第86章:管理外の安息と、時を解き明かす禁忌
カトウ商事が世界中に張り巡らせた監視網――その網目の「隙間」を縫うのは、決して容易ではなかった。
俺たちは表の市場を避け、裏路地の闇市や怪しげなブローカーを介して、Fランク冒険者が持ち込むには少々「出来が良すぎる」薬草や魔物の核を破格の安値で売りさばいた。足がつかないよう細心の注意を払い、数日分の旅費となる硬貨を手に入れる。ブローカーの薄汚れた指先から銅貨を受け取るたび、指先に伝わる金属の重みと冷たさが、かつて数字のデータだけで大陸の富を動かしていた頃の虚無感を洗い流していくようだった。
そうして舗装された街道を外れ、森と岩山を越えて辿り着いたのは、地図から切り離されたかのように静まり返った小さな隠れ里だった。
「……すごいわね、サトオ。空を見上げても、ドローンが1台も飛んでいないわ」
アリスがコートのフードを少し持ち上げ、どこか感心したように息を吐いた。
彼女の言う通りだった。帝都や主要都市を覆っていた監視AIの不快な走査線も、規則正しく空を交錯する配送ドローンの羽音もない。風が木々を揺らす音と、遠くで薪を割る乾いた音が響くだけの、どこまでも質素で泥臭い集落。人々はシステムの恩恵を受けることもなく、己の足と手を使って自給自足の暮らしを営んでいた。
管理と効率に塗りつぶされた世界の中で、ここだけが何千年も昔の時間をそのまま残しているかのようだった。
「効率が良いとは言えねぇが……悪くない場所だな」
俺たちは村の片隅にある小さな大衆食堂に入り、木製の分厚いテーブルに腰を下ろした。運ばれてきたのは、野菜のクズ肉を煮込んだだけの素朴なスープと、少し焼きすぎた硬い黒パン。
かつてカトウ商事の頂点で、最適化された栄養素を機械的に摂取していた頃の記憶が嘘のようだ。アリスはスープをひとくち口に運ぶと、ハフハフと吐息を漏らしながら、心底愛おしそうに目を細めた。
「ふふ、美味しい……。計算された栄養素なんかより、ずっと『生きてる』感じがするわ」
「ああ。こういう無駄な温もりこそ、あいつらの計算式からは一番最初に削ぎ落とされるものだからな」
束の間の安息。冷えた体に温かいスープが染み渡り、張り詰めていた神経がゆっくりと解きほぐされていく。だが、そんな穏やかな時間は、店主の親父が余った薪を暖炉にくべながら放った、何気ない一言で破られた。
「あんたら、一見の旅人とお見受けしたが……まさか北の山脈へ登るつもりじゃあるまいな?」
店主が怪訝そうな顔で俺たちを見つめてくる。
「北の山か? いや、ただの移動中だが……何かあるのか?」
「行かないなら結構だ。あそこには昔から『禁忌の祠』と呼ばれる古い建造物があってね。好奇心で近づいた村の若者や、迷い込んだ旅人が何人もいるが……誰一人として戻ってきた奴はいない。山そのものが生き物を呑み込んで消してしまうんだよ」
店主の言葉に、俺とアリスは同時に目線を交わした。
人が消える。近づいた者が二度と戻らない――。
一見すれば、よくある田舎の不気味な開かずの森の伝承だ。だが、俺たちの勘は、その裏にある異質な「違和感」を即座に感知していた。
「……サトオ、今の話」
「ああ。ただの自然現象や魔獣の仕業じゃない。空間そのものが遮断されているか、あるいは意図的に人を遠ざける強力な『結界』が張られている」
あのゴブリンの襲撃の夜、危機に陥った俺たちを救うために空間を裂いて現れた『ユニット10』。
10の持つ権能――あらゆる干渉や感覚を初期化・遮断する『領域遮断』。
この近くに10が潜んでいる可能性は極めて高い。そして何より、カトウ商事の監視網すら届かないその禁忌の領域には、なぜこの世界が「時間を巻き戻された」のか、その真相に繋がる鍵が眠っているはずだ。
食事が終わり、村の外れに借りた古い小屋へと戻る。
