73話 学級委員の憂い事
向日葵と功がヴィレッサムと剣を交える数分前。隆之介たち第一班から離れた琉太と撫子は、木々の間を走り抜けていた。夕方といえども木漏れ日は薄く、そのままでは周囲の状況が分かりにくい。ヴィレッサムの配下が残っていることもあり得る。琉太は炎の呪文で明かりを確保し、撫子とのスペースを開けないようにしていた。
今ごろ第一班の奴らは右往左往しているだろうと琉太は思った。これまで頭の中で考えていた作戦は、すべて事前に共有していたからだ。今日に限ってはやむを得なかった。なぜなら—友の命がかかっているのに、みんなそれに気づいていないからだ。無駄な説明は気の迷いを生む。無駄に余計な情報を入れて、敵に隙を見せ、新たな怪我人を生み出したら本末転倒。だから、必要最低限の人員だけを割きたかった。あとで隆之介あたりに大目玉を食らうだろうが、そんなことはどうでもいい。琉太は自分自身の役割を噛み締め、森の中を突き進んだ。
「ねぇ……琉太くん。もっと速く移動できないの……?隆之介みたいに空を飛ぶとか……」でこぼこな大地を走って疲れ果てた撫子が言った。
「そのセリフを聞きたかった。ここなら敵にも見つからないだろう。ワープ!飛行!」
撫子の手を掴み、呪文名を叫んだ途端、隆太たちは白い閃光に包まれた。空を切り裂き、数秒もしないうちに、夕陽を反射し、オレンジ色の水を孕んだ海が見えてきた。そのまま勢いよく着地!衝撃に耐えられず、琉太は撫子の手を離してしまった。
砂浜のほうに投げ出された撫子は、土の上を転がって減速した。
「イタタタぁ……」
頭を擦りながら周囲を見渡すと、琉太がダージェを抱きかかえ、叫んでいた。導き出される事態は最悪。しかも、気を失っている!
「ダージェくん!」頭の痛みなどつゆ知らず、撫子は駆け寄る。
思わず息を呑んだ。ダージェは手首から先がどちらとも切断されていた。その横には忍者刀を携えた偲。目立った外傷はないが、おびただしい量の血を吐いていた。
何か手を施すべき。それは分かっていた。だが、琉太は判断できずにいた。琉太は歴史と法律の天才であって、医療には明るくない。安直な処置が救命に支障をきたすかもしれない。とりあえず、ダージェの手首には包帯を巻いてやるべきか。こういうときにリマンか蛍二がいれば—。
「皆さーん!すみません、遅れました!」
森の中から聞こえる一つの声。その声の主は白衣と丸メガネをつけていた。革のハンドバッグを持ったその少年は—蛍二だった。
「蛍二!」
二人の声を気にも留めず、蛍二はハンドバッグから茶色の薬瓶を取り出した。ゴム手袋を取り付けると、針と糸をアルコールで消毒する。針に糸を通す。ルーペを片目に装着する。そして、薬瓶をダージェに近づけた。
「もしかしてそれって……」
「麻酔です。いまここで、ダージェさんの手首の縫合を行います!琉太さんは両手を拾ってきてください。撫子さんは偲さんに呪文をかけてやってください。そのままで大丈夫です!」
縫合は困難を極めた。両手首は断裂。骨に血管、神経と、重要な器官を一つ残らず糸で繋げる必要がある。しかし、人間とは配置が異なっているため、それぞれの断面を鑑みながら丁寧に事をなすしかなかった。蛍二は冷静に、今まで培ってきた経験を信じて、右手首の縫合を終わらせた。次に氷水から左手首を取り出した。主要な器官の配置が分かっているぶん、まだ容易だった。
すべての作業が終わったとき、偲を包んでいた緑色の光も消えていた。撫子の治療もたった今完了したようだ。偲の顔に赤みが戻り、三人はホッとため息をついた。
偲のからだがピクリと震えた。蛍二は咄嗟に脈を測る。ついさっきまで消え入りそうなほど弱々しかったのが、常人レベルまで回復していた。
「うーん—ここは?」
目をパチパチさせながら細々と呟いた偲。琉太が手を握り、震えていた。
「あぁ……良かった。大事なくて……」
「琉太さん。敵の狙いは……撫子さんです。回復呪文の術者を取り入れるため……懐柔しようとしています」
「分かっている。撫子はここにいるから、今は無理に喋らなくてもいい」
そう告げると、偲は安堵の笑みを浮かべ、目を閉じた。
そのあと、琉太たちはヴィラージュの村に帰還した。琉太は偲をおんぶし、飛行の呪文で診療所に担ぎ込んだ。撫子と蛍二は互いに肩を使ってダージェを運んだが、撫子と蛍二では身長差が10センチ以上(もちろん蛍二が低い)あったので、蛍二は苦労することになった。
