第87章:魔力バンクの覚醒と、武で示す主の証明
大剣を取り落とし、どうと膝をついた10の背中から、神々の放っていた無機質な殺気が完全に抜け落ちていく。
激しい呼気と共に、濁っていたバイザーの奥の光が消え、やがてゆっくりと持ち上がった兜の奥に、かつての生々しい魔族としての体温を宿した赤い双眸が戻っていた。
「……待っておりました、主。不覚にも神々の精神干渉に囚われ、主たる貴殿に刃を向ける凶行を……お許しください」
「いい、気にするな。神どもの術式杭を叩き割った。もう大丈夫だ」
俺が肩に手を置くと、10は重厚な甲冑を軋ませて深く頭を垂れ、立ち上がった。
「……主よ。貴殿がかつてこの地に遺された『導き』が、奥の保管庫で待っております。お入りください」
10に促され、俺とアリスは半球状のコンテナの奥へと足を踏み入れた。
薄暗い通路の突き当たり、石造りの祭壇の奥、隠し扉の隙間に収められていたのは、金色の紋様が複雑に刻まれた1枚の薄い金属カードだった。一見すればただの黒い板状の素材だが、その表面には微細な幾何学模様がぎっしりと刻印されている。
「これが……かつての俺が遺した『魔力バンク(魔力貯蔵媒体)』か」
指先が触れた瞬間、指の骨を突き抜けるような凄まじい衝撃と熱線の奔流が、全身の脈管を一気に駆け巡った。
能力を大幅に制限された俺の肉体は、神々の与えた強烈な抑制のせいで、素の魔力出力が著しく削ぎ落とされている。だが、このカードが同調(同期)を果たした瞬間、体内の死んでいた魔導回路が猛烈な勢いで再起動を開始した。
カード内に蓄積されていた圧縮魔力がポンプのように汲み上げられ、身体の奥底に滞っていた魔力の奔流を力ずくで押し流していく。
「……くっ!」
「サトオ!?」
膝をつきかけた俺を、アリスが慌てて支えようとする。だが俺は制するように手を挙げ、深く息を吐き出した。
全身の細胞が歓喜に震えている。全盛期の全能感には程遠いものの、これでようやく魔法やスキルを戦闘レベルで連続運用するための「燃料」が確保できた。泥臭い手加減ではなく、かつての構造解体や術式介入の技を繰り出せるだけの最低限の基盤が整ったのだ。
「大丈夫だ、アリス。……むしろ、ようやくまともに戦える準備ができた」
カードをポケットに収め、俺は直立する重装の巨躯――ユニット10へと向き直った。
「10、手記によれば家臣は全部で10名いる。手始めに、ここから一番近い拠点を守っている家臣は誰だ? 誰を連れ戻せばいい?」
俺の問いに対し、10は甲冑の隙間から瞳の光をわずかに明滅させ、静かに口を開いた。
「……北東の岩山、旧要塞跡地に潜伏しているのは『ユニット03』です。しかし、主よ……覚悟を持ってお進みください。03は、我らのような単純な忠誠心だけでは動きません」
「覚悟? どういう意味だ」
「03は、わたしが作られたのち、主が3番目に生み出した『軍神の武技』を司る個体。かつて盆地で森林の伐採と開墾を一手に担っていた、元・魔王軍斬り込み隊の猛者です。10名の家臣の中で最も好戦的であり、同時に最も高潔な矜持を持っています」
10の低い声に、かすかな緊張の波線が混じる。
「03の行動規範には、他とは異なる絶対の掟が刻まれています。03は、相手が記憶や設計図を提示しようとも、言葉や過去の記録による証明を一切認めません。貴殿が『かつての主』であることを疑い、今のその弱々しい肉体で真に英雄の器であるかを、純粋な『武』――すなわち実力で証明することを求めてきます」
「……ちょっと待って」
隣で聞いていたアリスが顔を強張らせ、身を乗り出した。
「実力で示すって……今のサトオは神様の干渉で力を奪われてるのよ!? そんな状態で、全盛期のあなたたちが作った最強の部下と戦うなんて無茶だわ! さっきの10だって、アリスのサポートと不意打ちがなければ紙一重だったのよ!?」
「アリス殿の懸念は正当です」
10は折れた大剣を床に突き立て、重々しく頷いた。
「言葉も、記憶も、あのカードの魔力すらも意味を成しません。03の領域に足を踏み入れれば、言葉を交わす前に刃が飛んできます。いまの主の肉体では、一撃掠めただけで命を落としかねません」
殺気立った軍神との一騎打ち。力を奪われた弱体化状態での直談判。
客観的に見れば、自滅に等しい無謀な暴挙だ。アリスが青ざめた顔で俺の袖を強く引っ張る。
「サトオ、考え直しましょう。別の家臣を先に探すとか、もっと力を取り戻してからでも……」
だが――俺の口元からは、自然と不敵な笑みが漏れ出ていた。
胸の奥底、冷え切っていた血が激しく湧き立つ感覚。
恐怖? 違う。これは、久しく忘れていた猛烈な「高揚感」だ。
「……いいや、絶好の機会だ」
「え……?」
「かつての俺が作った最強の部下だろ? 記憶や権限の胡散臭いコードに頼るんじゃなく、いまの俺の腕で直接ねじ伏せて従わせる。昔、木こりの仕事をサボって俺に叩きのめされた時のように、身体の芯まで叩き直してやるだけだ。……それこそが、俺が『英雄』として再び立ち上がるための、最高の再起の第一歩じゃないか」
神々に力を奪われ、手足を縛られ、泥をすするような日々を送ってきた。
だが俺の本質は、世界を解析し、構造を解体し、あらゆる不合理を力ずくで書き換えてきた人間だ。
過去の自分の最高傑作をぶちのめしてこそ、真の主として胸を張れる。
「サトオ……」
アリスは呆れたように溜め息をついたが、その瞳からは不安が消え、代わりに俺への絶対の信頼が灯っていた。
「……本当に、手のつけられない分からず屋ね。分かったわよ。あなたの背中は、私が死んでも守ってあげる」
「頼むよ、最高の相棒。10、お前はここで体を休めつつ、この祠の防壁を維持しろ。余計な追っ手が来ないようにな」
「……御意。武運を、主よ」
俺はポケットの中の魔力バンクを強く握り締め、冷たい石造りの祠をあとにした。
外へ出ると、山頂を包んでいた深い霧は薄らぎ始め、東の空が微かに白みかけていた。夜明け前の切っ先のように冷たい空気が、肌を心地よく刺す。
「行くぞ。軍神ユニット03の待つ北東の岩山へ」
過去の遺産を力ずくで奪い返し、神々の理不尽な管理システムへ反撃の牙を剥く。
俺たちは一歩踏み出し、冷厳なる黎明の荒野へと足を進めた。