亜空間の指輪を覗き込めば、Fランク冒険者の持ち物としては絶対にあり得ない高純度の魔導素材の山と、かつて英雄として世界を効率で支配しつくした重苦しい記憶が静かに横たわっている。その記憶の底には、かつて盆地で泥にまみれ、不器用に米を育てていた元魔王軍の兵站部隊――適当に番号を割り振って「ユニット01から10」と呼んでいた、あの無骨な連中の顔が確かにあった。
「行くのね、明日」
アリスが小屋の小さな窓から、北にそびえる漆黒の山脈を見つめながら呟いた。その声に怯えはない。ただ、これから対峙するものの大きさを噛み締めるような、静かな覚悟が込められていた。
「止めはしないさ。あそこへ行かなきゃ、俺たちは一生『カトウ商事の作った庭』の隅っこで怯えて暮らすことになる」
俺は腰のハンマーの感触を確かめ、深く息を吐き出した。
「あの祠に眠っているのが、俺たちを救う道か……あるいは、かつての過去の亡霊に再び繋がれる道かは分からない。だが、踏み込まないわけにはいかないんだ」
「ええ。どこまでも付き合うわ。だって私たちは、あの効率だけの檻から逃げ出した『相棒』なんだから」
アリスが振り返り、強く、誇らしく微笑む。
管理外の安息の夜が、静かに更けていく。
明朝、俺たちは人の消える山奥――神々の手が届かぬ禁忌の深淵へと足を踏み入れる。
夜が明け、村全体が朝靄に包まれる時刻に、俺とアリスは宿の裏手から山道へと足を踏み入れた。
踏み固められた獣道は、登るにつれて次第に細くなり、やがて人の気配が完全に途絶えた。足元には湿った腐葉土が広がり、生い茂る針葉樹の天蓋が日光を遮っている。鳥の囀りも、風に揺れる木の葉の擦れ合う音すらも、ある高度を境にして不自然なほどぷつりと途切れていた。
「サトオ、周囲の魔力反応がおかしいわ」
アリスが携帯端末を取り出さず、感覚だけに集中して足を止める。電子機器の微弱な電波すら、万が一の監視網に引っかかる可能性があるからだ。
「通常の自然環境なら満ちているはずの環境魔力が、山頂の方向に引っ張られるように流れている……いいえ、違うわ。まるで大きな空洞に吸い込まれて、完全に遮断されているみたい」
「ああ。10の『領域遮断』の波形に酷似している。間違いない、この上に何かがある」
標高を上げるごとに、周囲の植生すらも変容していった。木の幹は途中からねじ曲がり、生えているシダ類は枯れているわけでもないのに、全体が灰色に褪色している。
ふいに、視界が開けた。
木々が円形に薙ぎ払われたかのような広場の中央に、その「祠」はあった。
店主が言っていたような、石造りの簡素な社ではない。それは、光沢のない黒い合金で覆われた半球状の構造物――かつて俺が定めた、防衛資材保管庫の初期規格そのものだった。外壁の一部には意図的に削り取られたような傷痕と、規則的な幾何学模様が刻まれている。
「社じゃない……。これ、カトウ商事の古い規格にそっくりよ」
アリスが息を呑み、足早に駆け寄ろうとした瞬間、俺は彼女の肩を掴んで制止した。
合金の重い扉の前に、湿った土を深く踏み固めた直近の足跡が、2列だけ残されていた。人間離れした歩幅と、優に200キロを超える質量が刻み込んだ、異様に正確な歩調の痕跡。
俺は腰のハンマーの柄を無言で強く握り直し、冷え切った空気の立ち込める扉の奥へと、鋭い視線を向けた。
◇
【神々のリセットと、英雄復権の覚悟】
重い合金の扉が、油圧を抜くような低い排気音を立てて内側からスライドした。
庫内から漏れ出してきたのは、冷え切った無菌室の空気。
薄暗い奥から、金属同士が軋み合う重厚な足音が響いてくる。
姿を現したのは、身の丈2メートルを超える巨躯。無骨な黒鉄の重甲冑を身に纏い、折れた大剣を提げた戦士――ユニット10だった。
「10……!」
思わず声を上げた俺に対し、巨躯から返ってきたのは言葉ではなかった。
兜のバイザーの奥、爛々と濁った赤色に光る眼光。その全身からは、かつて盆地で石垣を積んでいた頃の生々しい気配が完全に消え失せ、凍てつくような無機質の殺気が立ち込めていた。
