第58章:経営者として対話
聖湖へと続く街道は、サトオの手によって完璧なまでに整地されていた。かつて存在した検問所は跡形もなく消え、兵士たちは肥沃な土壌の一部として機能している。
その光景を、空から見下ろす一つの影があった。現魔王軍の総帥、魔王ウルガル。
かつての魔王が討たれた後、残された魔力を継承したと自称する彼は、自身の軍勢が――しかも、かつての伝説的な幹部たちによって――「排除」された事実に、憤怒の業火を燃やしていた。
「……愚かな。魔王の冠を戴く者に対し、泥にまみれて草をいじるなど。貴様ら、魔族としての誇りを捨てたか!」
ウルガルが舞い降りた先には、サトオが立っていた。サトオは農園の畔にある聖湖の水を採取し、分析端末で成分を表示させていた。
「……ああ? 騒がしいな。収穫前の重要な水質検査中だ。……お前、ノイズか?」
サトオの無機質な言葉に、ウルガルの形相が歪む。
「ノイズだと? 我は現魔王ウルガル! 世界を塗り替える真の統治者よ! 貴様のような、土をいじるだけのただの農夫が、我の軍勢を潰すなど……何の権限があってのことだ!」
「権限?」
サトオは呆れたように視線を端末から外し、ウルガルを一瞥した。彼の目には、魔王という存在すら、農地の生産効率を著しく阻害する「非効率なバグ」としか映っていない。
「俺に権限などない。あるのは『目的』だけだ。この土地のポテンシャルを最大化し、安定した収穫を得る。……お前は、その計画において最大のボトルネックだ。存在自体がリソースの無駄遣いと言える」
「黙れッ! その慢心、貴様の心臓とともに土へ還してやる!」
ウルガルが魔力を凝縮し、黒い閃光を放つ。聖湖の水面が弾け、周囲の樹木が消し飛ぶ。圧倒的な破壊の奔流。
だが、サトオはその爆風の中に微動だにせず立っていた。彼の周囲数メートルだけ、爆風がまるで透明な壁に阻まれるかのように、綺麗に左右へ逸れている。
「……エネルギーの出力が低いな。熱変換効率も悪い。そんな乱雑な魔力放出では、土壌への負荷にしかならないぞ」
サトオは指輪を操作した。次の瞬間、ウルガルを囲む空間の魔力密度が急激に低下する。構築された「結界」が、魔王の魔力供給源を物理的に遮断したのだ。
「な……ッ!? 我の魔力が、霧散するだと……?」
「お前たちが魔力を誇示するたびに、周辺の生態系が乱れる。生産計画に支障が出るんだ。これからは、無駄なエネルギー放出は禁止だ」
サトオは歩み寄ると、ウルガルの肩に手を置いた。ただそれだけの動作で、ウルガルは抗うことのできない圧力によって地面に膝をつく。魔力を封じられた魔王は、ただの「重たい鎧を着た生物」に成り下がっていた。
「さあ、説明しろ。お前の軍団がこの土地で行ってきた、収穫率を悪化させる『略奪』という名の非効率な活動について。……経営的な観点から、その非合理性を数値で証明してもらう」
サトオの冷徹な問いかけに、魔王ウルガルは戦慄した。破壊される恐怖ではなく、自分という存在を「経営計画の調整対象」として、徹底的に論理の檻へと閉じ込めようとする、この男の底知れぬ異質さに。
「……何者だ、貴様は……本当に、人間なのか……?」
「ただの冒険者であり農家だ。……で、説明は? 効率の良い土壌改善のためのデータを取らせろ」
聖湖の静寂の中、魔王の威厳は完全に崩壊していた。サトオは手帳を広げ、これから始まる「魔王への経営指導」という名の説教を、事務的な調子で書き留めようとしていた。




