74話 正夢
初めて明かされるアイツの過去!
酸素を吸い込み轟音を立てて燃える炎。消防車から放水が行われるが、炎が消える兆しは見えない。任務を受け持つには、その少女はまだ幼かったのかもしれない。
服部偲。黒い衣服に身を包み、魔族を退けるために戦うクラスの用心棒。偲の家系は戦国時代から続く忍びの末裔で、世帯数は10個ほど。江戸時代までは一つの家、主に仕えていたが、文明開化を境に多額の報酬と引き換えに、一族を護衛として派遣するようになった。
偲は物心がついたときから刀を握っていた。ひらがなや足し算を教わる前に忍者刀の振り方を覚える。そんな幼少期だった。偲は天才だった。忍者刀をたった2年で扱えるようになり、同年代のいとこが手裏剣を覚え始める頃には、煙幕弾、炸裂弾も完璧に使えるようになった。
偲はすくすくと成長していき、11歳で初任務に就いた。派遣先はとある旧華族。不動産業でかつての資産を膨らませ、日本庭園を敷いたやり手だ。一族にとってはビッグスポンサー。家族からの期待は重いものとなった。しかし、偲はなんの緊張も感じていなかった。周囲から天才と言われ続けた結果、根拠のない自信が根付いていたのだ。雇い主は5人家族で、偲は末っ子の男の子の護衛を任された。初めてのご対面で、偲はその子の父親に言われた。
「よくぞ我が家に来てくれた。君には正直、護衛としての任務は期待していない。だから、こいつの遊び相手になってくれ」
男の子は目を離すとすぐに何処かへ行ってしまうような子だった。勉強も苦手だったので、国語や算数、英語を教える事もあった。偲は護衛というより、世話役のような立ち位置となった。
それから二年。偲はすっかり家族の一員となっていた。昼は男の子と一緒に小学校に通い、夜は絵本を読み聞かせしてその隣で寝る。忍び装束を着ることはなくなった。一族の人らが見たら「腑抜け」と罵られそうだが、偲にはやはり確固たる自信があった。鍛錬しなくても大丈夫、この平穏はずっと続くという愚かな自信が……。
ある冬の日。その日はよく乾燥していた。風が吹いていた。偲は家を出る直前に、男の子にリップクリームを塗ってやり、手を繋いで登校した。放課後、2年生のクラスに迎えに行くと、友達の家に遊びに行くと言われたので、帰路につくことにした。
日が落ちるのは早かった。4時半のサイレンが鳴って、空が薄暗くなっても男の子は帰って来なかった。その時、インターホンが鳴った。他の家族はみんな忙しそうだったので、偲が玄関に向かった。
「こんにちは!お届け物です!重いのでここに置いときますね!」
はつらつとした声の配達員。帽子を深くかぶっているせいで顔がよく見えない。かがんで荷物の表示を確認するふりをして、その顔色を伺う。配達員の目元にはギザギザの刀傷が刻まれていた。
ごきげんよう、と言って配達員はそそくさとその場をあとにした。家族たちが屋敷の端から続々と集まってくる。
「おや、荷物か」
「この前買った新しいテレビかしら」
気づけば男の子以外の全員が集合していた。偲は念の為中身をチェックしようと、梱包に手をかけようとした。その瞬間、火薬の匂いが鼻を突いた。そして蚊の羽音のようなタイマーの音。この人数を一気に避難させるなど不可能だった。それどころか、一人だって難しい……。
「皆さま……すみません!」
偲は玄関のドアを蹴破り、敷地の外を目指して全力で走る。
背後で爆発音が鳴り響いた。爆風を回避しきれず、前方に吹き飛ばされる。地面を転がり、衝撃を緩和するも、背中は熱で焼かれ激痛が走った。かつての家屋は炎に包まれていた。偲の決断は正しかった。あのまま躊躇していたら、全員跡形もなく吹き飛ばされていたのだから。