「……識別コード、未登録性体。……領域侵犯者ト判定。排除シマス」
金属を擦り合わせたような、感情の起伏を一切欠いた声。
「サトオ、下がって! 様子がおかしいわ……! 精神の波形が完全に何者かに上書きされている!」
アリスの鋭い警告と同時に、10の折れた大剣が空気を引き裂いて振り下ろされた。
轟音と共に、足元の岩盤が粉々に爆砕する。常人なら肉片すら残らない一撃。
「10、目を覚ませ! 俺だ、サトオだ!」
「ガ、ア……マ、スタ……? ……イイエ、神ノ防壁……侵入者ハ……殺ス……!」
兜の奥から苦悶に満ちた生身の呻き声が漏れるが、直後にバイザーの赤い光が激しく明滅し、再び機械的な暴走状態へと引き戻される。神々の精神干渉――自我を塗りつぶし、自律防衛システムの人形へと作り変える呪縛の術式。
次の瞬間、10の巨躯が掻き消えた。
「――っ!?」
踏み込みの予備動作も、空気を裂く風切り音すらない。10が操る『領域遮断』が、自身の運動に伴う摩擦音も衝撃波も完全にゼロへ初期化しているのだ。
視界が捉えた時にはすでに、折れた巨大な刃が俺の頭上から唐竹割りに振り下ろされていた。
「サトオ、右へ跳んでッ!」
アリスの悲鳴のような叫びと同時に、横合いから展開された魔力障壁が10の腕をかすかに弾く。
数センチの軌道修正。俺は泥にまみれながら横転し、寸前で刃の軌道を躱した。
直後、音もなく地面に吸い込まれた大剣が、遅れて大爆発のような衝撃を噴出させる。
岩盤が直径5メートルにわたって円形に陥没し、吹き飛んだ土煙が俺の全身を打ち据えた。今のFランクの脆弱な肉体では、余波の風圧かすり傷ひとつで内臓が破裂しかねない。
「速すぎる……! 音も気配も消されたら、目で追うことすら追いつかねぇ!」
「サトオ、術式の構造が見えたわ! 彼の後頭部――兜の項の接合部に、神々の強制介入コードが幾重にも杭のように打ち込まれている! あれが本体の意識を塗りつぶして、無尽蔵に魔力を供給しているのよ!」
「あの接合部を叩き割ればいいんだな!?」
「無理よ、近づけない! 彼の全身を包む『遮断フィールド』が、あらゆる外部干渉を減衰させてるの! 魔法も、あなたのハンマーの衝撃波も、届く前に『0』にされる!」
言葉を交わす暇すら与えず、10が無造作に折れた刀身を横薙ぎに払う。
不可視の真空刃が薙ぎ払われ、広場の周囲に生えていた樹齢数百年の針葉樹が3本、まとめて音もなく両断されて倒壊した。
逃げ場のない広場で、不可視・無音の即死攻撃が乱れ飛ぶ。
だが、俺の脳裏に、かつて盆地でこいつに石垣を積ませていた時の記憶が鮮明に蘇っていた。
「……アリス! 奴の遮断フィールドは完全無欠じゃない! 出力を最大にした瞬間、必ず熱排出のための『循環サイクル』が生じるはずだ!」
「えっ……!?」
「あいつの骨格構造と筋肉の癖は、俺が一番よく知ってる! 奴が大剣を振り切った直後の0.3秒――重心を戻すその瞬間だけ、背面の遮断が魔力排出のために一瞬緩む!」
「わかった、私がその瞬間に全魔力をぶち込んで、術式の回路をパンクさせる! だけど、どうやって奴に全開で大剣を振らせるの!?」
「決まってるだろ」
俺は腰の黒鉄のハンマーを両手で握り直し、身を低く構えた。
「俺が、真正面からエサになる」
「サトオ!?」
「来いよ、10ッ! てめぇの打撃は、そんな腑抜けた神の糸で引かれるほど軽かったかよ!」
俺は叫びと共に、真正面から突撃した。
Fランクの鈍い脚力。神々のデバフに縛られた重い肉体。だが、重心の移動と足裏の接地圧を極限までコントロールし、最短距離で間合いへと飛び込む。
10のバイザーが冷徹に俺をロックオンした。
両手で構えられた大剣が、遮断の全出力を乗せて、大地ごと俺を両断せんと真上から振り落とされる。
――今だ!
