72話 友の命
ヴィレッサムは幼子の声に即座に反応した。木陰にいるのはめっぽう小柄な少年と少女。少女は金属の小手、少年はツメを装備している。ただの戦いごっこの延長にしか見えないが、この森を無傷で抜けてきたということは……そういうことだ。
「クライゼルさんは—やらせない!」
少年が地面の小石を拾い、でたらめなフォームで投げる。普通の斬撃ならすんなり見切れる。だが視認性が悪い。リスクを回避するため、ヴィレッサムはクライゼルから離れた。
その隙に少女がクライゼルへ駆け寄った。森の手前からクライゼルに至るまで、何十メートルという距離があった。それを加速無しで駆け抜けるとは……やはり侮れない。
「クライゼルさん……ひどいケガ。これ、包帯と消毒。使っていいよ」
少女はヴィレッサムの姿など脇目も振らず、クライゼルの怪我を案じている。自身の2倍はあろうかというクライゼルの体をひょいと担ぎ上げ、広場の隅へ運び込む。少年も同じく、ゴリベアとオプサに応急処置を施していた。
ヴィラッサムはあえて待った。すべての作業が終わると、二人はヴィレッサムの眼前に並んだ。
「そなたたち……名を聞きたい。この軍団長の前で、よくそんな落ち着いていられたな」
「僕は功。こっちは向日葵。—本当はめっちゃ怖いよ。だけど、目の前で大切な人が死にかかっている。そんなの……助けずにはいられないじゃないか」功が震えた声で言った。
その様子はまさに年相応。しかし、目の奥では信念の炎が燃えている。—またこの顔だ。
「あなたヴィレッサムっていうんでしょ。ヴィラージュ様から聞いたよ。めっちゃ強いんだってね」向日葵が幼き声で呟いた。
「そうだが何か?」
「撫子を狙ってるみたいだけど……どうして?どうして撫子なの!あの子は友達や仲間を救ってるだけじゃない!」
「……ヒノカグツチがご所望だからだ」
「ごしょもう……?よくわかんない。でもね、私、本当はみんなに戦ってほしくないの。手合わせは楽しいけど、命のウバイアイは絶対ダメ。そう思ってた」
その時、向日葵の声が一気に下がった。「でも、もしあなたが撫子を殺すなら……私もあなたを殺すから」
「やってみるといい。その幼稚な体でな!」ヴィレッサムは忍者刀を構えた。
先手を切ったのは向日葵。なんの捻りもなく正面から突っ込み、高く飛び上がる。空中で切り返し、真上から踵落とし!ヴィレッサムは忍者刀の峰で防ぐ。
小柄な体型からは想像もできないほどに重い一撃。ヴィレッサムは意図せず押し込まれる。
しかし、軍団長には見えていた。功が背後に回っていることが。向日葵を弾き飛ばし、少年に回し蹴りを叩き込む。羽のように吹き飛ばされ、功はホマレ荘の壁を陥没させた。
向日葵は空中で一回転し、華麗に着地していた。この身軽さ……油断はできない。
「次はこちらからだ」
ヴィレッサムは一瞬で加速し、瞬く間に向日葵との距離をゼロにする。無論、向日葵に対応などできない。魔神には子供を殺すなと再三言われている。決め込んだのは峰打ち。いくら刃が入っていないといえども、肋骨がへし折れ、常人は立ってられないはず。しかし、向日葵は軽く仰け反っただけだった。
「痛いなあ……」
筋肉が分厚く、骨も頑丈。半端な打撃は機能しない。ならば体の内側から攻める。
ヴィレッサムは向日葵の目の前に回り込んだ。向日葵にとっては絶好のチャンス。小手で最速のジャブを繰り出す。それを木の葉のように躱すと、生み出されるのは一瞬の隙。ヴィレッサムは向日葵の首を掴み、頭上まで持ち上げた。このまま気絶させる。
「ライトニング、稲妻よ—」
「向日葵に……さわるな!」
