第59章:魔王のジョブチェンジ
聖湖のほとり。かつて世界の恐怖と称された魔王ウルガルは、今やサトオの差し出した「農業簿記」の帳簿を、震える手で握りしめていた。
「……魔王よ。貴様のこれまでやってきた『略奪』の収支バランスを計算してみた」
サトオはタブレット端末の画面をウルガルの前に突きつける。そこには、赤字続きの軍事費と、壊滅的な生産性低下のグラフが映し出されていた。
「これだ。お前が略奪によって得ていた金貨の総額は、本来その土地で生産できた穀物の利益と比較して、30%にも満たない。短期的な略奪は、長期的な税収基盤を破壊する。つまり、お前は自分自身の首を絞める経営をしていたわけだ」
「……ぐっ。しかし、魔王たるもの、力を誇示し、恐怖によって……!」
「恐怖はリソースの浪費だ。非効率なコストを垂れ流して何になる」
サトオは容赦なく言い切った。
「今日から、貴様をこのエリアの『生産統括マネージャー』に任命する。……魔王としての肩書きは残しておいていい。ただし、今後の仕事は略奪ではなく、領民の収穫量の最大化だ」
「な……我を、農作業の管理人に……!?」
「管理人に非ず、最高経営責任者(CEO)だ。貴様の魔力は、今後は作物の生育促進と、害獣の排除、そして灌漑施設のメンテナンスに限定して使用する。……その方が、貴様の自尊心も多少は満たされるだろう?」
サトオはウルガルの鎧の肩に手を置くと、その魔力回路を強制的に「農耕用プロトコル」へ書き換えた。
ウルガルの身体を駆け巡っていた破壊の魔力が、聖湖の水を浄化し、作物の生育を加速させる「生命の奔流」へと強制的に変換される。
「貴様の配下だった軍勢も同様だ。彼らは、兵士から『農業機械』へとジョブチェンジさせる。……彼らは暴力の扱いに慣れているな? ならば、開墾作業にはうってつけだ」
「我が……魔族たちが、鍬を握り……?」
「そうだ。お前たち魔族が持つ本来のポテンシャルを、破壊ではなく生産に全振りすれば、この地域の穀物生産量は300%向上するはずだ。……これは、お前が魔王として歴史に名を残すための唯一の道だ。破壊の伝説ではなく、農業革命の伝説になれ」
ウルガルの瞳に、かつての闘志とは異なる、奇妙な熱狂が宿り始めた。それは支配への執着ではない。数値で示された圧倒的な「合理性」に脳をハックされた者の、狂気じみた献身だった。
「……生産量の向上……最大化……」
「そうだ。いいか、ウルガル。次の収穫期までにお前の管轄するエリアの収穫率が目標に達しなければ……その時は、貴様自身が最高品質の肥料になる準備をしておけ」
サトオは手帳を閉じ、冷たく微笑んだ。
「……承知いたしました、カトウ様」
かつての魔王は、深く深く頭を垂れた。
彼は今や、剣ではなくソロバンを、盾ではなく収穫予測グラフを武器にする、世界で最も過激な「農業経営者」へと生まれ変わったのだった。




