第32話_オーバーザ雨
今さらだが、ヴァルズールの中央にそびえる『王宮』は、空から見ると翼を広げた鳥のような形になっているらしい。鳥の足辺りが入り口。鳥の頭辺りが王がふんぞり返っていた場所。体の中心近くには行政施設が、翼側に進むにつれ兵士や『王の目』たちの詰所が設置されている。
その女はちょうど、右翼の真ん中辺りに居た。
二階の、外に向かって開けた通路の真ん中だ。壁はなく、代わりに等間隔に柱が並んでいて、屋根が設えられている。おまけにちょっとした馬車くらいなら勢いよく通行できそうなくらい幅が広い。我が故郷・アークベルならばホームレス共が大挙して押し寄せていることだろう。風が吹き抜ける休憩所といった感じで、上等そうな丸テーブルや長椅子まで規則的に配置されている。そこで女は天を見ていた。
見ていた、というのは少し違うかも知れない。絵描きがよくやっているように、両手の人差し指と親指によるフィンガーフレーム越しに空を見上げている。ロップイヤーというのだろうか、ペタンと頬に垂れ下がるような兎耳を持っている。サーミアンのようだ。
「ボゥ・パゥ」
名前と思しき言葉をシェンが言って、女はゆっくりと振り向いた。まつ毛が長く、目は伏せ気味。眠いというより陰鬱そうな印象を与えるのは、女が身につけている黒いワンピースドレスとヴェールによるものだろう。
まるで喪服だ。美しい未亡人、という言葉が頭をよぎる。
「あなたがどうやって、何のために侵入したかは見当がついてる」
正確には『どこから入ろうとするかは分かっていたが予想外の混乱でマジに侵入されてしまった』なのだが、シェンはそのあたりをおくびに出さない。
「悪いけど拘束させてもらうよ」
「そのお声。シェンといったかしら」
女は落ち着いた声色で返した。それから「オープン」と呟き、ステータスウィンドウを自身の前に表示する。
「あのヒトはどこ? いつもの寝所?」
「酸の雨を解除して欲しい。あなたを傷つけたくはない」
ちなみに王宮へはミレナに法術をゴリゴリ使っていただいた。法術とは大地の力をふんにゃらかんにゃらなもので、治療や加護の他に地形を操作する術もある。それにより、王宮入り口まで土のアーチを作ってもらったのだ。
これにより雨に打たれず王宮に突入できた訳だが、代償としてミレナはダウンした。法術は術者にそれなりに負荷をかけるものだが、俺の分まで飲み食いしたのでそれくらいは耐えて貰うべきだろう。
「君、さっきから蚊帳の外みたいな顔してない? 説得手伝ってよ」
「俺が口出して何になるんだよ。知り合いならいざ知らず」
「相変わらず」
女――ボゥ・パゥは薄く笑った。嘲笑にも見えたし、憐憫にも見えた。
「他の『王の目』とつるまないのね。あのヒト直属の独立諜報員、と聞いたことがあるけど。
シェン、あなたは実のところ何者なの? あのヒトの家族とか?」
「もしそうなら止まってくれるかな」
「あのヒトの家族なら、わたくしの家族も同然。あなたもこの土地に留まるべき。もし拒絶するなら仕方ありません」
そこでボゥ・パゥは両の手を頭の上へと上げた。先ほど天に向けていた両手の親指と人差し指でのフィンガーフレーム。それを頭上へ向けている。
外の雨音が止んだ。
物凄くイヤな予感がした。
「飲み干します。あなたも」
ボゥ・パゥが告げた途端、女の頭上数メートルに雲が現れた。マジで何のタメも演出もなく突然にだ。灰色の小さな――ボゥ・パゥに影を作る程度の雨雲だ。
「……ボゥ・パゥはヴァルズールが飛んでくる前からこの土地に住んでた、サーミアン一族の有力者なんだ」
隣のシェンもまた突然に説明を始める。突然の雨雲と張り合っているつもりか。
「分かるだろ? 彼女は王に余所の土地へ行ってほしくないのさ。なんてイジらしい!」
「ならあなたからもあのヒトを説得してくれる?」
「分かったから一旦その魔術は勘弁してくれない? 屋根の下で降る酸の雨なんてシャレにならない」
「そんな贅沢はよして。ここは砂漠の街なの」
俺とシェンは同時に強く跳んだ。前にだ。ボゥ・パゥが術を発動するよりも前に首を斬る――それが出来れば良かったのだがそうは問屋が卸さなかった。
「恵みを」
女が笑った。ボゥ・パゥの頭上の雲から雨が降り注ぎ始めた。強い雨音が吹き抜けの廊下に響く。
彼女は濡れた。しかし溶けることはなかった。代わりに、彼女の足元から白煙が立ち込める。
「チクショー」
シェンは跳躍の途中で俺にナイフを寄越した。宙でそれを受け取り、すぐさまボゥ・パゥに向けて投擲する。シェンはと言うと通路に置かれていた丸テーブルを思い切りボゥ・パゥに向けて蹴り飛ばした。
強い刺激臭が通廊に立ち込める。俺は見た。投げたナイフが、そして吹っ飛ばされた丸テーブルがボゥ・パゥの小柄な体躯に迫り、激しくなった雨に打たれて瞬く間に消滅したところを。
