第2話_バーニング我が家
「一緒に魔王を殺しに行こうよ!」
俺は少女の頭を素早く叩いた。スパァンという小気味良い音が路地に響く。
「いっ! えっ痛ぁ!」
「ワケの分からんこと言ってないで家に帰れ」
少女は頭頂部に手をやって目を白黒させているが、知ったこっちゃない。日本では体罰厳禁だが、こっちの世界にそんな人権意識は無いのだ。かくいう俺もよく鉄拳制裁を喰らった……孤児院の皆様から。
「いま叩いた!? 叩いたよね!? 何で!? わたし可愛いハズなのに!!」
「じゃあな」
「まっ待って待って待ってってば! ほら可愛い女の子だよ? よく見てほら、ねぇ!!」
ガキが早口でまくし立てているが知ったこっちゃない。俺は踵を返して路地を出た。早く家に帰ろう。奮発して買ったデカ目のベッドとも今日でオサラバなのだから。そうだ、この地を去る前に家も売って路銀を作らねば。
「おかしいなぁ、わたし平均よりかなり可憐だよ。ねぇ! もしかしてあなた変わり者?」
少女の声が後ろからついてくる。ぴちゃぴちゃと水たまりを踏む足音もだ。正確には水たまりではなく血の海だが。
「あ! もしかして同性が好きな人? なら――」
俺はくるりと振り返った。そして少女の手を掴み、歩き出す。
「わっ、その気になってくれた? 嬉しい! あのね、どこから話そうかな――」
何やら得意げにゴチャゴチャ言っているようだが俺は無視した。大体分かったのだ。こいつは全く分かっていない。
さっきの屈強さん達が毒を喰らったり頸動脈を斬られたりしたのはコイツのせいだ。その悪性を理解していない。
「おい店長!」
「あらネモ、引き返してきたの」
元来た道を戻り、先ほど通り過ぎた飯屋に向かうと、女亭主はまだ店の軒下にいた。休憩か? 実に助かる。
「聞いたよ、あんたがクソ領主じゃなくてヨナさんとこの娘さん助けたって! 店の中じゃその話で持ち切りだよ、ホラ入って入って今日は奢っ――」
「悪いが孤児院までこのガキ届けてくれ。多分こいつ、別の街からの流れ者――いま何て言った」
途中で声がしぼんだ。
「奢りって言ったか?」
「なに、まさかまた流れ者拾ってきたの? あんたウチを託児所と勘違いしてない?」
「すっごい安酒の匂いがする!」
「飯の代わりに明日から雇ってくれねえ? 実は俺、安定した仕事に憧れてんだ」
「ヤだよあんた体力ゴミじゃん。ってか雇う方が高くつくでしょバカ?」
「ノー託児所! わたしレディだもん!」
横から入るチャチャと不機嫌になった女亭主に、俺は何だか面倒になった。「じゃあ雇う代わりにコイツよろしくな託児所のお姉ちゃん」と神経を逆なでする一言を置き土産にガキを押し付け、再び家路につく。後ろで何か喚かれているが無視だ。とにかく無視。
理不尽な解雇と殺人を伴う無駄働き。今日は中々に最悪な一日と言える。
だからといって前世――日本国での日々の方が恵まれていたかと言われると、微妙に判断に困る。絶妙に困る。もちろん物資の豊かさ、日々の安定感、治安などは数段も数十段も日本が上だし何なら恋しいが、働く環境としてはどうか。
もう前世での幼少期は思い出せない。代わりに鮮烈に覚えているのは働き始めてから。いわゆるブラックなカンパニーで体と心がぶっ壊れるまで連日連夜働いた。結果として心を病んだ。そして病み始めた頃に出会った女に色々と頼み込まれて金をつぎ込んだ。
全財産が無くなった頃に女は消え、騙されたと気付きヤケになった挙句、財布に残っていた500円玉を使ってワンカップを飲み干した辺りでトラックに轢かれた。そして今日に至る。
……命の危険があるという意味ではさほど変わらないような気もする。ああ、安全で安定した仕事に就いて安寧に生きたい。キケンな仕事とは永遠にオサラバしたい――。
「ネモっていまいくつ? おじさん? わかもの?」
