71話 揺るぎなきもの
向日葵たちがホマレ荘から出撃し、その場にはヴィラージュたち魔族4人が残された。
ドラの話によると、現在、偲とダージェがヴィレッサムを食い止めているらしい。残酷な話だが、二人はきっと負ける。ヴィレッサムは唯一、金によって雇われた軍団長。しかし、その実力はその他の軍団長と遜色ない。一つの希望は魔神が「子供は殺すな」という絶対的な命令を下していることだ。どっかのアホと違い、金をもらっている以上、命令に背くことはできない。ヴィレッサムの動向はひつじいが2階で見張っている。今は迎撃することだけに集中しよう。
クライゼルはロングナイフを研ぎながら深呼吸をした。隣ではゴリベアがなにか含みのある顔で、胸に拳を当て、機が熟すのを待っていた。
「ゴリベア、何かあったのか?」
「いいや別に。ちょっと子供たちのことを憂いているだけだ」
「—お前も見ているだろう。あの子達の訓練の様子を。この世界にやってきてから半年しか経っていないのに、その実力は魔神軍の雑兵を蹴散らせるほどになっている。もちろん、軍団長には手が届かないが……それでも成長スピードは常軌を逸している。だから大丈夫だ」
「それでも—心配なんだよ。いくらあの子達が強くなっても。僕を凌ぐぐらいに。僕はお前や琉太と違って、冷静さの欠片もないから」
ゴリベアは激情家だ。すぐに怒るし、すぐ心配症になる。ただその分思いやりに溢れていて、村の魔族の中でも一番子どもたちと過ごしている時間が多い。向日葵にピクニックに誘われたり、アーロンと釣りに行ったり、業務的な関係を超えた仲だ。その素直さは、クライゼルにはない武器であり、かつ弱点でもあった。
ドタドタと階段を滑り降りる音が響き渡る。ひつじいが白い毛をふわふわと揺らし、共有スペースに駆け込んできた。
「さっそく来ましたよ!皆さん、ご準備を!」
「距離はどうじゃ!」ヴィレッサムが大声で言った。
「200メートルぐらいです!」
クライゼルはゴリベアの真隣に立ち、悠然とした顔で言い放つ。
「行くぞ。出陣だ」
外に飛び出して早々、ヴィラージュはクライゼルと同じくらいのサイズに変身し、撫子たち第一班のいる北東へ向かおうとした。そんな話など聞いていない。ゴリベアが止めにかかる。
「ヴィラージュ様、どこに向かわれるのですか!」
「撫子たちが心配での。加勢しに行くのじゃ」
あれだけ安全性を説いておきながら……自分たちには役目があると言っておきながら……この土壇場で手のひらを返すとは。ゴリベアは裏切られたような気持ちになった。腹の底から湧き出る焦りの混じった怒りを堪え、自分自身を落ち着かせながら言った。
「ヴィラージュ様、子供たちが心配なのは分かります。僕も駆けつけたいぐらいです。しかし、『わしらには軍団長を止める責務がある』と出陣前にあれほど念を押していたではないですか」
「……ただの心移りじゃ。すまぬ」
ヴィラージュはゴリベアの方を振り返りもせず、そそくさと森の奥に消えた。謝辞の言葉だけがその場に残された。
「……クライゼル。僕はどうしたらいい?」
「ヴィラージュ様にもなにか考えがあるんだろう。今は私達にできることをするしかないのだ」
