第15話 窓の数を数える
数えることは、考えることに似ている。
似ているのではなく、同じなのかもしれない。数え終わるまで、人は結論を急がずにいられるから。
【深度 -3,000m/沈都層・住宅区】
*
住宅区の入口で、銛を担いだ人が待っていた。
大きなゴーグルを額に押しあげて、僕たちを値踏みするように見る。ゴーグルのレンズには、細い目盛りが何本も刻まれていた。
【ミナモ Lv 41 銛撃士】
「灯会の人? 千歳さんの輪の中に、新顔がいるって聞いた」
僕は、自分の銛を少し持ちあげた。
「同じ銛撃士です」
「見れば分かる。構えが素人なのに、目だけ玄人」
ミナモさんは、ゴーグルを下ろした。レンズの目盛りが、琥珀の窓の光を拾って、細く光る。
「測距ゴーグル。遠くの的までの距離が、数字で出るの。私、数字がないと突けないんだ。勘で突く人、信用してない」
初めて会う人に、こんなに好感を持ったのは久しぶりだった。
「窓を、数えに来たんです」
「窓?」
「この区画の、灯っている窓の数と、家の数を」
ミナモさんは、一拍だけ黙った。それから、ゴーグルの縁を指で叩いた。
「いいね。手伝う。そういうの、好き」
カイトくんが、入口で盾を立てた。ここから先へは来ない約束だ。
「数え終わったら、教えてください。僕も、数字、聞きたいです」
*
住宅区は、碁盤の目だった。
カゲロウの泡の地図では、通りが十一本。そのうちの四本が、この区画を縦に貫いている。
家は、どれも同じ形をしていた。二階建て。玄関の横に、小さな表札。表札は、どれも白く抜けていた。看板と同じ、三文字ぶんの白。
「分担しよう」
僕は言った。
「ミナモさんは、窓を。ゴーグルで、二階まで正確に。僕は、表札を数えます。カゲロウは、地図に印をつけて。数え漏れがないように」
「ウタは?」
「ウタは、歌って」
「なんで?」
「歌の一巡りで、一軒。拍があると、数えるのが崩れない」
ウタは、ふうん、と首をかしげて、それから六つの音を歌いはじめた。上がって、少し下がって、また上がる。
その一巡りごとに、僕たちは一軒ずつ進んだ。
表札、一。窓、三。
表札、一。窓、三。
ミナモさんの声が、拍の頭で正確に落ちてくる。ゴーグルの目盛りは、一度も読み違えない。
百軒を越えたあたりで、千歳さんが、輪の縁で腰を下ろした。
「気が長いねえ」
「短いと、数え間違えるので」
「あたしの若いころの漁協にも、あんたみたいなのがいたよ。網の目を、一つずつ数える人でね。みんなに笑われてたけど、網が破れるのは、いつもその人が先に見つけた」
*
途中で、ミナモさんが、一度だけ足を止めた。
ゴーグルを外して、右目だけを、手のひらで覆う。それから、左目だけを。
「疲れました?」
「ううん。確かめてるだけ」
ミナモさんは、ゴーグルを戻した。
「私ね、現実だと、片目がほとんど見えないの。子どものころの病気で。だから、距離が分からない。コップに水を注ぐのも、階段を下りるのも、ちょっとだけ下手」
ゴーグルの目盛りが、琥珀の窓を、一つずつ拾っていく。
「ここに来て、このゴーグルを見つけたとき、泣いたよ。距離が、数字で出るんだもの。十一メートル。四メートル。数字があれば、私は、ちゃんと届く」
「だから、勘で突く人を、信用しない」
「そう。勘は、見える人のものだから」
ミナモさんは、少し笑った。
「数字は、見えない人にも、同じように届く。それって、すごく優しいことだと思わない?」
前の仕事で、数字を気持ちよく見せることばかり考えてきた。見えない人に届く数字のことを、僕は、考えたことがなかった。
ウタの歌が、次の一巡りに入った。僕たちは、また一軒、進んだ。
*
数え終わった。
家は、百七軒。
表札は、百七枚。ぜんぶ、白。
灯っている窓は、三百二十二。
ミナモさんが、ゴーグルを押しあげた。
「三百二十二。間違いない。三回数えた」
百七に、三を掛ける。三百二十一。
一つ、多い。
「どの家も、窓は三つずつ灯ってる」
僕は、泡の地図に指を置いた。
「一階の台所。二階の寝室。それから、玄関の上の、小さな部屋」
「小さい部屋?」
「ほかの二つは、住んでる人のための窓だと思う。料理をして、眠るための。でも、玄関の上の部屋だけは、通りに向けて灯ってる」
「数えながら、何軒か、中を覗きました。ベッドが一つ。枕もとに、たたんだタオル。それから、どの家も同じ位置に、使われていない鍵が一本」
ミナモさんが、黙って続きを待った。
「客間です」
口に出すと、論理がひとつずつ、正しい順番で並んだ。
この街の家は、どれも、一人ぶんの客を迎える準備をしていた。百七軒が、百七人の客を。
最終夜イベント。舞台。花火の筒。開店の直前の店。
「この街は、自分の最後の夜に、誰かを招いていたんだ。外から来る人を。泊まって、最後の花火を見て、朝に帰っていく客を」
「その客は」
「来なかった」
だから、客間の窓は、今も灯っている。
鍵も、使われないまま、枕もとに置かれている。
「……じゃあ、残りの一つは?」
ミナモさんが言った。
三百二十二から、三百二十一を引いた、一。
カゲロウの泡の地図を回す。湊くんが、端っこの一軒を指さした。
「ここや。路地の奥。表札が、ない」
行ってみた。
路地のいちばん奥に、小さな家が一軒、ほかの家から少し離れて建っていた。窓は一つだけ。灯っている。
表札の場所には、何もなかった。白く抜けているのではない。表札そのものが、最初から取りつけられていなかった。
「白いのと、ないのは、違うね」
ノアの声がして、振り向いた。
路地の入口に、ノアが立っていた。白い炎のランタンを提げて。今夜は、少し早く潜ってきたらしい。
「白いのは、書いてあったものが消えたんでしょ。ないのは、最初から書かれてない」
消された名前と、まだ書かれていない名前。
頭上の【???】が、どちらなのか。僕にはまだ、分からなかった。
ウタが、その家の窓を見上げていた。歌は、とうに止んでいる。
「ここ、知らない」
ウタは、小さく言った。
「でも、ここの窓、わたしが見てたの。いつも、台座の上から」
七つ目の台座の向きを、僕は思い出した。アーケードの入口。通りの奥。その延長線の先に、この路地がある。
毎晩、七秒ごとに「ようこそ」を言いながら、あの子は、この窓を見ていたのだ。
誰の家なのかも、知らないまま。
ミナモさんが、ゴーグルを下ろして、窓までの距離を測った。
「十一メートル。台座からだと、四百十二メートル」
数字が、ちゃんと出た。
この窓は、数えられる場所にある。それだけのことが、なぜか、救いのように思えた。