功の声が呪文の詠唱を妨げる。向日葵と同じく、一発では沈まなかったらしい。もう功はすぐ側にいた。ツメによる引っ掻きをヴィレッサムは転がって躱した。
回転の勢いで向日葵は投げ出された。必死に受け身の体勢を取るが、間に合わなかった。鈍い音が響き渡り、向日葵は頭に裂傷を負った。
功は少女のもとに駆けつけ、包帯とテープを取り出した。「向日葵!めっちゃ血ぃ出てる……。いま治すから……」
「大丈夫。今は目の前の敵に集中しよう」
向日葵はそう告げるも、はっきり言って強がりだった。おでこから血が滴り、左目に入っている。左半分の視界はない。功は回し蹴りをくらい、肋骨が折れていた。ふたりとも万全ではない。
怪我の様子はヴィレッサムから見ても明らか。しかもこれまでずっと一方的ときている。普通は心が折れ、戦いを放棄するか、降伏するだろう。だが、向日葵と功は、同じく成人にも満たない戦闘者—偲と同じ目をしていた。首だけになっても食らいついてくるタイプだ。
「一つ問いたい。どうして君たちは、撫子をそこまでして守る?苦楽をともにしたのかもしれないが、所詮は血の繋がりもない他人ではないか。命をかけるほどのことか?」
向日葵は黙っていた。というより、基礎学力がなさすぎて、質問の意味がよく分からなかった。
「……うるさい。撫子は僕達の幼馴染なんだ。理由なんてないよ」向日葵よりもちょっぴり頭が良い功が言った。
「そうかそうか。そのしぶとさは、遠い昔からの信頼関係が基なのか。そういう奴はどこかで必ず裏切られる。期待に応えられなくなるのだ」
ヴィレッサムが感じ取った通り、向日葵は見た目も心も幼稚だった。難しい言葉は理解できず、落ち着きがなく、野菜は食べられない。しかし、小さな脳味噌をフル回転させ、一つ解ったことがあった。
「あなた……撫子のことバカにした?」
「そうは言ってない。裏切りとは常に隣りに有る。だがら、他者を信頼し、共通の信念を持つなど無駄だということだ」
「やっぱり、あなた許せない……」向日葵はわなわなと震えていた。
次の瞬間、向日葵が怒りのままに突進した。功が叫ぶも、向日葵はまったく意に返さない。出鱈目に拳を振る。ヴィレッサムを捉えることはできなかった。
「これで終わりにしよう」
軍団長は冷静だった。血で染まった左側にサイドステップ、死角に入る。忍者刀を振り上げ、強烈な峰打ちを繰り出したのだ。いくら頑丈でも、一つの箇所を集中して攻められたら、いつか瓦解する。向日葵は受け身も取れず、地面に叩きつけられた。
「向日葵!」功が悲痛な叫びを上げる。
「他人を案じている場合か?」
ヴィレッサムはすでに功の背後を獲っていた。そのまま後頭部に強烈な裏拳を叩き込む。予期できるはずもない一撃。功は顔面から抵抗もできず倒れこんだ。
事が終わると、ヴィレッサムは撫子目掛けて、再び歩みだす。うつ伏せに倒れる功の隣をすり抜ける。その時、前触れもなく右足が重くなった。振り返ると、功が涙を流しながら、脚を掴んでいた。
「撫子のところには……行かせない!」
鼻骨が折れ、呼吸もままならない。だが、功の心は折れていなかった。
「なるほどな……」
ヴィレッサムは功の手を振りほどくと、忍者刀を収めた。
「お前たちの強さを免じよう。一週間やる。このまま抵抗を続けるか、大人しく撫子を引き渡すか……考えておくがいい」
そう言い残すと、軍団長はホマレ荘とは逆方向に進み始めた。功には訳がわからなかった。ただ眺めることしかできなかった。そして、ヴィレッサムの姿が夕方の光に消える。息を飲んだのもつかの間、功の意識が潰えた。




