84話 初めての罰
緊急手術を受けてから三日三晩、偲は目を覚まさなかった。蛍二曰く、あと十分遅れていたら危なかったらしいが、幸い四日目の昼に意識を取り戻した。そこから数日間はベッドの上で安静に過ごし、決戦から一週間でようやく歩けるようになった。
ちょうどその頃、神の都から通達が届いた。アシナヅチが二人きりでの引見を求めているとのことだ。力の入らない腕を首に固定し、ヌーラスの案内のもと、玉座の間に入る。
ここには何回か来た。向日葵と功が定期的に武術の指導(半分以上鬼ごっこ)をしていたので、それにお邪魔した記憶がある。その時のアシナヅチは見る者すべてを魅了するような笑顔で、ヒノカグツチがこんな可愛らしいお方を殺そうとしているのが信じられなかった。だが、今は違う。柔和な雰囲気は欠片もなく、ただ神の都の長として正しい行いをせんとする思いが染み出している。
「では私はこのあたりで」ヌーラスが一礼し、玉座の奥の部屋へと消える。
謁見するときは許可が出るまで頭を下げるという慣習が今まであったが、変に距離を作りたくないという上様の意向により、面と向かってお言葉をいただけるようになった。しかし、偲は今だけその慣習が復活してほしいと思った。なにせアシナヅチの表情は、なんというか……怖い。ヴィレッサムといい勝負だ。向日葵に捕まえられて笑みをこぼす人と同一人物とは思いたくない。
「言いたいことはたくさんあるが……まずは良い方からいこう。此度の活躍、見事であった。お主のお陰でヴィレッサムの脅威は去り、神の都、ひいては村の平和が守られたというわけじゃ。感謝を述べよう。ほんとうにご苦労であった」
「……身に余るお言葉です」
「と、手放しに褒められないのが実のところじゃ。お主は身を案じる仲間の心配を無下にし、単独行動に走った。涙まじりに止められたのにじゃ。いくら素晴らしい武功を上げようと、その気持ちを蔑ろにした以上、それに見合った処分をくださねばならん。まぁもう内容は決まっておるのじゃがな」
偲は表情を固定しながら、ごくっとつばを飲み込んだ。
「では処分を伝えよう。当面の間、忍術、呪文、その他すべての鍛錬を禁止する。穏やかに過ごすと良い。何じゃその顔はっ」アシナヅチは口元を押さえてクスクス笑った。
偲は反射的に自分のほっぺたに手を当てる。予想外の内容に安堵したのは事実だ。でも、そんなに崩れた顔になってたっていうの?—恥ずかしい。
「膝が折れようが、内臓に損傷があろうが、できる鍛錬をする。お主はストイックじゃからのぉ。身も心も休めるには、こうするのが一番だと思ったのじゃ。あと今月の何処かで、まろが結成をお願いした調査隊が動き出すが……参加するのは辞めておくのじゃ。処分が終わるときはまた通達を出す。しばらくは散歩でもしておくが良い」
神の都をあとにした偲は、言われた通りホマレ荘の周辺をのんびり散歩した。下手に遠くへ行き、姿が消えたと誤解されてはどうなるかわかったもんじゃないので、なるべく仲間の目の届きそうな川の畔を歩いた。
そういえばもう春も中旬か。川の周りの土地は肥沃だから、タンポポやカラスノエンドウといった野草が太陽に向かって咲き乱れている。花の蜜を吸うミツバチにモンシロチョウ、草の間を走り抜けるトカゲ、昆虫たちを狙うスズメ。地球温暖化なんて概念無い。心地よい風が肌をくすぐる。復讐に駆られて気づかなかったけど、なんて美しいんだろう、春というのは。
尾びれを振りながら浅瀬を泳ぐイワナの稚魚を見ながら川沿いを北上していくと、崖に腰掛けて釣りをするアーロンの姿が見えた。
「なにか釣れましたか?」
「うおぉ、びっくりした。気配の無さは怪我関係ないのね」
偲はアーロンの隣に腰掛ける。