「ガキから見たら年上なんて誰でもオッサンに見え――うわっ!」
思わず道の端に飛び退いた。すぐ後ろにさっきの少女がいたからだ。少女は「素早いね!」などと大げさに言って手をパチパチ叩いている。拍手のつもりらしい。
「おま……いつの間に――」
「カケリ!」
「はぁ?」
「わたしの名前。カケリっていうの! よろしくね、ネモ」
何がよろしくなのか分からないが少女はそう言って俺に右手を突き出した。握手しようとしているらしい。
俺は頭を抱えたくなった。
「くそっ! あの店、託児所の資格取り上げてやる!」
「ね! よろしく! ね! でね、いつ出発する??」
カケリと名乗った少女はそこで、底意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「それとも、またわたしを置いていっちゃう? そうならわたし、この街のみんなに言って回っちゃおうかな。『ネモにひどいことされた』って」
そうしたら、とカケリは言う。そうしたら。なるほど。
去勢だ。
「それがどうした」
俺は鼻で笑ってやった。バカが。誰でも自分の思い通りになると思ったら大間違いだ。
「おあいにく、通報されても警吏が来る前に逃げりゃいい。ちょうどこの街から出る気マンマンだったしな」
再び歩き始める。今の道を真っすぐ行って路地で曲がれば我が家だ。実際問題としてマジで通報されたら出立の準備が出来ず泣くしかないのだが、そこまでの強硬策は仕掛けてこないと見た。
この少女・カケリは俺に何かろくでもないことをさせようとしているようだ。その前に俺が捕まってしまっては本末転倒である。
「何で街から出る気だったの?」
「クビになったからだよチクショー」
「どうしてクビ?」
「オトナには色々あんだよ!」
「これからどこに行くの? いつ出発する?」
「家に帰る! 出発はしねえ!」
ズンズンと大股で進む俺に、カケリはちょこちょこと小走りのような形でついてくる。疲れる様子は全くない。疲れろ。
「あ! あのね、わたしは今から出発でも大丈夫だよ! それと一緒に来てくれたら何でもしてあげる!」
「いらん! サッサと家か孤児院に帰れ」
「なら送って! わたし、魔王を殺さないと家に帰れないんだ」
「どういう理屈――」
「ホントだよ」
バチバチと、道端の篝火が音を立てた。
隣を見る。
「帰り道に魔王がいるから」
……この世界に生まれ変わって、生きるために色んな人間と関わった。善人、悪人、真っ当な仕事の人間、裏家業の人間。日本にいた頃よりも圧倒的に多くの人間と話したし、時には騙し合って殺し合った。
だから何となく分かる。
「その、魔王ってのは誰だ? どこの王のことを言ってる?」
カケリの顔には覚悟のような何かがある。帰れない、と言葉はマジに聞こえた。
「深遠の王」
俺は首を傾げた。
魔王、というからには魔族なのだろう。王、というからには国を持っている筈だ。しかし国など無数にあるし、魔族領ともなるとなおさら情報は少ない。記憶をほじくり返してみたが『深遠』などという国は聞いたことが無い。
……いや待てよ。深遠。深くて遠い……。
「ひょっとして《勇者アスラヴェル》のことか?」
「! そう、それ!」
カケリはぴょんぴょんと鼻息荒く飛び跳ねたが、俺は逆に呆れた。勇者アスラヴェル。
おとぎ話の登場人物だ。
「そりゃあ……大変だな」
ガキのガキによる強火のガキ妄想であることを悟った時、ひときわ強く篝火の炎が盛る音がした。続いて、何やら土砂が崩れるような音。妙にデカい音だ。それに何だか熱が近い気がする……。
「ずっと北の方だよ! 北の方だから!」
カケリが身振り手振りを交えて解説しているのを尻目に、俺は路地を進んだ。曲がる。我が家は。
燃えていた。