ゴリベアは無言で頷いた。
真正面から隠れもせず、ただホマレ荘を目指して進む一人の魔族。首にはスカーフ、腰には手裏剣を携え、その手には年季の入った忍者刀が握られている。全身には真っ黒な忍び装束を纏い、あと一時間もすれば夜の闇で見えなくなりそうである。
「あなたがヴィレッサムですね」クライゼルが無表情で言った。
男は答えもせずに歩みを進める。クライゼルらとの距離が10メートルほどになると、男はピタッと静止した。
偲とダージェ。二人の猛者を相手したというのに、ヴィレッサムは無傷だった。
「先ほどの会話、拝聴したぞ。そんな些細なことで揉めるなど、やはりお主らも魔神軍と同じなのだな」
「どういうことです?」オプサが言った。
「出発前に魔神から助言をもらってな。ホマレ荘の奴らの心は透明の糸で繋がれている。その繋がりはときに盤上をひっくり返すから注意せよと。俺は絆や信念なんぞに意味はないと思っている。信用できるのは金と力だけだ。だからただの戯言だと受け流したのだが、どうやらそれは正しかったようだな」
「セリフが長いんですよ―うっとうしい!」
「戦いの前に一つ聞きたい。魔神軍と同じというのは?」ゴリベアが聞いた。
ヴィレッサムは微動だにせず、ここでも無言になった。考えがまとまったのか、しばらくして口を開いた。
「魔神軍は有象無象を飲み込み、かつてない勢力へ成長している。だが、最近は『巨悪を滅ぼし、より良い世界を創る』というヒノカグツチの理念がどんどん形骸化しているように感じる。かつてはアシナヅチとその周りの家臣だけが悪とされ、それ以外には手を出さない方針だった。今では神族のほとんどが粛清対象だ。だから、信念なんぞに意味はないのだ。簡単に揺らいでしまうからな」
クライゼルはその論理に吐き気をもよおした。今すぐにでも、魔神軍とは違うことを証明したいが、それは後回しだ。
クライゼルはゴリベアが歯を食いしばり、わなわなと震えている事に気づいた。ゴリベアは激情家—。その性質を思い出したクライゼルは声を張り上げた。
「だめだ、動くな!」
時すでに遅し。ゴリベアは顔を真っ赤にして、ヴィレッサムに単身で突っ込んでいた。
「あいつらと一緒にするなぁぁぁぁぁ!」
分厚い鉈を振り上げ、軍団長との距離を詰める。その姿を捉え、刃を振り下ろした。
もうそこには居なかった。まるで雲を通り抜けたようだった。ヴィレッサムはすれ違いざまに、ゴリベアの胸を深く切り裂いたのだ。
痛みが遅れてくるほどの速さ。ゴリベアは軍団長の背後でなすすべもなく崩れ落ちた。
「クライゼルさん……見えましたか?」
先のヒメマル、そして今回のヴィレッサム。二つの戦いで理解できた。軍団長は普通の魔族とはナニカが違う。強さの次元が違うと言わざるを得ない。
「私が呪文で隙を作ります。信じてますよ」オプサが白い毛を汗で湿らせながら呟いた。
次の瞬間、オプサが叫びながら突っ込む!「フレイム、炎よ燃え盛れ!」
炎の渦がヴィレッサムを飲み込んだ。クライゼルは地面に伏したゴリベアの前に回り、炎が消えるのを待つ。その一瞬の隙を刈る!
