第39話_オープン・ザ・"ステータス"・3
例えばの話をしよう。俺が腕のいいスナイパーだったとする。生き別れの妹を探して仕事をこなしている暗殺者だったとする。
依頼が舞い込んできた。若い女だ。何時間もチャンスをうかがって、やがて女を撃ち抜く。そこで仲間から連絡が入る。
「生き別れの妹が見つかった。今のお前のターゲットがそれだ」
真っ青になって撃ち抜いた女に駆け寄る。しかし女はむくりと起き上がり、懐に入れた懐中時計を見る。それは母親だか父親だかの形見で、それが俺の弾丸を受け止めたのだ。妹を撃ち殺さずに済んだ奇跡を俺は神に感謝する――。
――というようなことは俺には絶対に起きない。何の話かというと隠しステータスの話だ。
俺はそれを『運』だと考える。
多分、極めて低いのではないだろうか。
生まれてこのかた一切合切幸運が訪れないと常々思っていたものだが、この世界に『運』という隠しステータスがあるとすればそれにも説明がつく。俺には奇跡を呼び込むステータスが白目を剥くくらい無い。イコール、それは世界中のどんなものからも影響を受けられないことを意味する。
奇跡は俺の邪魔をしてくれないのだ。
「だからだよなぁ!? お前らが俺を随分と高く買ってたのは!!」
俺とシェンは落下していた。互いの体には命綱のように黒い裂布が巻き付いていて、風が吹き荒れていて、俺たちはきりもみするように高度一万メートルから落ちていく。重力加速度が追い打ちをかけてくれるお陰で既に天も地も分からない。
「俺の攻撃で奇跡は起きない! 起こせない! だから『飛翔』の魔術の衝撃無効とかいう奇跡も貫通する! お優しい結果が万が一にも残らないようになってる!」
どうだボケ、と俺は落ちながら笑った。大声でだ。でないと声が暴風で掻き消される。
「期待通りの性能だろ! だってお前も一緒に落ちてるもんな!! 俺がぐいぐい引っ張ったお陰でさよなら奇跡!!」
「笑ってっ、笑ってる場合か! バカ!! くそっ、死ぬ! みんな死んじまう!!」
「全員殺すっつってたじゃねえか!」
「反逆者だけだ! 殺すのは! それ以外まで!」
俺は俺とヤツを繋ぐ裂布に脳内で命じた。ギリギリで死んでいないお陰で、それは見る見るうちに――例えるなら伸びきった巻き尺が勢いよく戻っていくように――縮んでいく。
縮む最中できりもみ速度もぐんと上がった。フィギュアスケートの選手が氷上でグルグル回転しているのを思い出した。もう風景は何も見えない。目玉が裏返りそうだ。しかし――突然に俺たちのきりもみ回転は止まった。
「墜落させない! させてたまるかッ!」
肩が外れそうな程の衝撃が走って、直後に俺とシェンは空を滑った。恐らくは地面と平行にだ。
俺がカケリを伸び縮みさせられるのと同様に、ヤツは衝撃を操作できる。自分にかかるすべての圧力をそのまま空を滑る推力にしたわけだ。この手段を思いついてくれて本当に助かる。俺だって野郎と大地にキスはごめんだ。
ここからが本当の勝負だ――だから俺は引き続きシェンを引き寄せながら小刀を突き出した。
肉を刺す感触があった。
「自っ……!」
腹部だ。宙で、まるでロケットエンジンを何度も噴き出すようにしながら、空を滑りながら、俺が突き出した小刀はシェンの腹に突き刺さった。だが咄嗟に手の甲でガードされた。ハラワタまで刃は通っていない。
「自殺……! 志願者だったのかよ! 君はっ!!」
どんどん加速している。シェンも限界ギリギリまで衝撃をぶっぱなして推力にしている。それでも雲を抜けた。遠く大地に一面の森が見えた気がした。
「いま分かった! ネモっ! 君はっ! 君は永遠に絶対に独りっきりだ!!」
もう一度、腕を引く。気が遠くなるのを歯を食いしばって小刀を握る。
「君は独りっきりだ!!」
突き出す。肉の感触。