「アリス、全開で喰らい尽くせッ!」
「いっけえぇぇぇッ! 『捕食の障壁・過負荷展開ヴォルテクス・イーター』ッ!!」
アリスが展開した幾何学陣が、10の振り下ろす大剣の切先へピンポイントで噛みついた。
魔力を吸い上げ、強制的に逆流させるアリスのハッキング。大剣の切先から火花のような青い魔力光が激しく散乱し、振り下ろしの速度がほんの一瞬、摩擦によってわずかに鈍る。
そのわずかなタイムラグを使い、俺は頭上をかすめる刀身の腹に、左肩の防具を擦り付けるようにして身を滑り込ませた。
ガガガッと装甲が削り取られる火花と激痛。だが、刃は躱した。
大剣が地面に突き刺さり、広場が大きく揺れる。
そして――サトオの読み通り、振り切った巨体が重心を立て直すため、背面の遮断フィールドが排熱のためにパッと弾け、隙間を晒した。
「0.3秒……十分すぎる時間だ!」
俺は踏み込み、10の巨躯の背後へと回り込む。
項の接合部で蠢く、半透明の光を放つ神の術式杭。それは不気味な脈動を繰り返し、10の神経系へと毒のように侵食していた。
俺は両手のハンマーを頭上高く振り上げる。
狙うのは装甲の破壊ではない。かつてこいつらと共に土木工事で叩き込んだ、岩の『目』を突く振動伝達――『構造破壊』の極致。
「畑の石垣積みでサボった時、俺にどうやってシバかれたか――その身体で思い出せ、10ッ!!」
渾身の力で、黒鉄のハンマーが項の術式杭の「結節点」へと叩き込まれた。
直後、炸裂したのは破壊音ではない。
キィィィィン、と脳髄を直接揺さぶるような、極めて高周波の共振音。
サトオの打ち込んだ振動パルスが、神の術式の幾何学構造を内側からズレさせ、矛盾を強制的に引き起こす。術式の内部循環が耐え切れずに自己崩壊を起こし、眩い光の亀裂が杭全体へと走った。
パァァァンッ!!
ガラスの大時計が破裂したかのような凄まじい衝撃波が弾け、神の呪縛杭が粉々に四散する。
遮断フィールドが霧散し、バイザーの濁った赤光がフッと完全に掻き消えた。10の項に張り付いていた透明な幾何学の刻印が粉々に弾け飛び、バイザーの濁った赤光がフッと掻き消える。
「ガ……ハッ……!」
大剣を取り落とし、巨躯がどうと膝をついた。
荒い呼吸を繰り返すその背中から、無機質な殺気が抜け落ち、生身の魔族としての生々しい体温が戻っていく。やがてゆっくりと顔を上げた10の瞳には、かつての温もりと深い忠節の光が宿っていた。
「……待っておりました、主」
「10……やっぱり、ここにいたんだな」
「申し訳……ありません。神々の精神干渉に抗いきれず、不覚にも主刃を向ける凶行を……」
「いい、気にするな。神どもの小細工だ。それより、無事でよかった」
10は胸元を押さえ、深く頭を下げた。
「はい。この祠に展開した『領域遮断』により、人々の認識を逸らし、近づく者を遠ざけておりました。『人が消える』という里の噂は、わたしがここに潜伏し続けるために流した偽情報に過ぎません」
10の声は元来の感情の起伏を排した無機質なものに戻っていたが、その瞳の奥には静かな忠節の火が灯っていた。10は深く頭を下げると、ゆっくりと身を翻して祠の重い石扉を開く。
「お入りください。主がかつてこの地に遺された『導き』が、奥で待っております」
薄暗い祠の地下へと続く階段を降りていく。灯火の光が届く最深部の小部屋には、石造りの祭壇が1つ置かれていた。
その上にポツンと残されていたのは、羊皮紙を束ねた1冊の古い手記(記録データ)。
俺が手を伸ばし、表紙を開く。そこに記されていたのは、紛れもなく――俺自身の筆跡だった。
