第84章:夜明けの焚き火と、告白の予感
あれから数日。俺とアリスは、街を離れ、人目につかない森の深部へと身を潜めていた。
冒険者ギルド《カトウ商事》は、あの惨劇の場所を徹底的に調査しているはずだ。彼らのやり方は常に合理的で、すべてを数値化しようとする。その底知れない「管理の意志」に対して、俺は言いようのない疑念を抱いていた。
夜の帳が下りた森。小さな焚き火の爆ぜる音だけが、静寂を破る。
アリスは、慣れた手つきで干し肉を炙っていた。あの恐怖の記憶から立ち直ったのか、彼女はいつも通り、どこか事務的だが柔らかな表情をしている。それが、俺の心に刺さる。
「……ねえ、サトオ」
彼女が静かに口を開いた。俺は短剣の柄に置いていた手をそっと緩める。
「あの時……私を助けに来てくれた理由、ちゃんと教えてくれない?」
火に照らされた彼女の横顔が、少しだけ赤く染まっているように見えた。焚き火の熱のせいか、それとも。
「効率で言えば、単独で逃げるのが正解だったはずよ。Dランクの私と組むよりも、あんた一人の方が生存率は高かった」
痛いところを突かれた。彼女は論理的な思考をする魔法使いだ。感情だけで動くはずの俺の行動が、彼女の中で「不自然なバグ」として処理されているのだろう。
「……そうだな。俺もそう思うよ」
俺は正直に答えた。かつての支配者なら、間違いなく切り捨てていただろう。効率の悪いものは排除する。それが、この世界のルールだったのだから。
「でも、俺は……あんたと酒を飲む時間が、どうしても捨てられなかったんだ」
――あぁ、俺はなんてことを言っているんだ。
この歪な管理社会に飲まれ、ただのFランクに成り下がった俺が、愛おしさに任せて言葉を漏らしている。
アリスが動きを止める。
彼女はゆっくりと顔を上げ、俺の目をまっすぐに見つめた。そこには、商事への過剰な敬意も、冷徹な分析もなかった。ただ、一人の少女として俺を見る、まっすぐな瞳があった。
「……バカね、あんた。そんな理由で命を懸けるなんて」
彼女はふわりと笑った。それは、酒場で初めて会った時の、冷めた微笑みとは違う。もっと熱を帯びた、俺たちだけの秘密のような笑みだ。
焚き火の火の粉が夜空に舞う。
このまま二人で、管理の目から外れた森の奥へ逃げ続けられたらいい。支配者だった記憶も、商事という巨大な組織への疑念も、この瞬間だけは遠い彼方へ追いやってしまえる気がした。
「……ねえ。明日の朝、この森を抜けた先に小さな隠れ里があるっていう噂を聞いたの」
彼女は少しだけ俺との距離を縮め、膝に手を置いた。
「もしそこに行けたら……その時は、教えてくれる? あんたが本当に、何者なのかを」
彼女の視線から逃げ場はない。
俺は小さく息を吐き、彼女の瞳を見つめ返す。この旅路の終わりに待っているのが、安息か、それとも俺の過去を暴く破滅か。
俺は焚き火の炎に手をかざし、小さく頷いた。
これが、俺の選んだ「個」としての生き方だ。
「……ああ。隠しごとは、無しだ」
夜が更けていく。組織の影がすぐ近くまで迫っていることを予感しながら、俺たちは初めて、お互いの鼓動が聞こえるほどの距離で肩を寄せ合っていた。