「いやぁ、計画通りだ」
悪辣な表情で笑っているのは、あの荷物を届けた配達員だった。きらめく炎が瞳に映っていて、偲には気づいていなかった。
「どうして……こんなことを!」
「あれぇ生き残りがいたのかぁ」男は歩み寄り、偲の顔を凝視して口角を上げた。「なるほどなぁ。お前は雇われの兵ってわけか。さすがお金持ち、対策がちげぇや」
「もしかして……あなたも!」
「あいつらは業界で恨みを買いすぎたぁ。真っ当な商売はしていたが、目障りなことに変わりはなかったぁ。そこで、俺が派遣されたってことさ。これで大金ゲットだぁ」
男はナイフを取り出すと、偲の首元にかざした。「さーて、顔を見られた以上、死んでもらうぜ」
手元に武器などない。指先が痺れて抵抗もできない。初の任務だったのに誰も守れなかった。ほんの数分前、敷地の周りを見張っていたら—。この男が敷地内に入ってきた時点で、火薬の匂いに気づいていたら—。誰も死ぬことはなかった。全てはこの2年間の慢心が原因だった。偲は無念を抱え、覚悟を決めて目を閉じた。
「お姉ちゃん!」
突如、男の子の声が聞こえた。友達の家からたった今帰ってきたのだ。男は振り向き、狂気的な笑みを浮かべた。
「5人家族なのに4人しか死んでない理由がやっと分かったぜぇ。これで仕事完了だぁ!」
男はナイフを振り上げ飛びかかった。偲が悲痛な叫び声を上げるも、一切の効果を持たなかった。逃げることすらできず、長年仕えてきた主は心臓を貫かれた。
「ほら!最後のお別れだ!」
男は骸となった男の子を容赦なく蹴り上げた。偲は骸に抱きつき、声にならない声でむせび泣いた。
「心配すんなぁ。どうせあの世で会える」
男がナイフを持って歩みを進める。偲は逃げる気力が湧かなかったし、そもそも逃げるべきではなかった。雇い主が全員殺されたのに、自分だけがこのあとの人生をまっとうするなど、虫の良い話だ……。偲はここで死ぬべきだと感じた。
けたたましいサイレンと共に赤い光が近づいてくる。男はナイフをしまい、わかりやすく舌打ちした。
「消防車……地域住民が通報しやがったか。まぁいい。せいぜいその業を背負って生きるがいい、服部偲」
男の声が途中から地を這うように低くなった。口調も変化している。服と背丈はそのままだった。しかし、男は顔だけがヴィレッサムのものになっていた。偲は恐る恐る目線を下げる。冷たくなった骸は……撫子だった。少女は心臓を握りつぶされたかのように叫んだ。
目を覚ますとそこは見覚えのある病室だった。偲は喉がカラカラだった。なにしろおびただしい量の冷や汗をかいていたのだから。隣には、本を片手に目を丸くするエリーがいた。
「偲さん……偲さん!やっと起きましたね!」
エリーは本を投げ捨て、喜びのまま偲の手を握りしめた。
「私がここにいるということは—、ヴィレッサムは撤退したのですね。あれから何が—」
エリーはみんなの病状、そしてヴィレッサムが残した期限のことを伝えた。話が進んでいくに連れ、偲の表情は目に見えて暗くなった。
「被害がそんなに……。私がもっと強ければ……」
「期限まではあと3日。ヴィラージュ様は神の都に協力を要請し、徹底抗戦するつもりのようです」
「あっ、そういえばダージェさんは?怪我は大丈夫ですか?」
エリーはベッドの反対側を指さした。偲はえっ、と声を漏らしてしまった。
「今頃気づいたのかよ」
ダージェは何食わぬ顔でバナナを食べていた。ベッドの横にある棚には、皮が幾重にも積み重なっている。手首は問題なくくっついていた。
「大したお怪我は無いようで……」
