第4話 銛と、弾ける数字
次の夜も、ウタは白い珊瑚のそばにいた。
けれど、もう誰にも「ようこそ」とは言っていなかった。膝を抱えるようにして浮かび、流れてくる光の文字を、一つずつ目で追っていた。
「ルカ」
僕を見つけると、ウタは手を振った。七秒の型ではない、少し大きすぎる振り方で。
【深度 -180m/光珊瑚の浅瀬】
「浅瀬の祠って、知ってる?」
「しってる。あっち」
ウタが指さしたのは、森のいちばん深いところだった。
*
【深度 -192m】
祠は、小さな石の社だった。
屋根まで光珊瑚に覆われて、ほとんど珊瑚の一部になっている。その前に、六つの結晶が浮かんでいた。
どれも、手のひらほどの大きさ。ゆっくり回りながら、それぞれの色で光っている。
近づくと、結晶の上に名前が灯った。
重い鎧で仲間を守る、潜騎士。
ランタンの光で泡殻を癒やす、灯守。
珊瑚を育てて爆ぜさせる、珊瑚術士。
潮の歌で味方を強くする、歌潮士。
泡の分身で敵を惑わす、泡沫師。
そして、光の銛で連撃を叩きこむ、銛撃士。
夢の初日に試着させられた、あの金色の銛だ。
六つの結晶の輪の、少し外れたところに、七つ目の台座があった。
台座だけだった。結晶はない。名前の灯るはずの場所には、何も灯らない。
壊れているのかと思って、手をかざした。反応はなかった。ただ、空っぽの台座の上で、水がわずかに、ほかより澄んでいる気がした。
僕は、六つを順に眺めた。
仕事のくせで、どれを選べば何が見えるかを考えてしまう。盾は、守った数字が見えにくい。回復は、減らなかったHPとして見えるだけだ。魔法は一発が大きいぶん、間が空く。
銛撃士は、遠くから届く。そして、手数が多い。
一撃ごとに、数字が出る。
「これにする」
結晶に触れた。
【ジョブ:銛撃士 を選択しました】
体が光にほどけて、もう一度編みなおされる。白い潜水服。継ぎ目の琥珀色。右手に、金色の銛。
今度は、試着ではなかった。
「どうして、それにしたの?」
ウタが訊いた。
「射程と手数が、一番“数字が見える”から」
「……すうじ」
ウタは、よく分からないという顔をした。それから、僕の銛と、僕の顔を、交互に見た。
「ねえ、ルカ」
「うん」
「ついていって、いい?」
少しだけ、驚いた。
案内役は、旅人についてはいかない。入口に立つのが仕事だからだ。そういうふうに作られている。
けれど、ウタは自分で訊いた。テンプレートにない言葉で。
「いいよ」
【深民「ウタ」がゲストとして同行します】
〈パーティ:???/ウタ(ゲスト)〉
ウタはパーティ表示を見上げて、自分の名前を指でなぞった。
「わたしの名前、ルカの名前のとなりにある」
「僕のは、名前じゃないけどね」
「でも、となり」
ウタは満足そうに、僕の泡殻のすぐ横にくっついた。
*
最初の獲物は、珊瑚の陰から飛び出してきた光る小魚だった。
【ヒカリハゼ HP 80】
銛を構える。投げるのではなく、突く。突いて、引いて、また突く。
「19」
ぱちん。
「21」
ぱちん。
「20」
ぱちん。
三つの数字が、ほとんど同時に浮かんで、重なり合いながら弾けた。素手のときとは、手ざわりがまるで違う。一撃の重さより、連なる拍子が気持ちいい。
四撃目の穂先が、金色に光った。
「CRITICAL 31」
ヒカリハゼがほどける。
ウタが、ぱちぱちと手を叩いた。音はしなかったけれど、袖の欠片が、拍手の形に揺れた。
「すごい。数字が、いっぱい」
「うん。いっぱい出るように選んだからね」
それから、僕たちは浅瀬を狩ってまわった。
ヒカリハゼ。泡クラゲ。砂に隠れた小さなエイ。突いて、弾けて、また突く。
ウタは、数字が浮かぶたびに声に出して読んだ。「じゅうく」「にじゅういち」。読みあげるのが楽しいらしい。そのうち、僕より先に読むようになった。
クリティカルの金色が出ると、ウタは決まって「わあ」と言った。七秒の型ではない、その場で生まれる「わあ」だった。
夢の中の時間は、現実よりずっと長いらしい。一晩眠るあいだに、ここでは丸一日ほどが過ぎていく。
やがて、浅瀬の底が見えてきた。
【深度 -200m】
ここから下は、光の色が変わる。浅瀬の、いちばん外側の縁だ。
その境目に、ぬしがいた。
*
【大棘フグ HP 240】
岩ほどもあるフグだった。体じゅうの棘が、琥珀色に光っている。
ふくらむ。
棘が、四方に飛んだ。
「7」「6」「8」