だがそれよりも先にヴィレッサムは炎から飛び出した。しかも忍者刀を振り上げている。隙をつくはずが、立場が逆転してしまった。
「よっと!」
冷酷な斬撃を、クライゼルは転がってかわす。胸を斬られたが浅い。まだ戦える。
「ワープの力をその身に宿し、スピードを底上げか。考えたな」
クライゼルはロングナイフを構え、髪の毛が逆立つほどの速さで突っ込む。そのままヴィレッサムに斬撃の嵐を浴びせる。
ヴィレッサムは無数の攻撃を忍者刀で防ぎ続ける。武器の扱いは互いに同じ……いやこちらのほうが上か!徐々にロングナイフの刃が軍団長に近づいていく。これなら届くとクライゼルは思い上がった。思い上がってしまった。
「油断もまた一興」
それまで防戦一方だった忍者刀が下から跳ね上がった。ロングナイフが空を舞い、クライゼルは無防備になる。すぐさま距離を取ろうとするも、ヴィレッサムは苦無を抜き、太ももに突き刺す。痛みで硬直するクライゼル。その時間を見逃すはずもなく、クライゼルは忍者刀で強烈に斬り伏せられたれ、糸が切れたかのように地面に倒れた。
ヴィレッサムは考えなしにロングナイフを弾き飛ばしたわけじゃなかった。クライゼルという面倒な敵を完封するため、そのさきの行動まで予測し、2の手3の手を打ったのだ。
クライゼルの作った隙で、オプサが反撃する作戦だったのだろう。しかし、オプサは目の前で起こった出来事を突きつけられて、何もできずに硬直している。
「お前は最近魔神軍を裏切ったと聞く。いま寝返れば、ヒノカグツチも受け入れてくれるだろう。良い提案だと思うが?」
ヴィレッサムの問いに対し、オプサはニヤリと笑った。「軍団長であるあなたは光の宝玉の一部を持っている。そうですね?」
「……それがなにか?」
「光の宝玉はアシナヅチ様が神族の長としての力を取り戻すのに必要なものです。その力を使えば、向日葵様は元の世界へ戻れる。あの子たちはそれを悲願に、あなた達に挑んでいるのです。私は向日葵様に忠誠を誓っています。新しい名前も貰いました。ここであなたを殺せば、その夢に一歩近づける。それならば—諦めるわけには行きませんねぇ!アイス、氷よ―」
氷のかたまりを出そうとした手が、突如として地面に落ちた。眼前には忍者刀を振り終わったヴィレッサムがいた。
「もう一度言おう。命が惜しくば、魔神軍に戻るがいい」
「—嫌です」
ヴィレッサムは表情を曲げ、オプサの顔面に掌底を叩き込んだ。オプサは空高くふっとばされ、鼻骨が粉々になり、ホマレ荘の壁に叩きつけられた。
「寝返ってくれればお給金が増えるかもと思ったが……期待外れだ」
背後から何かが空気を裂く音が聞こえた。ヴィレッサムは振り返りもせず、横に飛んで回避する。金属音をたてて落下したのは、よく磨かれたロングナイフだった。
胸から青色の血をドボドボ垂らしながら、クライゼルが立っている。これ以上激しい戦闘を繰り返せば命に届くかもしれない。当の本人もそれは分かっているはず。だが、そこに「諦める」という文字は見られない。
「ヴィレッサム……あなたに信念はないんですか」
「そんなものあるわけない。魔族神族にかかわらず、心というのは流動的だ。それに命をかけるなど、馬鹿げている」
「では……お金をもらえなくてもいい、お金を払ってでも仕えたい御主人様で出会いたいと思ったことは?」
「—ほう」
「話は変わりますが、あなたの言う通り、今のヒノカグツチは狂っています。よりよい世界を作ると謳っておきながら、なんの罪もない女、子供まで皆殺しにしている。私はそんな暴挙についていけなかった。そして何より、ヴィラージュ様がそうだった。私たち3人は、ヴィラージュ様に拾われ、育て上げられたのです。まさしく命の恩人です。私はお金など貰わずとも……危ないとわかっていても……ヴィラージュ様についていきます。あなたはどうですか、ヴィレッサム!」
「答えは同じだ。金さえ貰えればそれでいい。俺に真の主など存在しないのだ」
無表情で呟くヴィレッサムの声は、戦闘時よりも低かった。
何か別の武器を持っている可能性もある。遠距離からトドメを刺そう。ヴィレッサムは腰から棒手裏剣を引き抜いた。
クライゼルの意識は朦朧としていた。立っているのがやっとで、一歩を踏み出せる気すらしない。ヴィレッサムが棒手裏剣を投げれば、数百年生きたこの命は尽きる。クライゼルは覚悟を決め、目をつぶった。
その瞬間、北東の森から幼い少女の声が響く。この聞き覚えのある声は……!
「クライゼルさん!」




