外伝:亡者たちの飛翔_前編
※このお話は外伝です。ヴァルズール編の背景を描いています。※
※時系列的には第1話よりも、もっともっと昔のお話です。※
1人目。
「謀反だな?」
執事・フルララが夜半に騒々《そうぞう》しくドアを開いた時には、俺たちは既に支度を整えていた。
フルララはネズミ型のサーミアンだ。リボンのように大きな耳とワイヤーのように丈夫な尾が生えている、壮年の男。父にも、その父にも、この男は世話係として仕えた。
「な……なぜそれを。いえ、ですが、はい。王は現在、弟君の――」
「良い、大まかな事態は予想していた。父君の派閥では叔父上を抑えられぬこともな。
フルララ、お前は俺と弟を逃がそうとここにやってきた。そうだな?」
「さようでございます」
フルララは深く深く頭を下げた。弟のヴァルシェンが俺の服を掴んだ。
「大丈夫だシェン。お前は必ず兄ちゃんが守る」
「ヴァルグリフ様」
「フルララ、200余年を王族に仕えた貴様の忠義を信じる。我らに力を貸せ」
「御意にございます」
足早に部屋を出た。名残惜しい気持ちもあるが、感傷に浸っている暇は無い。ここ数日の叔父の様子に気を付けていたのは、こういう事態を想定していてのことだ。
生き残らねばならない。
王宮の1階、裏庭には2頭のニッケルが居た。ニッケルはウサギに似た魔物だ。シルエットはほぼウサギだが、体長はおおよそ10倍――3メートルから4メートルはある。前歯が地面に届くほどに長く、疾駆する際は強靭な後ろ足で跳び、長い尾と前歯を器用に用いて方向を制御する。
俺とヴァルシェンで1頭、フルララで1頭を駆った。裏庭から馬車道を通って街の裏道をとにかく駆ける。
この街・ヴァルファヴァール首都は森をそのまま残した公園が多い。姿を隠すには持ってこいのように思えるが、叔父ならば逆にそちらの警備を厚くしているだろう。それくらいは想定していたのか、先導するフルララは逆に狭い小道や住宅の屋根などを器用に進む。その途中だった。
「兄ちゃん、父様が」
屋根の上を駆けている最中、ヴァルシェンが広場の方向を指さした。星の見えない、厚い雲に覆われた真っ暗な街。だからこそ、中央広場に焚かれた無数の篝火が見えた。そして磔にされた父の姿も。
美しかった顔面は至る所が腫れあがり、額から口元から血が流れ落ちている。開いた片目に光はない。
「あれが愚王の末路だ」
俺はニッケルの速度を上げた。ヴァルシェンの目から父が外れるように。
俺たちサーミアン――ヒューマンに獣の耳と尾が生えたような、一般的に魔族と呼ばれる種族――には国教がある。そして国内は大まかに2つの宗派に分かれている。叔父はそれらの対立を煽り、融和政策を進めようとした我が父を民衆の敵にした。
問題は、国王であった父がその動きを止められなかったことだ。情報戦でも政治力でも父は負けていた。恐らく、俺が独自に動いて叔父の動向を探っていたことすら知るまい。自分は弟と仲が良い――そう勘違いしていたから。
「愚王って……兄ちゃん、あんまりだよ」
「事実だ。子供も民衆も守れなかった。
いいかシェン、俺たちはああなってはいけない。夜を見上げぬ者に星は見えない」
二頭のニッケルで俺たちは首都を後にした。当然、追っ手もいただろう。正統後継者となる王子2名を逃がしては将来の禍根となる。包囲網が完成する前に脱出出来たのは僥倖だった。
俺たちはひたすら北上した。フルララは途中途中の町村にも手配をしていたらしく、俺たちはニッケルを乗り換えて進む。一週間はそうやって進んだはずだ。
やがて深い森に入った。陽の光すら差し込まない暗い森だ。
「スノウネックと呼ばれる土地です」
私がご案内できる場所はここまでです、とフルララは言った。
「もう少し北に進みますと空が見える開けた場所に行き当たります。そこからは東にお進みください。そうすれば追っ手も断念することでしょう」
「なぜだ?」
「スノウネックには『首狩り』がいるのです」
聞いたことのない名だった。いわゆる個人の名なのか、種族名なのか、何かを指す二つ名なのか、一切が分からない。