「君がどれだけ希少でも! レアなステ持ちでも! こういうことをしやがるから!!」
遥か視界の先に岩塊が見えた。大地に落ちていく岩塊だ。夕陽を浴びてキレイだ。
「僕の他にもいた筈だ! 絶対にいた、君を見出した奴! でも君だ!! 君自身がその縁を切ってきたんだ!!」
「いいんだよ俺のことは」
「こんなことして何になる!? 全員巻き込んで死んで何が!?」
「全員殺さねえように頑張ってくれよ」
「言われなくてもっ!!」
岩塊が近づく。わずか数秒なのにもう手が届きそうだ。街の細部が見える気がする。見えてきた。
だから恐らくこれからシェンは『飛翔』の魔術を掛け直すだろう。自分と兄がこれまで何十年も築き上げてきた復讐の街をぶっ壊さないで済むように。衝撃をバンバン推力に変えながら。
「どうでもいいけどよ」
俺はトドメとばかりに腕を引いた。もう一度小刀を突き出――したところで弾き飛ばされた。代わりに俺の腹に異物感があった。目線を下に向けるとヤツの短刀が刺さっている。
血が出ていく。
「あんまり衝撃ばっか出してると化物どもに持ってかれるぞ、自我」
そこで――ちょっと意外だったが――シェンは目を見開いて俺を見た。知らなかったのだろうか。カケリは「契約すると意識を上書きするから」とか「力を使いすぎると」とかちょいちょい俺に話していたのだが。
まぁそれはともかく――これでシェンの脳内メモリはパンパンなハズだ。腹の痛み。衝撃を出し続けることのリスク。ヴァルズールへの『飛翔』魔術の再行使。そんな中で果たして出来るか?
特定の誰かさんだけ魔術の対象から外すなんて、そういう例外的処理を。この非常事態に?
「兄貴を殺すってのが、そもそもよくなかったかもな」
そこから先はあっという間だった。というより、実際のところ大地との衝突までは一切の猶予が無かったのだろう。
ヴァルズールならびにその土台である半径数十キロの巨大な岩塊は空から大地へとスライディングをかました。音は聞こえなかったが、この世の終わりのような粉塵が夕陽を遮った。着陸したヴァルズールによって大地が抉られ地面が舞い上がったのだ。俺もシェンも闇に飲み込まれた。
それから足元に地面を感じた。やはり衝撃は無かった。もうもうと巻き上がる土煙の中、俺は歯を食いしばってすぐに跳んだ。跳んで、遮られた夕陽の向こう、繋がったカケリの指し示す方角へと懐のブツを蹴り飛ばした。
ぐ、という唸り声が微かに聞こえた。声が聞こえるということは空気の振動が耳に届いたということであり、それは魔術の終了を意味する。
「……こんなもの、どこから」
土煙の向こうのシルエットは胸に手を当てている。胸に突き刺さっているものは木の枝のようにも見えるしゴボウのようにも見える。しかしてその実態は……サンドワームの牙である。
ボゥ・パゥにゴボウのように細くされた牙。それをイゾルデの胸元から転び出てきた小さな彫像に突き刺して即席の釘にしたものだ。
「ドワーフの怒りを思い知っとけ」
「……『ハブス・イトラク』」
シェンの呪文が聞こえた。俺は地面に倒れた。視界がブラックアウトしていく。歯を食いしばって耐えようとする。腹を刺されたのはマズかった。動けない。いま化物族の姉妹に襲われたら勝ち目がない。何より死ぬのはマズい。恐らく俺は――。
「――ーっ! いま……た!」
足音が聞こえる。遠ざかっていくようにも近づいてきているようにも聞こえた。そこで視界はブラックアウトした。
「……ちょっとっ! 大丈夫ですかっ、面倒だから死なないでくだ――!」
「デケぇ声」
喉の奥から血がせり上がってくる中、俺は思わず呟いた。呟きながら笑ってしまった。
これは奇跡に入らないらしい。
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