
「アーロン、しばらく見ぬ間にずいぶん成長したようじゃの」
「えっ、どういうことですか?」
「いや、なんでもない。老人のたわごとじゃ」
アーロンは椅子を2つ運び出し、ヴィラージュは葉月の太ももに座り込んだ。
「ヴィラージュ様、村から離れていたのはなぜですか?僕けっこう案じてたんですよ」
葉月も呼応するように首を縦に振る。
「それを話したかった。結論から言うと、この数週間、わしは魔族の街に潜伏していたんじゃ」
思わぬ返答に、アーロンと葉月は立ち上がる。
「マジっすか!めっちゃ危険じゃないですか!」
「そうじゃな。クライゼルやゴリベアなら、敷地をまたいだ瞬間に斬殺されるじゃろう。しかし、わしの能力なら、潜入なら造作もない」
ヴィラージュの本質的な力。それは他を寄せ付けない「水の呪文」ではなく、空間を支配する『拡大・縮小』にある。最大なら城をもしのぎ、最小ならどんな隙間にも潜入する。
「質問なんですけど、魔族の街ってどこにあるんですか?」葉月が言った。
「村から見て、直線距離で北西200キロ、海で行けば300キロといったところか。飛行の呪文ならそう時間はかからぬが、わしは往復に2日かかったぞ」
「それで……なにか得たんですか」アーロンが静かに問う。
「あぁ、連日魔族たちの雑談をひたすら盗み聞きしていた。労働者、兵士、貴族、奴隷。あらゆる会話の内容を整理したところ、確かな情報がいくつかあった」
ヴィラージュの声が一段と低くなる。
「暗影騎団長ヴィレッサムじゃが、正式に魔神軍を抜けたそうじゃ。って、あんまり驚かないんじゃな」
「えぇまあ、偲ちゃんの口から聞いていたもので」
「そういえばそうじゃったな。忍どうしの激突、城下町でも話題になっておったぞ」
「偲ちゃんが話題に……。あとで本人に伝えたほうがいいね」葉月がつぶやく。
「ヴィレッサムの脱退に対し、ヒノカグツチは特に大きな反応を見せなかった。もともと契約を切ったのはヤツのほうじゃからな。じゃが、こんな噂もある。魔神はヴィレッサムを討たんとするとするため、兵を出していると」
「自分から追い出しといて、その仕打ち。とんだクソですね」アーロンが言った。
「ヒノカグツチはもともと慈悲に溢れたお方じゃった。道理を大切にし、他者に寄り添う。この命令は、完全に狂気に飲まれた結果と言わざるを得ないじゃろう」
「暗影騎団長のポストは空席になったんですよね。だれかが新しく就いたんですか?」
「いい質問じゃ。これが最も信憑性に欠ける。魔族の噂では……新しい軍団長はヴィレッサムの兄とされている」
二人は絶句した。ホマレ荘を絶望の淵に落とした軍団長に、兄がいたのか。
「兄とやらがいつ動いてくるかは検討もつかん。しかし、ヴィレッサムの脱退は魔神軍に衝撃をもたらした。わしはこの脱退を経て、アシナヅチ陣営への侵攻にも変化が生じると見ている。村の外側ではなく内側.......全体に目を通すんじゃな」
アーロンたちには、そのセリフの意味がわからなかった。




