第25話 虚ろな兵
谷の出口に、隊列があった。
百体近い人影が、まったく同じ間隔で並んでいる。前後に一・五メートル。左右に、一・二メートル。泡の地図に写すまでもなかった。目で見ただけで、等間隔だと分かる。
自然は、こんなふうには並ばない。魚の群れも、珊瑚の枝も、どこかが必ずずれている。ずれていないものは、誰かが、ずれないように作ったものだ。
【深度 -9,400m/深淵層・谷の出口】
*
近づくと、それは兵士の形をしていた。
鎧も、兜も、槍も、すべてが鈍い灰色。顔にあたる部分は、空洞だった。兜の中には、何もない。暗い穴が、一つあいているだけ。
頭上には、名札がなかった。
かわりに、数字だけが浮かんでいた。
【HP 800】
【HP 800】
【HP 800】
百体、すべて。
「……気持ち悪いな、これ」
トゥンデさんが、声を落として言った。時計は、【5:21】。ラゴスは、夜の九時を少し過ぎたころだ。
「名前がなくて、数字だけ。キミの逆だね、ルカ」
その通りだった。
僕には、数字があって、名前がない。あれには、数字だけがあって、名前も、顔も、ない。
隊列の頭上を、小さな影が、いくつも旋回していた。
円盤の形をした、機械の鳥のようなもの。羽ばたかない。音もしない。ただ、完璧な円を描いて、同じ速さで回りつづけている。
【HP 120】
円盤たちにも、数字だけが浮かんでいた。
*
隊列が、動いた。
一歩。
百体が、同時に。足音が、一つに重なって、谷の岩壁を震わせた。
「来るよ」
千歳さんが、盾を構えた。
最初の槍が、盾に当たった。
「150」
二本目。
「150」
三本目。
「150」
数字が、ゆらがない。
偽物の僕と、同じだった。毎回、267。あれは、僕の数字を写して、乱数だけを写せなかった。
この兵たちは、最初から、乱数を持っていない。
「150」「150」「150」
盾に当たる槍の数字が、拍を刻むように並んでいく。千歳さんのHPは、9,999で止まったまま、動かない。止まっていることを、正直に示す星の印のまま。
「千歳さん、平気ですか」
「平気だけどね、気味が悪いよ。同じ重さの石を、同じ間隔で投げつけられてるみたいだ」
*
突いた。
「362」
兵の一体が、灰色の泡になって崩れた。
「HP 800」の数字が、ぱちんと消える。かわりに、隣の兵が、半歩だけ横へずれて、空いた場所を埋めた。
隊列は、崩れなかった。
「387」「341」「404」
僕の数字は、ゆらぐ。三回突けば、一体が崩れることもあれば、崩れないこともある。
兵の数字は、ゆらがない。800は、いつも800のまま、こちらの数字が届くのを待っている。
頭上の円盤が、急降下してきた。
光の線が、一本、まっすぐ僕の泡殻を撃った。
「88」
次の円盤も。
「88」
ウタの歌が、少し乱れた。円盤の一つが、ウタの頭上で、同じ円を描きはじめていた。
「ウタ!」
カゲロウの泡が、ウタの前でふくらむ。円盤の光が、泡に当たって、弾けた。
「88」
数字は、泡の上でも、同じだった。
――前の仕事で、何度も言われたことがある。乱数なんて、ないほうが公平だと。
あのとき、反対した僕の言葉は、正しかったのだろうか。
目の前の隊列は、公平だった。誰に対しても、同じ数字を出す。百体が、同じ強さで、同じ間隔で、同じ拍で動く。どの一体も、ほかの一体より損をしない。
そして、どの一体も、生きていなかった。
*
「ルカ兄さん、これ、きりないで」
気がつくと、カゲロウの声が、湊くんのものに聞こえた。いや、違う。トゥンデさんのまま、関西の言葉を真似ていた。
「ジョーク! でも、本当にきりがないよ。百体を一体ずつ崩してたら、朝になる」
朝。
トゥンデさんの時間が終われば、カゲロウは落ちる。ノアは、もう落ちている。今夜は、3時40分を、とうに過ぎている。
数える。
残りの兵は、八十二体。HP 800。合わせて、六万五千六百。
僕の一突きは、平均して三百七十前後。全部崩すには、百七十八回。ウタの歌の一巡りは七秒。一巡りに一突きなら、二十分以上かかる。ウタの声が、それだけ続くとは思えなかった。
その前に、こちらが削れる。
正面からでは、勝てない。
では、どこから。
僕は、隊列を見た。等間隔。前後に一・五メートル。左右に一・二メートル。一歩ごとに、百体が同時に足を下ろす。
同時に。
「千歳さん」
「なんだい」
「次に、隊列が一歩進んだとき、盾を、地面に叩きつけてください。思いきり」
「なんでまた」
「あいつらは、全員が、同じ拍で足を下ろします。一体も、ずれない。だから、地面が揺れたら、全員が、同じだけ体勢を崩す」
千歳さんは、兜の奥で、一度だけ瞬きをした。
「ずれないもんは、読める、ってやつかい」
「はい」
隊列が、一歩、踏みだした。
百の足が、同時に石を打つ。その、足が下りる、直前。
千歳さんの盾が、谷の底を、叩いた。
鈍い衝撃が、岩を伝って、扇のように広がった。
八十二体の兵が、同じ角度で、同じだけ、よろめいた。
一体も、ずれずに。
隊列の左右の間隔が、一瞬だけ、すべて同じ幅で、広がった。
「今!」
ウタの歌が、いちばん高い音へ駆けあがる。
カゲロウの泡が、兵たちの空洞の顔の前で、次々にふくらんだ。
僕は、隊列の、ちょうど真ん中へ、銛を投げた。
一体。
崩れた兵の灰色の泡が、両隣の兵にぶつかる。両隣が、同じだけ傾く。その隣も。その隣も。
等間隔に並んだものは、等間隔に倒れる。
灰色の泡が、波のように、隊列の端から端まで、広がっていった。
*
谷の出口が、静かになった。
最後の円盤が、旋回をやめて、ぽとりと落ちた。灰色の泡になって、ほどけていく。
【LEVEL UP!】×4 Lv 30 → Lv 34
PRS 380 → 420
金色の泡が、灰色の泡のあいだで、四つ、弾けた。
僕は、それをしばらく見ていた。
灰色の泡は、弾けたあと、何も残さなかった。数字の残像も、光の粒も。
僕の金色は、弾けたあと、少しのあいだ、水の中に光の名残を漂わせた。乱数が、そこにまだ、ゆらいでいるように。
「ルカ」
ウタが、隣に来た。
「あの兵たち、なんだったの」
「たぶん」
僕は、灰色の泡の残りを、手で掬った。何の手ざわりもしなかった。
「数字だけで、動けるようにしたものだ。名前も、顔も、ゆらぎも、要らないように」
「誰が、作ったの」
「分からない。でも、作った人は、たぶん、こう考えた」
公平で、間違いがなく、誰も損をしない。
「それが、いちばん正しいって」
ウタは、灰色の泡が消えたあとの、何もない水を、長いあいだ見ていた。
「ルカの数字は、まちがえるよね」
「うん」
「毎回、ちがう」
「うん」
「わたし、そっちのほうが、すき」
ウタは、そう言って、自分の胸の泡貨を、そっと握った。
ずっと前に、僕が贈った一枚。もうとっくに弾けたはずの、最初の一枚。
それが、まだ、ウタの手の中で、かすかに光っていた。