赤い数字が、僕の泡殻の上で弾ける。ゲージが削れていく。
ウタが、僕の背中に隠れた。
「だいじょうぶ?」
「だいじょうぶ。……たぶん」
棘がやんだ一瞬に、踏みこむ。
突く。
「19」
突く。
「21」「20」「18」
連撃の拍子を崩さない。数字が浮かんで、弾けきる前に次が浮かぶ。
「21」「20」
「CRITICAL 31」
そこで、気づいた。
弾けきれなかった数字の泡が、重なっていた。白い泡と、金色の泡。重なったところで、膜が干渉しあって、虹色に光っている。
数字が、虹になっていた。
「21」「19」「20」
突くたびに、虹が増える。十も、二十も、泡が泡に重なって、僕とフグのあいだに、小さな虹の群れができていく。
十一撃目。
「CRITICAL 32」
最後の金色が弾けた瞬間、重なっていた泡がいっせいに割れた。
ぱちぱちぱちぱちぱち、と。
夜店の線香花火を、百本まとめて散らしたような音だった。
【11 HIT】
大棘フグが、光の粒になってほどけていく。
二つぶん、削りすぎた。242与えて、240。最後の32は、少しだけ多すぎた。
息が上がっていた。泡殻の中で、自分の心臓の音が聞こえる。
そして、ファンファーレ。
昨日より長い。三回ぶんの金管が、ひとつながりに鳴りひびく。
【LEVEL UP!】×3 Lv 2 → Lv 5
??? Lv 5 ジョブ:銛撃士
HP 290 LUX 44 STR 24
MAG 9 DEF 17 SPD 28
LCK 9 PRS 60 FRG 11
PRS 60。600mまでは、泡殻を削られずに潜れる。
FRGが、10から11になっていた。レベルが上がると、壊れやすさも少しずつ増えるらしい。
「ルカ、光ってる」
「うん。光ってる」
自分でも分かるくらい、顔が笑っていた。
*
フグのいたあとに、小さな泡がいくつも浮かんでいた。
ひとつひとつの中に、光る数字が入っている。
【泡貨 +12】
泡貨。この海のお金らしい。
手のひらに集めてみると、硬貨ほどの泡が十二個。触れると、かすかに温かかった。
ヘルプがひらく。
【泡貨は、1日に1%ずつ弾けて減ります】
【贈られた泡貨は、24時間弾けません】
お金が、減る。
ため込むほど損をする、ということだ。そのかわり、贈れば一日だけ守られる。
よくできた仕組みだと思った。使わせたい、回させたい、という意図がはっきり見える。
「ねえ、ルカ」
ウタが、まだ消えていく虹の泡を見ていた。
「数字って、ほんとう?」
「ほんとう、って?」
「さっきの、いっぱいの数字。あれは、ほんとうのこと?」
僕は、銛の柄をにぎりなおした。
数字を作る仕事を、七年してきた。気持ちよく見えるように、間を計り、大きさを決めて、音をつけた。
でも、数字そのものに細工をしたことはない。
「数字は、嘘をつかないよ」
僕は言った。
「つくのは、数字を描いた人間だ」
ウタは、しばらく僕の顔を見ていた。それから、こくりとうなずいた。分かったのか、分からないのかは、分からなかった。
僕は手のひらの泡貨を一つ、ウタに差し出した。
「はい」
「……くれるの?」
「最初の一枚。助手の分け前」
【泡貨 ×1 をウタに贈りました】
小さな泡の中に、細い光の数字が灯った。【23:59:59】。贈られた泡貨の、守られている残り時間だ。
ウタは、それを両手で包んだ。こわれものを抱くように、胸の前で。
「これ、弾けるんだよね」
「明日になったら、少しずつね」
「そっか」
ウタは泡貨をのぞきこんだ。透きとおった指のあいだで、数字が一秒ずつ減っていく。
「わたしも、いつか弾ける泡だよ」
ウタは、なんでもないことのように言った。
僕は何か言おうとして、言葉が見つからなかった。
「でもね」
ウタは、泡貨を少しだけ高く持ちあげた。光の柱が、その小さな膜に虹を映す。
「弾けるから、美しいんだよ」
どこで覚えた言葉なのか、彼女自身も知らないようだった。
ただ、そう言った彼女の顔は、七秒の型のどれにも似ていなかった。
*
帰り道、ウタが急に止まった。
浅瀬の境目、深度200mの縁。そこから下は、光が少しずつ群青に溶けていく。
ウタは、その下をじっと見つめていた。
「ウタ?」
答えない。衣の四角い欠片が、ひとつずつ明滅している。何かを聴いているときの、彼女の癖だと、僕はもう知っていた。
はるか下で、琥珀色の小さな光が、ひとつ消えた。
ウタが下を見て言った。「下で、だれかが灯りを食べてる」