「俺自体の治癒力が高いのもあるがな。ヴィレッサムが去ったあとに蛍二が腕を縫合してくれたんだ。ちゃんとお礼は言ったぞ」
こんな茶番をしている場合ではない。作戦の日に向けて、鍛錬を重ねなければ。偲は患者衣を脱ぎながら、ベッドから降りようとした。しかし、エリーに力ずくで止められた。エリーは鋭い目をして言った。
「どこに行く気ですか」
「決まってます、稽古場ですよ。これ以上負傷者を増やしたくありません」
偲はエリーを押しのけようとしたが、流石に分が悪かった。ダージェは二人のぶつかり合いを黙って見ていた。
「あなたの気持ちは分かります。ですがダメです。まだ治っていないのですから」
「私は一度刃を交えています。その経験は必ず生きるはずです!」
どれだけ魂を込めて言葉を紡いでも、エリーの意志は折れそうになかった。
「偲……今回はやめといたほうがいいんじゃねーの。俺もパスする。親父やお袋に関する情報は得られなさそうだし」
「そんな自分本位な理由じゃ—あっ」
偲は言葉の途中で口を押さえた。いまのは失言だった……。
「あなたの意志は否定しません。ですから、蛍二さんとしっかり相談してください。お願いだから、フレルさんと同じことにはならないで……」
そう言い残し、エリーは病室をあとにした。エリーの頬はかすかに濡れていた。
その日の夜、偲は遅くまで眠れずにいた。隣ではダージェが布団をくるみ、大きないびきを書いて寝ていたが、そんなのは理由ではない。偲は待っていたのだ。村全体が寝静まるこの瞬間を。息を殺し、忍び足で病室を抜け出す。廊下を左に曲がり、少し進めば出口だ。
「どこに行く気?」
向かって右側。院長室の方向には、ろうそくを持ったリマンが立っていた。窓から行くべきだったか。
「それは……言えません」
「あら、そう。詳しくは聞かないでおくわ。これ、持っていきなさい」
リマンは麻の袋を偲に手渡した。袋には忍び装束に手裏剣、苦無……。普段使っているほとんどの道具が入っていた。
「忍者刀はデカくて入らなかったわ。たしか偲の部屋に置いてあったはず。こっそり取りに行くといいわ」
リマンを押し倒してでも診療所を抜け出そうとしていた偲は、呆気にとられた。
「そんな……いいんですか」
「返答に困るわね。医療者としての私は反対だけど、ほのかに燻っている武人の心は賛成しているってところかしら」
時間が惜しい。偲はささっと頭を下げ、その場を去ろうとした。
「待ちなさい。私の話を少しだけ聞いて」
「私はこの数日、ずっとあなたの世話をしていた。あなたは連日うなされていた。荒い呼吸をしながら、ずっと一つの名前を口ずさんでいた。それで気付いたの。今まで何があったか知らないけれど、きっとどこかで後悔している過去がある。そうね?」
偲は首を縦に振った。
「その過去を繰り返さないため、数多の仲間の気持ちを裏切り、この施設を抜け出す。そんな顔しないで—誰にも言わないから。その代わり、一つだけ約束して」
「—どんな約束です?」
「あなたの仲間を想う心は立派よ。だけど、いちばん大切なのは自分の命。決して無茶はせず、命を危険に晒すことはしないこと。いいわね?」
偲は震えながらはい、と言った。正直、泣きそうだった。麻袋の中身をばら撒き、装着していく。リマンは何も喋らなかった。
忍者刀が無い分ほんの少し違和感があったが、さっさと回収すればいい。着替えが終わると、リマンが敬礼した。
「それじゃあ……行ってらっしゃい」
気づいたときには、手がおでこについていた。「はい!行ってきます!」
偲は足音すら置き去りにし、その場をあとにした。
リマンの中に残る武人としての心。彼女もまた、一人の戦闘者だった。