体を押し止め、逆にボゥ・パゥから距離を取る。雨は女の半径1メートルほどに絶え間なく降り注ぐ。ワンピースドレスもヴェールもロップイヤーもずぶ濡れになりながら、ボゥ・パゥは歩みを止めない。
「邪魔をしたければどうぞ」
「遠慮なく!」
突如、通路の外側から人影が躍り出た。そいつは気炎を発しながらボゥ・パゥの側面に現れ、手にしたロングソードで横薙ぎを放つ。が、すぐに舌打ちをした。
見知った人物だった。
「くそっ、ダメか!」
人影――カルディンはすぐさま雨雲の女から退いた。2度ほどのバックステップで俺とシェンの隣へ並ぶ。そう言えばコイツ、王のボディガードに就職したんだった。
「間合いが足りない!」
愚痴るカルディンの右手の剣は、哀しきかなゴボウのように細くなっていた。雨に溶かされる前に刃を届けようという魂胆だったようだ。
俺は成る程と思った。
「どうしてここまで来るまで放っておいたんだ!」
「こんな魔術を習得してるなんて知らなかったんだい!」
「調べとけよそこは」
ボゥ・パゥの進路を防ぐように全員で通路に立ち並ぶが、正直言って分が悪い。何せ相手は雨に濡れながら王のもとに行くだけでSATSUGAI成功だ。今更ながら帰りたくなってきた。もう帰る家はないが。
「今夜で最後かもな、お前らの就職先」
「よしてくれ縁起でもない!」
「そうだ! 一晩で無職に戻ってたまるか!」
「トリオコメディアンとして生きていきなさいな」
雨雲女は微笑みながら歩み続けている。俺たちもじりじりと後退せざるを得ない。……いや。
どうにも出来ない、というワケではない。恐らく。
「女とっかえひっかえの王を諦めるってのは?」
思いついたことがあって、けれど実行には移したくなくて、俺は説得を試みた。が、シェンが「ナシだ! ナシ!」とすごい勢いで言うので諦めた。
なんだかんだで請け負ってしまった仕事だ。仕方ない。
「シェン。お前、一瞬でもいいからアイツを立ち止まらせろ」
「……秘策あり?」
「後で莫大な経費請求してやるから覚悟してろボケ。あとカルディン」
「走ろうかしら」
ポツリとボゥ・パゥが呟いた。明らかに俺たちに聞こえるようにだ。
「わたくしキライなの。男のひそひそ話って」
雨雲女の顔は雲影と陰で真っ黒だった。口元が引きつっているのは見えたが、それ以上の観察をする余裕はもうない。状況が動いたのだ。
宣言通り、ボゥ・パゥは駆け出した。
俺とカルディンは同時に斜め前方へ跳んだ。ボゥ・パゥの側面へ回り込みつつ、更に俺は柱にカケリを巻き付けて通路の外の宙へと飛び出す。
「ボゥ・パゥ。謝るよ」
シェンは立ったまま何やら呼び掛けている。雨雲女の足は止まらない。俺は宙でサンドワームの牙を取り出しながら密かに祈った。シェンがうまく足止めできるかどうかに成否が懸かっていると言っても過言ではない。
結論から言うと。
「許してくれ。君を手放した俺を」
シェンは成功した。『王の目』の顔覆いを外し、自身の顔を露わにすることで。
雨雲女の顔面に驚愕が満ちる。
「カルディン!!」
同じく驚愕で停止しかけた騎士崩れ野郎を怒鳴りつけながら、俺はサンドワームの牙を蹴り飛ばす。一拍遅れてカルディンは掌底でロングソードの柄頭を殴りつけ、結果、二筋の刃がボゥ・パゥの首を目掛けて飛んだ。
決着は一瞬だった。
「ムダ」
恐らく嘲笑したかったのだろうボゥ・パゥの喉をサンドワームの牙が切り裂いた。冗談のような血飛沫が雨に混ざり、少し遅れて、女は酸の水たまりに膝をついた。
何が起きたのか分かっていないらしい。喉に手を当てて口をパクパクさせている。
「ロングソードを傘にして酸の雨を防いだんだって。ビックリさせたのは気を逸らすため。ちょっとキモいよね」
シェンが膝をついてボゥ・パゥと目線を合わせた。解説は……どうやら相手への気遣いらしい。
「当然だけど、僕は王じゃない。だましてごめんね」
雨雲が霧散した。ボゥ・パゥが白目をむいて地面に倒れ込む。それを横目に、俺は柱に引っ掛けた黒い裂布を頼りに通路に帰還した。で、通路の反対側に転がっているゴボウと化したサンドワームの小刀にちょっと泣きそうになった。傘となったロングソードサンは既に跡形も無いので、それに比べれば原型が残っているだけマシとも……いやそんなことより。
「シェン」
いい加減、コイツの事情を明らかにしてもらう必要があると思った。露わになったシェンの顔にボゥ・パゥが驚いたのも当然だ。何故なら。
「僕の本名はヴァルシェン」
シェンの顔は――俺を一瞥して王宮から追い出した王のそれと、瓜二つだったのだから。
「国王ヴァルグリフの双子の弟。この国・ヴァルズールの第二王子。……だったりする」
そう言うと、ヤツ――ヴァルシェンは2を表したいのか俺たちにピースしてみせた。
何だこの野郎、と俺は思った。
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