「一定以上のステータスを持つ者が立ち入ると、問答無用で首を狩っていく存在。それが『首狩り』です。お二人はまだ幼い。『首狩り』の目からは逃れられましょう。
東に進んでいくと、ヒュファル族のミセラという老婆が住む山小屋にたどり着きます。しばらくはそこでお過ごしください」
「フルララはどうするの?」
ヴァルシェンが尋ねると、フルララは少し笑った。
「一度国に戻ります。政変が落ち着きましたら、お二人を迎えに参りましょう」
それでは、とフルララはニッケルに再び乗った。俺はその背に「待て」と投げた。
「フルララ。俺とシェンをここまで逃してくれたこと、感謝する」
「何を仰いますヴァルグリフ様。我が一族は常に王の一族と共にあり――」
「だから父様を売ったか?」
フルララの顔から表情が消えた。眉も口もピクリとも動かない。
「仕えるのは父様ではなく王族。故にお前からすれば父様と叔父上のどちらが国を治めようとどちらでも良い」
「ヴァルグリフ様、滅相もございません。私は幼き頃からあなたの父君を」
「叔父上の傍仕え《そばづかえ》も兼ねていたな。情はどちらにもある。ならば後は実利だ。孫娘の輿入れを支援されたそうだな。実にめでたい」
「おやめくださ」
懐から取り出した吹き矢がフルララの眉間に突き刺さるまでは一瞬だった。強烈な神経毒を塗ってある。フルララはニッケルから落ちた。
俺は迷わずにフルララへ歩み、その喉と顔面に小刀を差し込んだ。
「兄ちゃん」
「必ず父様の国を取り返そう。そして叔父上の一派を根絶やしにする」
●
2人目。
「そうですか。フルララは追っ手に」
老婆はため息をついた。暖炉の中で薪が音を立てて割れ、火の粉がふわりと浮かぶ。
「ですがあの男も本懐を遂げたことでしょう。こうして両王子が無事に辿り着けたのですから」
「フルララとはどういう関係だ?」
ヴァルシェンが隣で船を漕いでいる。微かに上下する弟の寝息に気を緩めそうになる。だが、油断は出来ない。
「古い友人です。ヴァルグリフ様のお父上がまだ幼い頃、ここよりももっと南にある交易都市に私は住んでいました」
「交易都市」
「国から国へ移動する際の中継地点です。そういった場所には自然と人が集まり、モノが集まり、売買を含めた様々なルールが積み重なっていきます」
「そこで出会ったということか。だがミセラ、お前はヒュファルでフルララはサーミアンだ。異種族との共存は困難と聞いたぞ」
フルララと別れて一日程の場所に老婆・ミセラは住んでいた。ヒュファル族――背中に菌類の傘を背負う魔族の一種だ。獣の耳と尾があるサーミアン、傘があるヒュファル族――両種族は四肢と胴、頭にさほど差はないが、それでも異なる種族だ。積極的に協力しようとは思わないはずだった。
「交易都市という性質のためでしょう。多種多様な種族が互いの利益のために最善を尽くす――個の利益が全体の利益に繋がるのです」
「では俺たちを迎えたのもお前の利益のためだと?」
「多くの場合、ヒトは打算で動きます。が、そうでない時もございます。今回がどちらにあたるかは、王子自らがご判断なさるとよろしい。ところで」
老婆・ミセラはそう言うと目を細めた。笑ったのかも知れなかった。
「フルララを始末されたのは、お二人のうちのどちらです?」
俺は懐に手を入れた。なるほど、とミセラは笑った。
「御苦労様でございました。その昔、ヴァルファヴァール近くにヒュファル族の集落があったのはご存知ですか?」
「知らないな」
「小競り合いの後に滅ぼされたのでございます。滅ぼしたのはあなたの曽祖父。フルララも兵士として参加しておりました」
「フルララとは交易都市で出会ったのではなかったか?」
「あの男は幼い私の顔など覚えておりませんでした。都市に逃げ込んだ私には親切でしたが……それは他種族への自己満足な罪滅ぼしか、傲慢な良心か、どちらかでしょう」
「俺たちをどうするつもりだ?」
「見定めさせていただければと考えております」
