第37章:鑑定スキルと聖女の空腹
第2部
そこには広々とした平野が広がっていた。
圧倒的な大自然の美しさに一瞬言葉を失う。だが、次の瞬間には、職人としての現実的な思考が俺の脳内を支配していた。
俺は辛抱たまらず、川と大地に『万物鑑定』の視線を走らせた。その瞬間、脳内に奔流のように流れ込んできた数値に、俺の心臓が跳ね上がった。
【環境解析データ】
・外部探知魔法遮蔽率:99.8%(完全隠蔽領域)
・水源:霊峰からの雪解け水(水質:純度A/ミネラル豊富な超極上軟水)
・土壌成分:窒素・リン酸・カリウム(NPK)含有量、理想的黄金比。腐葉土層、適正。
「……っ!」
全身に鳥肌が立つ。職人上がりの、普段は冴えない俺の顔が、この異世界に降り立って以来、最も激しい歓喜で歪んだ。
「おい、嘘だろ……。この冷涼で清らかな水質。そしてこの、窒素過多ではない理想的な黒ボク土に近い土壌……完璧に現代なら『米』が作れるじゃないか……!」
周囲の野生植物のデータを鑑定すると、日本の大豆に酷似した魔導植物や、リンゴに似た果実の皮から、強烈な【野生酵母】の反応が検出されている。
「これ、米があれば味噌も、醤油も……このがあれば、天然酵母のパンだって作れる! 誰にも邪魔されない、完璧な自給自足の醸造聖地になるんじゃ……!」
しかし――俺はすぐに首を振り、興奮を無理やり押さえ込んだ。
(いや、現実的じゃない。……今は逃亡中で、追われる身だぞ)
ここで畑を耕し、醸造所を建てて数ヶ月の歳月をかけるような悠長な構えは、死を招く。農業などという根を張る行為は、追手が完全に撒けた後で十分だ。
(今の俺に必要なのは『即効性のある生存戦略』だ。穀物や保存食は、街で手に入れるのが最も現実的だな)
俺が泥の匂いを嗅ぎながらそう思案していると、後ろから熱い、あまりにも熱すぎる視線が突き刺さった。
「……サトオ様……お腹が空きました」
「ぶふっ」
感動の涙でも流しているのかと思えば、エレンはきゅー、と切なく鳴る自分のお腹を恥ずかしそうに押さえながら、上目遣いで俺を見つめていた。
(……あ、そうだった。テンションが上がってここまで一気に来ちまったが、よく考えたら生きるための必需品が圧倒的に足りてないぞ)
急な夜逃げと追撃戦のせいで完全に失念していた。いくら誰も来ない最高の楽園とはいえ、ここは前人未到の魔境だ。今日明日を生き延びるための現実的な課題が山積みだった。
まずは、住居が必要だ。エレンやセリア、それにクルスを地べたで野宿させるわけにはいかない。せめて雨風をしのげる場所が、今日中に最低でも一つは必要。
次に、当面の食料。聖女様のお腹の虫が大合唱を始めている以上、待ったなしだ。
(……となると、やっぱり一番手っ取り早いのは「どこかから調達してくる」ことか)
俺は盆地の向こう側にそびえる、険しい山脈の峰々を見上げた。
(この山を越えた先は、アルカディア魔法帝国の辺境領だったはずだ。……この山脈とこの隠れ里を、誰にも見つからずに『往来』できる抜け道があれば、すべてが一気に解決する)
隠れ里で仮の住居を建築し、帝国へは必要な物資を買いに渡る。用が済めば、追手が絶対に侵入できないこの盆地へ帰ってくる。そんな都合のいいルートだ。
俺は肩の相棒に問いかけた。
「クルス、この峰の先につながる道は無いか?」
クルスは小さく首を傾げた後、「キュイ!」と鳴いて山脈の一角を前足で指差した。どうやら獣道か、あるいは古くからある地脈の通り道のような感覚を捉えているらしい。
「よし、アテはあるな。……セリア、ちょっと聞きたいんだが……」
俺は隣で平野を眺めていたセリアに声をかけた。




