外伝:亡者たちの飛翔_中編
3人目。
夜半に目が覚めた。何かがザワザワとしている。それは森の木ずれのようにも、あるいは足下から這い上がってくる虫の足遣いにも似ていた。
「どうかした?」
隣の女が体を起こす。猫型のサーミアンだ。名をコリンという。美しいと断言して差し支えない。
この10年で手に入れたものの一つだ。
「グリフ?」
「服を着ろ」
俺は寝間着に腕を通しながら廊下に出た。2階には部屋が4つ。同じものを感じたらしいタヌキ型サーミアンが隣の部屋から顔を出した。目をショボつかせながら。
「グリフさん。何か――」
「ポール。皆を起こしてくれ」
「あ、はい!」
他の部屋のドアを叩き始める彼を横目に、俺は緋石のカンテラで夜の階段を降りた。
かつて老女の自宅として年月を重ねたこの土地は、俺たちに譲られ、翔び立って以降、随分と様変わりした。土地は拡張され、住居にあたる2階が増設され、1階部分は薬草屋兼薬膳料理屋へと姿を変えた。行く当ての無いサーミアンを数人仲間にした。王が聞いて呆れるような市井の生活だった。
「シェン。どうした」
1階の乾燥室で弟がゴソゴソと薬草を取り出していた。脇腹に矢が突き刺さっている。
「どうした」
「兄さん。落ち着いて聞いて」
「どうしたと聞いている」
「『オープン』して。みんなが来る前に。早く」
シェンの顔色は悪かった。青から土気色に変わりつつある。だが、その眼差しの烈しさが俺を従わせた。
「『オープン』」
薄く青いステータスウィンドウが眼前に現れる。隣に来たヴァルシェンがそれを覗き込んだ。そしてウィンドウを"掴んだ"。
「な」
ウィンドウを"掴む"――不可能なハズのそれをヴァルシェンは実行した。そして掴んだウィンドウに何か書き込むような仕草をした。直後、俺はその行動の意味するところを知覚した。
まさしく――知覚という言葉がふさわしい。
「これがミセラの言ってた『世界の秘密』だ」
ヴァルシェンが尻もちをついた。そこでタヌキ型サーミアンのポールが慌てた様子で乾燥室に入ってきて、ヴァルシェンの傷の処置を始める。
「結論から言うと」
包帯をグルグルと腹巻きのように巻かれながら弟は俺たちに言った。
「僕は領主から『世界の秘密』を奪ってきた。で、逃げるときに反撃されちゃったのさ」
「『世界の秘密』って何です?」
ポールが尋ねる。ヴァルシェンは首を振った。言わないのではない。言えないのだ。
そういう強制力が働いている。ステータスには秘匿された――言わば隠しステータスとも呼ぶべきものがあること。関連する情報は他者には伝えられないこと。それは極めて婉曲的な表現を用いるか――あるいは既定の手順で他者の枷を外すことでのみ伝達できるということ。
俺は枷を外された。枷が外れた者は他の者の枷を外すことが出来る。そういうルールが頭になだれ込んだ。先ほどの一瞬で。
「どうやって奪った?」
「暴力」
端的にヴァルシェンは言う。恐らく、かなり惨いことをしたのだろう。
そしてかなりの長期間、このために動き回っていたハズだ。身体の調子を崩したミセラから『世界の秘密』という言葉自体は聞いたことがあったが、強制力の都合上、その詳細は探ろうとしてもそうそう探れるものではない。
弟は紛れもなく王子だ。俺が市井の暮らしをしている間も、役目を果たそうとしていたのだ。
「誰から奪った?」
「領主」
「馬鹿なことを」
思わず吐き捨てる。俺やポールがザワザワしたものを感じた原因が分かった。
怒った領主――あるいはその関係者がここに向かっているに違いない。手勢を伴ってだ。波にさらわれるようにこの家は蹂躙されるだろう。
「秘密に殺されては本末転倒だろう」
「殺される? どうして? 翔べばいいじゃないか」
王子の眼は変わらず烈しい。
「いずれしなくちゃならなかったことだよ。秘密を手に入れるには」
「軌道に乗った商売も馴染んだ生活も捨てることになる」
「父様の国を取り返すんだろう?」
俺は口を開きかけて、やめた。恐らく言い争っている猶予は無い。
「ポール、この土地を離れる。異論は無いな?」
「えっ、あっ、はい!」
「他の皆にも伝える。お前はシェンを頼む」
乾燥室を出た。別の土地だ。10年ぶりの飛翔だが自信はある。周囲の菜園を含めたこの家の直径30メートル強を翔ばす。領主から逃げ切るにはかなりの距離が必要だろうが、この10年で培った土地の力――俺たちの生命も含めたエネルギーがあれば問題ない。
次は南がいい。海の近く。波が聞こえる場所。
――何から逃げようとしている。
俺は自分に問いかけていた。問いかけながら乾燥室を見た。
あの日――しわがれて、死に瀕した老婆は言った。
「私の頭に刃を突き立てるのです。それは楔となり、我らの復讐を確かなものとすることでしょう」
我ら――ミセラの言葉に俺たちは含まれていたのだろうか。分からない。
ただ、弟の中には間違いなく、老婆が巣食っている。
●
もう覚えていない。
「コリンはどう?」
女の部屋から出ると、ヴァルシェンが廊下に立っていた。顔に白い覆いをつけていて表情は見えないが、声色で分かる。