「傷の感じはどう?傷まない?」アーロンが問いかける。
「脇腹はもうだいぶ治りましたよ。あとはこの腕ぐらいです。どれもこれも全部、撫子さんのおかげですよ」
「撫子ちゃんのおかげ……かぁ」
「どうかしました?」
「ちょうど君に話しておきたいことがあってね。あ、いくら僕がイケメンだからって、告白は期待しないでね。とりあえずフリーでいきたいのさ」
無愛想に分かってますよと呟く偲。
「偲ちゃんはさ、エリーとよく一緒にいるだろ?」
「えぇまぁ、訓練がてらご飯食べたりするのは多いですね」
「君の中ではただの訓練相手かもしれないけど、姉ちゃんは違うみたいでさ。君が姿を消したとき、誰よりも心配してたんだ。顔には出てなかったけど、僕いちおう兄弟だから……雰囲気でわかったよ」
まつげの長いアーロンの顔が水面に反射する。
「あいつ、結構な悪癖があってね。嫌なことがあったり、思い通りにならなかったりすると、僕に八つ当たりしてくるんだよ。ほら、あんまり自分の感情を表現するのが得意じゃないから」
エリーは誰に対しても敬語で、基本的に冷静沈着だ。勝負事になるとハイテンションになることはあるが……周りから見て感情の起伏がある人じゃない。
「八つ当たりって……殴られたりしたんですか?」
「それもあるよ。あとはそうだなぁ、すれ違いざまに飛び蹴りされたり、チェスでボコボコにされたり。朝飯でニンジンわざと山盛りにしてきたときもあったな。頭にきたのが冷蔵庫にあったプリン勝手に食べられたことだね。ちゃんと蓋の上に名前書いてあったのに、ありえねぇぜ、あいつ」
「それは、ご迷惑をおかけしました」
「ちがうちがう!べつに謝ってほしいんじゃなくて、もっと自分をかわいがってもいいじゃないってことさ。エリーの例は極端だけどさ、みんな意外と君のことを信頼してるし、怪我してほしくないって思ってる。今回君は軍団長を退けたわけだから、エリー含めてなかなか言い出せないんだよ。心も体も傷ついた君を変に追い込みたくないから。だからそうだなぁ、怪我が治るまでに一人一人に挨拶しに行ったらいいんじゃないかな」
アーロンはニヤッと笑った。
「なんか、アーロンさんってたまにいいこと言いますよね」
「そうかな?君に言われるといくらイケメンの僕でも照れちゃうよ」
皮肉のつもりで言ったが、さすがはアーロン。女の子に言われたというだけでこの反応。琉太あたりが言ったらすぐにへそを曲げるだろう。
「アーロンさん。つい先程アシナヅチ様のところに行ってきたんですが—」
「あっそうなの。僕も久しぶりに行ってみようかなー。上様かわいいし」
「そんなことはどうでもよくって。アシナヅチの調査隊ってなんですか?」
釣れた魚を針から取り外し、腰元のバケツに放り込む。アーロンは針に小エビを引っ掛け、川の端に垂らす。
「僕も詳しくは聞いていないんだよ。でも、どうやらあの船を使うらしい」
あの船とはアーロンと桜花が中心となって製造された帆船のことである。総重量50トン、定員20名の大型船で、完成したニュースは病室にも飛び込んできた。個室や貯蔵庫、更にキッチンも完備していて、快適な船旅ができるという。
「いやぁ、僕の愛船の初めてが、上様直々のお仕事だなんて!こんなに光栄なことはないね」
「場所とか聞いてないんですか」
「さぁね。でも、まぁまぁ遠方の方だと思う。ただの予測に過ぎないけど。だって、近場だったら『飛行の呪文』でちょちょいと調べればいいだけだし。あるいは探索範囲が馬鹿広いとか」
「……とにかく、生きて帰ってきてくださいよ。私は参加できないんで」
アーロンにとっては夢のような機会。しかし、突入していくのは地獄だということを、皆はまだ知らない。




