第35話_ヘディングイントゥ混沌
「奴らはどうしているだろうな」
王はふと、そんなことを言った。
『飛翔』が始まって既に5時間以上経過していた。王は部屋の中央、玉座の上であぐらをかいている。部屋の中央は2メートルほどのこんもりとした丘が出来上がっており、天井に開いた穴からは丘全体を照らすように夕陽が射していた。
雨の日、玉座の周囲には大型の傘を差す召使いが数人控えるらしい。今はその必要がなく、部屋の中に居るのは二人だけだ。
「10年前だったか。お前が偵察から帰ってきたのは」
「うん、それくらい。僕にとっては12年ぶりのヴァルファヴァールだね」
玉座のある丘のふもとでシェンが言った。
「君にとっては120年ぶりか」
「そうなる。だから王都の街並みも既に覚えていない」
2人の兄弟が会話をしている。
街の移動――ヴァルズールという交易都市を『飛翔』させるにあたり、シェンは一度、生まれ故郷・ヴァルファヴァールに旅をしたらしい。治安は決して良いとは言えない状態で、往復には計5年かかったそうだ。
「だが父様をよってたかって殴り殺した獣どもの顔だけは忘れたことはない。奴らだけは手足の腱を切った上で蟲溜めに放り込んでやる」
「まだ生きてるといいけど。あとちゃんと捕えられるかどうか」
「出来る。必ずだ」
断言する王の声には自信が滲み出ている。恐らく過剰ではない。
ヴァルズールが『飛翔』を始めてからというもの――いや正確には始まる前から――王は入れ替わり立ち代わり街の区画担当者と思しき人物たちと打ち合わせをし続けていた。人員配置だの奇襲作戦の最終調整だの特殊作戦要員だの物騒な話ばかりをだ。『飛翔』の魔術使用は軍事作戦の一環であることがありありと見て取れた。
実際問題、悪魔みたいな電撃戦の仕掛け方だとは思う。海賊が船を横付けして乗り込んでくるみたいなことを街単位でやろうとしているのだから。
「だからな、シェン」
王が玉座の上で前のめりになった。弟の顔をよく見ようと身を乗り出した――そんな感じだ。
「いい加減、次の希望を言え。あそこが終わったら、次はどの国が欲しい?」
――俺は窓の縁を蹴り飛ばした。
加速する。体に巻きつけた黒い裂布は、開けたままの天窓の端にも結びつけておいた。ゴムバンドでパチンコを撃ち出すイメージでカケリを扱い、玉座の直上から急降下する。
玉ねぎの頭みたいになっている王宮の、玉座に光を降り注ぐべく開いた採光窓からの急襲だった。実際、俺は秒もかからずに王の首元にナイフを走らせた。のだが。
「何だお前」
空中からのナイフの一閃を王は避けた。首を横に倒して俺の姿を美しい眼に映し、そう言ったのだ。俺は無視した。
無視して、事前に天窓から放っておいたもう一振りのナイフを宙で蹴り飛ばした。それで終わりだった。
遅れて天窓から降ってきたナイフは軌道を変え、王の首に深く突き刺さった。俺は両腕で大地を突き、バンジージャンプの要領で天窓近くまで退避する。
「グリフ」
玉座のある丘の下でシェンが言った。
「僕は君の弟で幸せだった」
王・ヴァルグリフは玉座の上で崩れた。声は出せない。そういう風に喉を貫いた。だから王は無言のままだ。
無言のまま動かなくなった。
「……ネモ。降りてきてくれ」
言われた通り玉座の近くへ飛び降りる。流石に虚勢や軽口を叩く気にはなれない。
「賛辞の前にすべきことがある」
見ててくれ、とシェンは言った。そして顔覆いを外し、兄の首に突き刺さったままのナイフを抜いて、血飛沫の中で王の顔面にナイフを当てた。
ガン、という重い音が響いた。整っていた、誰が見ても美しかったヴァルグリフの顔面にナイフを叩き込んだのだ。それは文字通り、首をハンマーで打ちつけるようなもので――その首から上は直視しがたい肉の塊と化した。
「確実に脳まで届いた。これで後戻り出来ないな」
法術士による蘇生は手足の欠損くらいなら時間を掛ければ大体何とかなる。が、例外もある。頭――特に脳がブッ壊れた時だ。一説によると法術によって手足が元の体から一本も二本も増えたりしないのは、脳が『治すべき体のカタチ』を覚えているからだという。
本当かどうかなどモチロン知らない。何せ俺は魔法が使えないのだ。
「君は期待通りの仕事をしてくれた。ありがとう」
血塗れのシェンが俺を見た。
「君に出会えて良かったよ。幸運に感謝する」
「どうだか」
玉座から少し離れて、軽く伸びをする。何せカルディンと分かれて数時間、ずっと天窓に張り付いていたのだ。ヴァルグリフの隙を窺うために。
「優しい兄だった。僕にとってはね」
ポツリと呟くシェンの顔を、俺は見ない。見ても仕方がない。しかし悠長にしている時間もあまりない。