向日葵と功の怪我は酷かったが、リマンが二人を発見し、迅速な処置を行っていた。二人はいち早く診療所に入れられ、偲たちより先に、温かいベッドで眠ることができた。二人を寝かしつけたリマンは魔族たちの治療に取り掛かった。オプサの手首を糸でくっつけ、ベッドに担ぎ込み、今度はクライゼルに着手する。クライゼルの傷口は、包帯でぐるぐる巻きにされていて、特に追加の治療は必要なかった。最も苦労したのはゴリベアだった。ヴィラージュを除けば、村でもトップクラスの重量級なので、重いなんてもんじゃなかった。幸いにも胸の傷は命に関わるものではなかった。汗びっしょりになりながら診療所の入口まで引きずっていき、傷口を塞いで、その場で寝かしつけた。
リマンは各所を飛び回り、それぞれの班にヴィレッサムの撤退を伝えた。みんな傷を背負っていたがいずれも軽症で、リマンは息を撫で下ろした。
軍団長一人とその配下による襲撃。以前にもサパコス、ヒメマル、アグカルの襲来はあったが、今回はそれ以上の被害を受けた。計7人がヴィレッサムに挑んだが、傷一つつけられず、ことごとく返り討ちにされた。その事実はアシナヅチ陣営に深い影を落とした。残された時間はたったの一週間。無論、撫子を魔神軍に渡すわけにはいかない。しかし、このままではまた怪我人が増えるだけ。ヴィラージュ、そしてアシナヅチ。頭首はいずれも判断を下せずにいた。
3日が経過した。偲の意識はあれから回復していなかった。琉太と千代子は果物を持って、診療所へお見舞いに訪れた。病室に入ろうとすると、琉太は突然足を止めた。
「どうかしたのかい?」千代子が不思議そうに尋ねる。
「蛍二に聞きたいことがある。さきに行ってくれ」
琉太は果物の入ったかごを渡し、診療所の院長室へ向かった。いつもなら蛍二とリマンが一緒にカルテなどをまとめているが……。
「失礼します」
ガラガラと音を立てる年季の入ったドアを開けると、デスクに座り、書き物をしている蛍二がいた。デスクには分厚い資料が積み重なっていた。琉太は書き物の内容をちらりと覗いた。偲の半日ごとの脈拍数と呼吸の数が丁寧に記されている。筆跡はすべて蛍二のもの。ここ数日ホマレ荘に帰ってきていなかったが、そういうことだったのか。
「蛍二。ちょっといいか?」
「あっ、琉太さん。すみません、気がつかなくて」
「ちょっと聞きたいことがあってな」
「この資料を片付けたいので、お茶でも飲んでくつろいでください。そこにイスとポット、ありますから」
蛍二は手を動かしながら、琉太の方を見向きもせず言った。
「茶」と書かれた器から茶葉を取り出し、ポットからお湯を汲み出す。茶葉の中に穀類が混じっている。健康食品のCMでよく見る雑穀茶だ。小さなことでも健康に気を使うところは、流石と言わざるを得ない。
琉太はまだまだ時間がかかると思い、日本酒のように雑穀茶をちびちびと飲んだ。蛍二は次々と新しい紙を取り出し、書き物に拍車をかける。すっかり茶も冷めてしまったころ、琉太は耐えきれなくなって口を開いた。
「なぁ、そんな大した質問じゃないんだ。少しぐらいいいだろ?」
「分かりました。私もいったん休憩としましょう」
蛍二は立ち上がり、琉太と同じように雑穀茶を淹れた。
「それで?質問ってなんですか?」
「単刀直入に言う。ヴィレッサムの襲来時、お前はどこにいたんだ?」
「—もしかして私にやましいことがあるとでも思ってるんですか?」
蛍二が低い声で言った。10秒ほどの沈黙が続くと、蛍二の表情がほころんだ。
「なーんて、冗談ですよ。あのとき、私は漢方薬の原料を採りに行ってました。もうすっかり春ですから」
「リマンさんは一緒じゃなかったのか?」琉太は間を開けずに尋ねた
「別々の場所を探していたんですよ。二人で同じ場所を探しても効率が悪いでしょう?」
蛍二が柔らかな表情でそう告げると、琉太は満足して立ち上がった。ドアノブに手をかけると、蛍二に背を向けたまま、琉太は言った。
「蛍二、お前はいつも俺達の怪我を癒してくれて感謝する。正直、お前がいなかったらとっくの昔にみんな死んでいるだろう。だからまぁ、大変なことがあったらいつでも頼ってくれよ」
琉太は振り返らず、そのまま偲の部屋へ向かった。
院長室が静まり返ると、蛍二は誰もいないドアに対して柔く破顔した。
「琉太さん……。残念ながらこの仕事は、私にしかできないんですよ……」




