第24話 ノアの灯り
観察は、問いより先に来る。
問いを先に立てると、答えに都合のいい数字ばかりが目に入る。だから僕は、前の仕事でも、まず数えた。何が起きたか。何回起きたか。いつ起きたか。それを並べてから、初めて、なぜを考える。
この海で、僕がずっと丸にしないできたことがある。
ノアの灯りが、白いこと。
【深度 -8,600m/深淵層・沈船の門の先】
*
門の先は、細長い谷だった。
両側の岩壁が高すぎて、上がどこまで続いているのか分からない。千歳さんの輪の光が、壁の凹凸に、淡い影を落としていく。
その夜、ノアは、十一回、灯火を使った。
僕は、それを数えた。
一回目は、谷に入ってすぐ、岩の隙間から飛びだした棘の魚に、僕が泡殻を裂かれたとき。
二回目と三回目は、千歳さんの輪の縁で、僕が足を踏み外しかけたとき。
四回目から九回目までは、谷の中ほどで、群れで来た骨の鰻と戦ったとき。
十回目は、ウタの歌が、一瞬かすれたとき。
十一回目は、何もないときだった。
ノアは、誰にも灯火を向けなかった。ただ、ランタンを胸に抱いて、ほんの数秒、自分の内側に、白い光を灯した。
誰も、気づかなかった。僕以外は。
*
休憩の岩棚で、灯火の表示を、思い返した。
灯火を受けるとき、視界には、回復した数字と、効果元が出る。
【HP +486(効果元:ノア/灯火)】
効果元には、ノアの名前が入っている。当たり前のことだ。
けれど、その表示には、もう一行あった。いつもは、気にとめていなかった、小さな一行。
【光源:――】
灯守の灯火には、光源の欄がある。灯会の、ほかの灯守の灯火を受けたとき、そこには、いつも同じ文字が入っていた。
【光源:灯会の灯】
灯台の、いちばん上の灯り。そこから分けてもらった火を、灯守たちはランタンに移して、潜る。だから、灯会の灯守の炎は、みんな琥珀色をしている。
沈都の窓の灯りも、琥珀色だった。トウヤさんの燭台も。
琥珀は、この海の灯りの色なのだ。誰かが最初に灯した火を、分けあって、受けついできた色。
ノアの光源の欄だけが、空いていた。
ウタの歌と、同じだった。初めて歌が数字を動かしたとき、効果元の欄は、空欄だった。この海のシステムに、彼女の歌を参照する項目がなかったからだ。
ノアの白い炎も、この海のどこからも、分けてもらっていない。
では、どこから来ているのか。
*
僕は、メモ帳に、数字を並べた。
ノアのFRG。灯台で初めて会ったとき、88。その夜のうちに、89。
今夜、パーティの表示を見ると、こうなっていた。
【ノア Lv 72 灯守 FRG 93】
88から、93。
僕と出会ってから、五つ。
FRGは、儚さの数字だ。泡殻が割れやすいほど、大きくなる。割れるたびに、少しずつ上がる。
ノアは、一度も割れていない。少なくとも、僕の見ている前では。
割れていないのに、上がる。
次の欄に、時刻を並べた。
FRGが上がったのを、僕が見た夜。その時刻。
【3:33】。【3:36】。【3:38】。【3:35】。
どれも、3時40分の、少し手前だった。
毎晩、ノアが落ちる時刻の、ほんの数分前。
それから、白い炎が、ちらついた夜。ノアの輪郭ごと、電波の悪い映像のように二重になった夜。それも、ほとんどが、三時を過ぎたあとだった。
数字は、そこまでを示していた。
観察できることは、全部並べた。
そして、その先の、なぜ、に手を伸ばしかけて、僕は、ペンを止めた。
答えの形が、うっすらと見えた気がした。
見えた気がしたから、止めたのだ。
推論には、前提が要る。今の僕の手もとにある前提では、その答えに、まだ届かない。届かないところで出した答えは、答えではなく、願いか、恐れだ。
どちらも、ノアのものではない。
*
「ルカくん、また数えてる」
ノアが、隣に座った。
紺のケープのフードを、背中に落としている。暗い茶色の髪が、ランタンの白い光で、少しだけ明るく透けていた。
「数えるの、好きだね」
「数えないと、考えられないんだ」
「私のこと、数えてたでしょ」
嘘をつく理由は、なかった。
「十一回」
「え?」
「今夜の灯火。十一回目だけ、誰にも向けてなかった」
ノアは、少しだけ目を丸くした。それから、困ったように笑った。
「ばれてたか」
「うん」
「……ちょっとね。寒かったの」
ノアは、ランタンを両手で包んだ。白い炎が、指のあいだから、こぼれるように光った。
「自分で自分に灯すのって、なんか、ずるい気がして。だから、ふだんはしないんだけど」
「ずるくないよ」
「そうかな」
「灯守が自分を灯さなかったら、誰がノアを灯すの」
ノアは、しばらく黙っていた。
「ルカくんは、私の灯り、どこから来てると思う?」
僕は、答えなかった。
答えないことを、ノアは、知っていたようだった。
「私も、知らないの」
ノアは、ランタンの炎を見つめた。
「灯会に来たとき、ほかの人みたいに、灯台の灯りを分けてもらおうとしたの。でも、うまく移らなかった。私のランタンには、最初から、この白いのが灯ってた。誰も、理由は分からなかった」
「最初から」
「うん。潜った最初の夜から。……ねえ、ルカくん」
ノアは、僕のメモ帳を、指でそっと閉じた。
「その丸、まだ書かないでおいて」
「どうして」
「書いたら、ルカくん、答えを探しちゃうでしょ。探したら、たぶん、見つけちゃう。ルカくんは、そういう人だから」
ノアは、立ちあがった。
視界の隅の時計が、【3:38】に変わった。
「見つけるのは、もう少しあとでいい。そのときは、私から言う」
「約束?」
「約束」
ノアは、ランタンを岩棚に置いた。
【3:40】。
輪郭が、ほどけるように薄くなった。
岩棚に残ったランタンの中で、白い炎が、一度だけ、強く揺れた。
それから、ゆっくりと、細くなって、消えた。
初めてだった。ノアがランタンを置いていったのも、持ち主のいない白い炎が消えていくのを見たのも。
僕は、閉じられたメモ帳を、ひらかなかった。
約束したから。
それでも、頭の中の数字は、止まってくれなかった。
【FRG 93】。
あと、七つで、百。