「急げるか?」
「もちろん。それに、ここからは2人でやる必要もない」
シェンはそう言うと呪文を口にした。『ハブス』――ヤツの指輪が光に変わり、物静かな女・ナギリが現れる。「少し離れていて」とシェンに促されるまま、ナギリは玉座から距離を取った。
「もう伝えた通り、僕とグリフは双子だ。だから化物族との契約も重複が可能だった」
シェンは次に、小声で、呟くように言った。
「『イトラク』」
動かない王の体躯が光に包まれた。首に巻いていた鋼色のネックレスがヒトの形を取っていく。
「シェンくん」
やがてまた、光はサーミアンの女性に変わった。ナギリが狐の耳と尾を持っているのに対し、今度の女は狸っぽい耳と尾を持っている。顔立ちはナギリと瓜二つだ。
「おひさしぶり! 元気してたァ? どうし……あっ」
化物族のタギリという名だと事前に聞いた。ナギリの姉だそうだ。俺がカケリと契約したように、ヴァルグリフ・ヴァルシェン兄弟はタギリ・ナギリ姉妹と契約をしたと聞いた。
「グリフさん」
ハツラツとした砕けた口調だったタギリは、足元の動かない王の姿に何かを悟ったようだった。妹のナギリが姉に足音もなく近づいていく。
俺は玉座から更に離れた。
「そこの彼の力を借りて、グリフには……眠ってもらった」
シェンが説明を始める。もちろん手短にだ。つまり、この街が『飛翔』で移動していること。北の大地に到着すること。それを最後にこの街は移動しないこと。
「君たちはこれまで、俺たち兄弟に様々な場面で協力してくれたよね。でも今日からは自由だ。
姉妹揃ってヴァルズールで暮らしてくれてもいいし、故郷に戻ってくれてもいい。もちろん、旅立つなら護衛も路銀も渡すよ」
……これもまた、シェンが俺を雇った目的の一つだそうだ。大昔に契約を結び、いつしか『故郷に戻る』という化物族の願いを叶える機会そのものから遠ざかってしまっていた姉妹を解放すること。俺がカケリの力を借りて色々と乗り切ったように、ヴァルグリフ・ヴァルシェン兄弟も姉妹の力を何度も借りていた。その期間、およそ80年以上。
ヴァルグリフにとって姉妹の力は自らの身を守る重要な暴力装置であり、手放すつもりは一切無かった――だから彼女らを解放するにもこの計画は必須だった。もっともっと、様々色々考えての結論だったのだろうが、とにかくそういうことらしい。
納得がいくような、そうでないような話だ。
「とにかく、積もる話は後だ。まずはグリフを運――」
「突入ッ!!」
突然、バンと部屋の入り口が開いた。いや、吹き飛ばされた。両扉の片方が宙を舞っていく。
「年貢の納め時だッ! 労働者を抑圧して私腹を肥やす悪行三昧、職人ギルド連合を代表してその首たたっ斬――」
「イゾルデ。何やってんだお前」
玉座の間になだれ込んできた屈強な男どもの先頭に、俺は呆れていた。そこにはドワーフのイゾルデがクソデカ斧を構えていたのだ。
「やっぱり居たかネモ! けど退いてろ! 革命だ! 職人たちが革命を起こしてんだ!」
見ると部屋にはゾロゾロとドワーフだのサーミアンだのゴブリンだのが手に手に武器を構えて入ってくる。雄々しい雄叫びと共に、総勢100人……いやもっとか? とにかく、それらはあっという間に玉座の周りを取り囲んだ。
「王宮の警備はどうなってんだ」
「数時間後の戦争に備えて大部分が街の主要施設に詰めてる。制圧は簡単だったぜ」
イゾルデの後ろから大柄な牛耳サーミアンが口を出す。どこかで見た顔だと思ったらイゾルデに炉を貸した鍛冶屋のオヤジだ。
「ユキマを追うのは止めか?」
「同じ炉の仲間だ! ちょっとくらい手ェ貸すくらいする!!」
先頭に立って王の間に突撃してきたヤツのセリフではない。そういうのは責任者にやらせるべきだ。
「成る程」
低い声が玉座の近くから聞こえた。周囲の職人連合的革命軍から「あそこで死んでるの王じゃね?」とか「何で王が役人の服着てんの?」とかヒソヒソ聞こえていたのがピタリと止まる。
「余に歯向かうか。良い良い! こうしたことは何度となくあった。その度にどうしてきたか、古巣の者は当然に承知しているな?」
玉座には王が居た。うつ伏せの遺体を放ったまま、泰然とあぐらを掻いている。振る舞いのそれに、シェンの面影は無い。デカい声で旅人を値定めしていた王・ヴァルグリフが生き返った――事情を知っている俺ですら一瞬誤解しかけた。
それは同じ顔、同じステータスを持つ王の双子の弟・ヴァルシェンが、兄に取って代わった瞬間だった。
「余を弑してみよ! ただし成し得ぬ場合は皆殺しだ。反する者は一欠片もいらん」
どうしようもなく面倒な事態の始まりだった。




