第5章:極小のコントロールと、お説教の洗礼
西の草原のさらに奥、鬱蒼とした木々が立ち並ぶ森の境界。人目を忍ぶには絶好の場所だ。
俺は腰からドノバンの『鉄の棒』を引き抜き、目の前にある適度な太さの立ち木に向き直った。
「よし。まずは、木の皮を一枚、軽く削ぎ落とすくらいのイメージで……」
脳の血管が切れそうになるほど感覚を研ぎ澄ます。力を入れない。指先をほんの少し、当てるだけ。鉄の棒を木肌に向けて突き出した。
――バキィィィンッ!!!!
「……は?」
凄まじい破壊音と共に、樹齢数百年はあろうかという巨木が、まるでダンプカーに衝突されたかのように根元からボッキリと折れ、土煙を上げて倒れていった。
静まり返る森の中、俺は折れた大木を見つめて硬直する。
(いやいやいや、突いただけじゃん! なんでチェンソーで伐採したみたいなことになってんの!?)
ドノバンの鉄の棒は流石の頑丈さで無傷だが、威力が全く死んでいない。刃がない分、衝撃波がすべて打撃の質量に変換され、木を粉砕してしまったのだ。
そこで俺は、ある仮説に思い至る。
(待てよ……。ドノバンの店で『武器』として買ったこの鉄の棒は、システム側に『武器』として認識されてるんじゃないか? だから先代勇者の莫大な経験値とスキル『神速剣技・天衣無縫』が強制的に反映されて、どんなに手加減しても天変地異みたいな威力になっちゃうんだ……!)
もしその推測が正しいなら、武器ではない「ただの枝」ならどうだ。システムが武器と認識しなければ、勇者の補正は乗らないはず。俺は地面に落ちていた、長さ30センチほどの枯れ枝を拾い上げた。
「枝なら……これならいけるはず……!」
俺は枝を構え、別の木に向かって、今度こそ優しく振り下ろした。
――ビキッ。
「あ」
衝撃波は出なかった。だが、俺がほんのわずかに手首を動かした瞬間の風圧と、システム補正なしの素の筋力(それすらも勇者基準で規格外だった)に耐えきれず、枯れ枝のほうが手元から粉々に砕け散ってしまった。
「……軽すぎても自壊するのかよ。どうすりゃいいんだこれ」
その後も試行錯誤を繰り返したが、力加減のコツは1ミリも掴めない。新卒の研修初日並みに、自分の無力さに叩きのめされた。
気づけば太陽は傾きかけていた。成果ゼロ。俺は精神的な疲労で肩を落とし、報告のためにギルドへと戻ることにした。
夕方の冒険者ギルド。帰還した冒険者たちで窓口はそこそこ混み合っていた。
俺は昨日と同じ受付嬢の窓口へと進み出る。
「あ、サトオ様。おかえりなさいませ。本日のご用件は……?」
「お疲れ様です。……あの、依頼は受けてないんですけど、訓練に行ってきまして。その生存報告を……」
受付嬢は俺の姿を上から下までじっくりと眺め、それから俺の腰にある『鉄の棒』、そして泥と木の葉まみれになった服に目を留めた。彼女の目が、すっと真剣な色に変わる。
「サトオ様。……その格好、もしかして、西の森の境界付近まで行かれましたか?」
「え? あ、はい。人目がつかないので、あの辺りでちょっと素振りを……」
「ダメです!!」
突然、受付嬢がバンッ、とカウンターを叩いた。普段の冷静な彼女からは想像もつかない大声に、周囲の冒険者たちがビクッと振り返る。
「いいですか、サトオ様! あなたはまだ登録したばかりのFランクなんです! 西の草原は安全ですが、その奥の森の境界は、Dランク以上の魔物が出没する危険地帯です! そこで新人が一人で『素振り』だなんて、自殺行為もいいところです!」
「い、いや、本当にただの素振りで、魔物には会ってないですし……」
「言い訳は聞きたくありません! もし強力な魔物に見つかっていたら、今頃あなたは影も形も残っていなかったんですよ!? 自分の実力を過信して命を落とす新人冒険者が、どれだけいると思っているんですか!?」
彼女の目は本気だった。事務的な義務感ではなく、心から俺の身を案じて怒ってくれているのが伝わってくる。
現代日本で上司に詰められた記憶がフラッシュバックし、俺は完全に縮こまった。
「うっ……す、すみません……」
「これからは必ず、実力に合った依頼だけを受けてください! 危険な場所へ一人で行くのは絶対に禁止です! 分かりましたね!?」
「はい……以後、気をつけます……」
何度も頭を下げる。めちゃくちゃ怒られて胃は痛いが、不思議と嫌な気分ではなかった。
(誰も知り合いがいないこの世界で、こんなに本気で怒ってくれる人がいるんだな……)
冷や汗を拭いながらギルドの扉を押し開ける。説教の余韻はあったが、胸の奥の寂しさは、昨日よりも確実に薄れていた。
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