ミセラはシワだらけの顔に笑みを浮かべている。一筋縄ではいかない相手だ。
●
俺とヴァルシェンは、7つから10までミセラの世話になった。森の奥深く、他に誰も近寄らない深遠の土地だ。追っ手は来なかった。
だから、比較的緩やかに日々は流れていった。
ミセラは小食で、肉には一切手を付けなかった。俺たちは森深くに入っては狩りをした。獲物を捌いた。野草を採った。
夜は無数の昔話を聞いた。ほとんどは戦争の話だ。老婆が言うには、経済も政治も戦争だという。自らに利するように動くのが常道だが、目先に目を奪われると滅びる。
「だからお前の集落は滅んだのか?」
そう言うと、ヴァルシェンはひどいしかめっ面になった。ミセラに懐いていたからだ。「とてもよく世話を焼いてくれていて、本当に助かってるよ」と常々言っていた。
否定はしない。実際、ミセラは一族の仇である俺たちを放り出すことはせず、自活のための知識を惜しげもなく伝えた。
「そうでございます。私の一族は利を欲するがあまり、ヴァルファヴァールの利を害しました」
「何の利を欲した?」
「先祖代々の土地でございます。今ではこの家のみがその土地にございます」
土地を侮ることは出来ない。農作物も生命も、あらゆる豊かさは土地からもたらされる。
「この辺りはお前の家族の土地だったということか?」
「いいえ、当時は南西にございました」
「話が見えないぞ」
「私は一度、一族の土地から逃げました。その後、力を蓄え、一族の土地を伴ってこちらに移り住んだのです」
雨の降るある日、ミセラは俺たちを庭に呼んだ。そして俺たちを"翔"ばした。
それは鳥がするような気品のあるものではなかった。異様に軽い虫が風でフワリと浮き上がるような、滑稽で奇怪なもの。
老婆はそれを『飛翔』と呼んだ。
「魔術か」
「そうでございます。お二方はよくこの土地に馴染まれ、今や地の一部となりました。だからこそ可能となったのでございます」
「不思議な術だね。まるで誰かが守ってくれてるみたいな」
ヴァルシェンの感想はそこで途切れた。ミセラが倒れたからだ。
●
『飛翔』。土地の魔術。土地に根付いたものを新たな場所へ進める魔術。
行使には条件があった。術の対象となるものが、その土地に属する存在であること。
「ここでの暮らしは術の対象となるために必要だったのでございます」
「ミセラが倒れるような術じゃ使えないよ」
ヴァルシェンの言葉に、ベッドで横たわるミセラは声を出さず笑った。
術を俺たちに見せた日以降、ミセラは急激に痩せた。ベッドの上で一日を終えることも多い。
「俺たちに術を譲るつもりか」
でなければ、倒れてまで『飛翔』を見せた意味が無い。そう言うとミセラはまた笑った。
「そうでございます。私はこれより生命を用いてお二方にあの魔術をお伝えしましょう。そしてお二方はこの土地の所有者となるのです」
「俺たちはヴァルファヴァールの国賊を――」
「そんなの要らないよ。ミセラが長生きしてくれる方がずっといい」
ヴァルシェンは俺の言葉を遮った。ミセラは首を振った。
「値踏みは終わりました。お二人は術をお譲りするにふさわしい才気をお持ちです。いずれは『世界の秘密』にも手を伸ばせましょう。どういう意味かおわかりに?」
声を出さず笑うミセラの顔はシワだらけだ。陰がいたるところに落ちていて、異様に白い歯だけが爛々《らんらん》と輝いて見える。
「私は復讐をお願いしたいのですよ。私の家族を根切りしたヴァルファヴァールを、この術で滅ぼしていただきたいのです」
「……それは俺たちも含めてか?」
「そうでございます。すべてを果たした後に、お二人にも滅んでいただきたい」
ミセラ、とヴァルシェンが呟いた。俺は頭を振った。
「『飛翔』で滅ぼすといったな。それだけの力がある術だと?」
「使いようによっては世界のすべてを手中に出来ましょう」
「では遠慮なくもらおう。だが引き受けるのは術だけだ。俺たちは死ぬわけにはいかん。王家の血は絶やさせん」
声なくミセラは笑った。
一月後、ヴァルシェンは老婆を殺した。