「これは……俺が書いたもの……?」
「ええ。あなたが記憶を奪われ、世界が『巻き戻される』前に、未来の自分へ宛てて遺した手記です」
アリスが俺の肩越しに手記を覗き込む。ページをめくるたび、衝撃的な真実が網膜を焼き尽くしていった。
『これを読んでいるということは、俺の想定通り、世界は再び巻き戻されたのだろう。
まず結論から記す。お前が戦うべき本当の敵は、お前自身が築いた「カトウ商事」ではない。カトウ商事は、奴らが文明を効率的に管理し、定期的に間引くために利用している「管理装置」に過ぎない。
真の敵は――この世界をシステムとして管理し、文明が一定の領域を超えるとリセット(初期化)を繰り返す「神々」だ』
文字を追う手がかすかに震えた。
カトウ商事が敵ではなかった? 俺が完璧に作り上げたはずの経済支配システムすら、上空に鎮座する「神々」と呼ばれる存在の巨大な飼育箱の一部でしかなかったというのか。
手記はさらに続いていた。
『お前が今、かつての力を失い、記憶が混濁し、肉体がFランク並みに弱体化しているのも、全ては神々がシステムを介して与えている重層的な「干渉・デバフ(能力減弱効果)」のせいだ。奴らはお前という規格外の存在を恐れ、回帰のたびにその芽を摘もうとしている。
だが、諦めるな。俺は奴らの目を盗み、10をはじめとする10名の家臣たちを各地の重要拠点へ配置した。
この手記の裏ページには、干渉を打ち破るための「魔力バンク(魔力貯蔵媒体)」の回収手順と、失われた装備・魔導回路の隠し場所を記してある。家臣たちを再び束ね、神々の喉元へ刃を突き立てろ』
言葉を失い、立ち尽くす俺。
世界を裏から操っていたと思っていた自分が、より巨大な「神」というシステムの手の上で踊らされていた。膨大な徒労感と、己の無力さが津波のように押し寄せてくる。
――その時だった。
そっと、隣から温かい手が俺の手を包み込んだ。
「サトオ」
アリスがまっすぐな瞳で俺を見つめていた。その表情には恐れも、怯えもない。
「相手がカトウ商事だろうと、世界を支配する神様だろうと関係ないわ。あなたがどんな絶望の中にいても、私はあなたの隣にいる。……だってあなたは、私に『生きてる実感』をくれた人なんだから」
「主よ」
10が重厚な鎧の膝を折り、目の前で深く頭を垂れた。
「たとえ世界の理が貴殿を拒もうとも、わたしたち10名の家臣の忠誠が揺らぐことはありません。命じくだされば、神々の陣営であろうと粉砕してみせます」
アリスの手の温もりと、10の不変の忠節。
胸の奥で、冷え切っていた熱炉に再び猛烈な火が点いた。
……そうだ。俺は何を怯えている?
かつて世界を演算し、極限の効率で支配し尽くした男が、いまや守るべき相棒を得て、命を賭して従う部下を持っているのだ。
神々が世界を檻に閉じ込め、記憶を奪い、何度も平穏を踏みにじるというのなら――その理不尽なシステムごと、俺の手でハックして破壊してやればいい。
「……ふっ、そうだな。落ち込んでる暇なんてなかったな」
俺は口角を吊り上げ、アリスの手を握り返すと、10に向かって強く言い放った。
「10、立つんだ。もう隠れ潜む必要はない」
「……御意」
「ここから先は、ただ逃げ回るだけの旅じゃない。失った力をすべて奪い返し、あの気取った神々からこの世界を取り戻す――『英雄復権』の反撃だ」
手記を固く握りしめ、俺は祠の出口へ向かって歩き出した。
深い霧の向こう側、天高く聳える見えない神殿を見据えて。
失われた記憶と最強の威光を取り戻すための、俺たちの本当の戦いが、いま静かに、商事と神々の思惑を撃ち砕くべく幕を開けた。