「あまり良くはない」
海の近くで10年暮らした。痩せた土地だった。それでも仲間を増やし、土地を肥やした。移動先の土地も事前に調べた。
それで、意を決して翔んだ。
ここも、うまくいっているとは言い難い。
「『飛翔』の影響がまだ抜けていない。やはり法術士が必要だ」
「それは……そうなんだけどね」
ヴァルシェンは頭を掻いた。その顔覆いを取れ、と言ってみるが「長が双子だと色々ややこしいから」と断られる。これも海の近くの土地から始まったものだ。
「正直に言っていい?」
「何だ」
「『妻の治療専門の法術士を連れてきてくれたら関税安くするよセール』は良くなさそうだ」
「3国すべてに伝えてある。どこも条件は同じだ」
海近くで集落となった俺たちの土地は、既に町へと姿を変えつつあった。名をヴァルズール。ゴブリン族、ヒューマン族、そしてフェアリー族の国を三方に臨む係争地に、敢えて土地を構えた。そういう土地を交通の要衝、交易の場とすれば、金とヒトが生まれる。
「でもねぇ、今日もさぁ、来てるんだよ。フェアリー族のヒト。モチロン求愛じゃないよ。不平等条件に対する抗議」
階段を下りる。仕事場――つまり町長職務のための庁舎は隣に建てた。が、失敗だったかも知れない。看病しながらの事務仕事をするなら、住居内に執務室を造るべきだった。
「フェアリー族は法術士が少ないし、生まれた土地の空気が無いと元気が出ない。『実質、あの条件は』――」
「――『ゴブリン族とヒューマン族を優遇するものだ』。聞き飽きたな」
「じゃあ刺激代わりに追加要請も話しちゃおうか。ここに駐留するフェアリー族の兵士を増員させろだって」
「産まれた土地の空気が必要なクセにか?」
「そう。駐留担当をグルグル交換するんだってさ。あと植林も要求された。彼らの森の苗木をこう、ね」
頭が痛くなってきたところで自宅の裏手から出た。しかし、庭を突っ切って2階建ての木造庁舎裏口ドアへと進んだところで突如、悲鳴が聞こえた。大通りからだ。
急ぎ庁舎内部を突っ切って表に出る。
ゴブリン族の若者が立っていた。血まみれだ。と言っても返り血のようで、若者の正面には痩せぎすの別のゴブリンが倒れている。
「グリフ、下がって」
ヴァルシェンが前に出てからは一瞬だった。若者は抵抗の素振りを見せたが、何かされるよりも早く――まさに目にも留まらぬ早業で、ヴァルシェンは相手を取り押さえた。周囲には人垣が出来上がり、駆けつけてくる各国の警備兵へヴァルシェンが指示を飛ばす。
俺は倒れたゴブリンを抱き起こした。まだ息がある。
「痛むぞ。歯を食いしばれ」
服を裂き、持っていた特製のポーションを染み込ませた。それを使って圧迫止血する。こういう荒事は日常茶飯時だ。日常茶飯時過ぎて警吏チームが連日悲鳴を上げている。
「ひっ、ひっ……!」
現状、この街に法術士はいない。故に俺たちは、荒事にも泥臭く対応するしかなかった。
「ひが……東の……!」
育てた薬草と、そこから抽出する手製ポーション。手間は掛かるが効果はそれなりにある。だがあらゆる病に効くわけではない。それが出来るなら――。
「しゅく、宿舎にほ、ほうじゅっ……」
「……なに?」
「がいるか……ら、そ、そいつに言っ言っ」
「長。後はこちらで引き取ります」
男の言葉が途絶えるのと、隣にゴブリン族の警吏が来たのは同時だった。俺は尋ねた。
「蘇生させるか?」
「国に戻るには10数日必要です。絶望的ですね」
「『宿舎に法術士がいる』そうだが?」
ゴブリン族の警吏は目を細めた。やがて「せん妄でしょう」と言った。
「あなたが駐留を許してくれれば、我々も楽になるんですがね」
俺がひと睨みすると、警吏は肩をすくめて遺体を運んでいった。
「グリフ。気持ちは分かるけど、さっきのはナシだ」
ヴァルシェンが駆け寄ってくる。俺は朝の空を見上げた。
雲が掛かっている。
「気軽に血の近くに行っても良いことなんて無いよ。怪我のフリをした暗殺者の可能性だって」
「法術士が必要だ」
フェアリー族の法術士が少ないせいで、3国揃っての法術士派遣が遅れ続けている。医療は力だ。天秤が傾くと圧力となる。かつてミセラが生きたという中立の交易都市を作り上げ、都市ごとヴァルファヴァールに攻勢を仕掛ける――そこに至るには各国の足並みを揃わせる必要がある。そう思っていた。
誤りだったかも知れない。
「グリフ」
ヴァルシェンが肩を叩いた。声色に警戒が混ざっている。促されるように正面に目を向けた。
大通りの奥に女が立っていた。
顔はわからない。鼻から下を覆うヴェールマスクを身に着けている。フード付きのローブを羽織っている。眼尻と目鼻立ちは整っている。
その眼差しで、女は俺とヴァルシェンをじっと見つめた後――スッと右腕を上げた。何かを指差しているようだ。2階建庁舎……ではない。その奥――。
「まさか」
ヴァルシェンが何か言っていたが俺はとにかく走った。庁舎1階、窓口カウンター周りを猛然と駆け抜け、庭を突っ切り、自宅の階段を駆け上がり、部屋のドアノブに手をかける。
「コリン!」
開いた先の光景に、俺は何か叫んだように思う。




